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『主語が入れ替わっていた手抜きの安倍晋三のコピペ挨拶の不都合』
人類最初のアメリカによるのヒロシマ市への原爆攻撃の8月6日に平和記念式典で読み上げた安倍晋三首相のスピーチが、昨年の『使い回し』のコピペだったので原爆被害者団体などは『厳粛な慰霊碑の前で前年と同じ挨拶をするとは、・・』と怒り心頭。(違いは『68年前』と土砂降りの雨だったので『蝉しぐれうんぬん』を抜いただけ)
今回の8月6日のコピペのスピーチですが、前年の広島市だけではなくて8月9日の長崎市も全部が同じ。(違いは年度と地名だけの徹底した手抜きのコピペ挨拶)
手抜きのコピペだったのは8月6日、9日原爆犠牲者慰霊式典だけではなく6月23日の沖縄全戦没者追悼式の挨拶でも同じだったのですから扱いが公平である。安倍晋三は首相スピーチの使い回しではSTAP細胞の小保方博士も真っ青の『コピペの常習犯』だった。
実は7年前の第1次政権時代の07年8月6日、9日の広島・長崎でのスピーチも内容は同じだった。同じ手抜きのコピペでも小保方博士とは年季が違っているのですから有る意味では天晴れである。
コピペの手抜きスピーチの安倍晋三ですが、これは第二次安倍内閣になって二回目だから横着をして手抜きしている訳ではない。
安倍晋三首相の場合では、手抜きのコピペこそが本質である。第1次政権時代から一貫して過去の戦没者追悼式典で行っていたのである。
ところが『馬鹿の一つ覚え』、腹立たしいコピペの手抜きスピーチの安倍晋三ですが、一見すると発言している内容は『同じ』だったが、一番大事な主語が違っていた。
去年のヒロシマではスピーチの主語は『国民』だったのである。
ところが事実上のクーデターである集団自衛権容認の閣議決定の今年は、他は一言一句同じなのに何故か主語の国民から『民』が抜けて『国』に成っていたのですから恐ろしい。
何も無い平時なら同じでも『国民』に対して『国』が死を強制する非常時の戦争では、今までの主語の国民を『国』と言い換えれば、他の文章が同じでも言葉の意味が180度コペルニクス的に逆さまになる。
『主語の存在が義務ではない、便利すぎる日本語表現』
外国映画を吹き替えではなく字幕で鑑賞する唯一の国が日本なのですが、日本語表現ではほとんどの場合に主語を抜くことが暗黙の了解事項になったいる。日本語の小説などを英語などの外国語に翻訳し、もう一度日本語に翻訳すると必ず字数が何割も増えてしまうのです。
日本語は『主語』が無くても会話が成り立っているだけでは無く、『主語』を抜くことで変幻自在、融通無碍の解釈が可能なのです。
よく言われるように恋人同士の日本語会話なら『愛している』だけで良いのだが、英語の場合『I LOVE YOU』と必ず主語の『I』とLOVEの対象物である『YOU』が入る。ラテン語起源のフランス語イタリア語スペイン語や中国語などの他の言語でも同じで、『誰』が『誰』を『愛している』の言葉の主語が会話に必要で有り、無いと会話が大混乱を起こすのである。
1949年8月15日の玉音放送にも矢張り主語(帝国憲法下で唯一の主権者であるヒロヒト天皇)が無かったのである。
日本人同士ではお互いに忖度して主語を推測するので何の不便も無い。ところが時々は全員が丸っきり正反対に間違えるなどの椿事が起きてしまう。
そのために玉音放送の『堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ』の言葉の主体が日本人(帝国臣民)であるかのごとき、美しい誤解(丸っきりの勘違い)が生まれている。
ところが玉音放送では最初から最後まで、間違いなく主語は『朕』(ヒロヒト天皇)だったのである。
何と、『たえがたきをたへ、忍びがたきを忍んだ』のは臣民では無くて、天皇本人だったとの『考え落ち』。腹立たしいも馬鹿馬鹿しい笑い話である。
この玉音放送では敗戦とか降服などの言葉も慎重に避けられていた。
主語がないだけでは無くて述語もあやふやで、『日本の敗北』の言葉の代わりに『共同宣言ヲ受諾スル』と言っているだけ。(一言も『負けた』と書いていない。ところが何となく全員が『負けた』と推測した)
