『?』は西洋文字のなかで、漢字に匹敵する惚れ惚れする文字だ。
まさにキーワードで、『目的と手段』、『問と答』が一つの鍵穴 『?』で表されている。
英語でカギは『Key』と『Lock』と明確に区別されるが、日本語ではカギは『錠前』なのか『鍵』なのか分からない
渾然一体としたところが、『?』に通じる面白いところだ。
ところで、馬骨流に言えば、禅問答と言われる『公案』は全て『?』である。
『禅問答』とただの『問答』のちがいは、『禅問答』は『不二』に落ちるまで問答は続き
一般の『問答』はその場かぎりで納得すれば済んでしまう。
だから禅の公案をしている時、老師に『問いと一体になって来い!』と叱咤激励されるのがそれだ。
いずれにせよ、我々人間は『問答』と共に生まれるが、それを放置してあの世に行くか
すっきりさせてから往くか・・・それが問題だ。
『悟り』は『郷里』であると馬骨はいうが、その『郷』の字の甲骨文字がこれである。
郷里に帰ってごちそうを挟んで向かい合う様を描いている…という。
その『ごちそう』が『鏡』で『もう一人の自己』と出逢う場・・・それが郷里であり『悟り』なのだ。
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