科学者…とくに物理学者が仏教に目を向け始めている。
私は先日、田坂広志著『運気を磨く』を読了し、いまカルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』を読み始める。
田坂氏の著書、『運気を磨く』は、そのタイトルからは想像できない、量子科学の最先端の理論を展開し、あたかも馬骨の妄想を
裏づけるかの如く、仏教と科学が急接近している現状を科学者であり東洋人である立場から解き明かし、大いにインスパイアされた。
Youtubeでも量子科学の領域から様々な科学的仮説を紹介する動画を発表している人が増え、私の愚脳もそれなりにディープラーニングしているようだ。
私が提唱している『郷里・サトリ』は『自分=自ずと分かれ、自ずと分かる』境地を表し、つまるところそれは『自観』の一語に尽きる。
『自観』とは、『観る自分が観られる自分』であると『観』じる事であり、そこに生じる波動が『観世音』=『観自在』を実現する・・・。
私が初めて『坐禅』した時、『時間の無駄』と怒り心頭ながらも『時間(自観)の在り方』について気付かせてくれた。
『禅の道』はまさしく『仏の慈悲』以外の何物でもなかった。それに気付かなければ私は『時の流れ』に押し流され、溺れていただろう。
再び『2001年宇宙の旅』のオマージュ : 映画の最初と最後の場面に大きな四角い『石板』が意味深に現れるが・・・。
あれは達磨さんが『面壁』した『自観』の為の『壁』だ。What else!
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