「日本のマスメディアに現れる日本の自己イメージについて」
まず、マスメディアで取り上げられる日本人としては、物事に対して受動的なイメージで表現されることが多い。例えば、町角で政治についてのインタビューが報道される場合、応対する人物たちは「もっと襟を正して欲しい」「今の内閣はすぐに総辞職するべきだ」等、様々な意見を述べる姿が表されているが、今の行政府や立法府に下駄を預けたような口調が目立つ。この受動的なイメージの裏返しで、自分から積極的に意見を発言し行動を起こす人間を特別視する傾向も見られる。その人物を英雄扱いするにしろ異端児扱いするにしろ、その人物の取る行動が自分たちとは隔離されたように扱われがちである。
もう1つ現れているイメージとしては、「日本は豊かな国家である」、もしくは「日本人は豊かな国民である」というものである。例えば、テレビで街の映像が流れることが多いが、登場する人物はきれいな服装をし、その家屋もこぎれいなものが多い。確かに日本の暮らしの水準は世界的に見ても恵まれているものである。しかし、このイメージというものは、リストラを背景に増加している路上生活者や、国籍を持たないために低所得である在日外国人等の、社会的・経済的に苦しい生活を送っている人々の存在が抜け落ちているものであると思われる。また、マスメディアの形成するイメージから抜け落ちているがために、そのような人々に対する支援の和も広がりにくいと考えられる。日本人の所得の格差が広がってきていると言われ、中流意識は幻想であるとも言われるようになった現在においては、上記に挙げたような人々にも焦点を当てることが望ましいと考える。
まず、マスメディアで取り上げられる日本人としては、物事に対して受動的なイメージで表現されることが多い。例えば、町角で政治についてのインタビューが報道される場合、応対する人物たちは「もっと襟を正して欲しい」「今の内閣はすぐに総辞職するべきだ」等、様々な意見を述べる姿が表されているが、今の行政府や立法府に下駄を預けたような口調が目立つ。この受動的なイメージの裏返しで、自分から積極的に意見を発言し行動を起こす人間を特別視する傾向も見られる。その人物を英雄扱いするにしろ異端児扱いするにしろ、その人物の取る行動が自分たちとは隔離されたように扱われがちである。
もう1つ現れているイメージとしては、「日本は豊かな国家である」、もしくは「日本人は豊かな国民である」というものである。例えば、テレビで街の映像が流れることが多いが、登場する人物はきれいな服装をし、その家屋もこぎれいなものが多い。確かに日本の暮らしの水準は世界的に見ても恵まれているものである。しかし、このイメージというものは、リストラを背景に増加している路上生活者や、国籍を持たないために低所得である在日外国人等の、社会的・経済的に苦しい生活を送っている人々の存在が抜け落ちているものであると思われる。また、マスメディアの形成するイメージから抜け落ちているがために、そのような人々に対する支援の和も広がりにくいと考えられる。日本人の所得の格差が広がってきていると言われ、中流意識は幻想であるとも言われるようになった現在においては、上記に挙げたような人々にも焦点を当てることが望ましいと考える。