玉音放送では、日本が無謀極まる戦争に走った原因は『帝国ノ自存ト東亜ノ安定』であり、戦争に負けて無条件降伏する時は『万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス』などと白々しくも口先だけの美文で誤魔化して、醜く辛すぎる目の前の真実を隠していたのである。
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『アメリカに、頭の上から原爆を落とされたのに・・・怒らない日本人』
どれほどの極悪非道でも理不尽でも、矢張り日本人は『同じ』だったのである。
ヒロシマの平和公園にある『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』の原爆慰霊碑の有名な言葉にも『誰が、誰に対して』がすっぽり抜け落ちているので、そのままでは英語などの主語のある外国語には翻訳出来ないのである。
そもそも『主語が無い』どころか述語さえあやふや。『過ち』の内容ですが『原爆である』とすれば主語は当然投下したアメリカである。(原爆慰霊碑はアメリカに原爆投下の過ちを繰り返させないとの意味になる。)
『誰に対して』核兵器を使ったかでは、極狭くとらえれば『広島市民』であるが、広くとらえれば『日本人』であり、もっと視点を大きくすれば『人類全体』など色々な解釈が出来る。
ところが主語の『誰が』原爆を使ったかの場合なら、核兵器を使用した張本人はアメリカに確定していて動かないのである。(幾ら何でも『人類が核兵器を使用した』には無理が有り、主語は人類全体にはならない)
もしも『誰が、誰に』の主語を英語表記を真似て正しく書き入れると、ヒロシマの原爆慰霊碑が韓国の日本軍従軍慰安婦の少女像と同じような過激で明瞭な政治的意味を持つ。
ところが日本国は長年『アメリカの核の傘で守られている』(相互確証破壊)を国是としており、日本はいざとなればアメリカの核兵器の使用を容認しているのですよ。(この恐るべき事実を多くの日本人は気がついていない。あるいは知っているのだが無意識に隠している)
日本の国是(最後には核を使うとの恐怖の相互確証破壊)から推測すればヒロシマの慰霊碑の主語は日本人(あるいは日本国)であり、『過ち』の意味とは核兵器だけに限定されず広く『戦争』の惨禍であると解釈出来る。
それなら『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』の言葉に一番ぴったりの場所はヒロシマの平和公園(原爆慰霊碑)では無くて、特異な戦争神社である『靖国神社』だったのである。
『日本独自の恐ろしい怨霊信仰としての靖国神社の成り立ち』
亀井静香は、靖国神社は明治新政府内の権力闘争をそのまま反映した施設になっている。つまり、官軍である長州藩中心の慰霊施設、いわば長州神社というべきものだ。長州閥は天皇陛下を利用し、時に『玉座を胸壁とし詔勅を弾丸と』(天皇の政治利用)しつつ、自らの権力を拡大していき、その帰結として先の敗戦がある。
そもそも靖国神社とは、戊辰戦争の勝者である『長州藩の、長州藩による、長州藩の為の神社』であり露骨な差別を行っている。(到底神とは呼べ無い水準)
『靖国神社には(勝者も敗者も無関係に)会津藩はじめ奥羽列藩同盟、彰義隊、西郷隆盛など国を想い尊皇の心で命を落とした人々は全てお祀りするべきだ』と主張する。
しかし多分これは亀井静香の勘違いでしょう。
歴史的に見れば1879年(明治12年)に戊辰戦争の戦死者を祭った東京招魂社を、現在の『靖国神社』へと名前を変えたというのが、『靖国神社』が認めた公的な成り立ちである。
しかし実は靖国神社には皆が知っている東京招魂社以前の、誰も知らないもっと古くて忌まわしい歴史が隠されていた。
明治維新の5年も前の1863年(文久三年)の下関戦争で英仏蘭米の四国連合艦隊に大敗した長州の奇兵隊戦死者を高杉晋作が祀った桜木招魂場が今の靖国神社の前身なのである。
野晒し状態の桜木招魂場の社殿が出来たのは2年後、第一次長州征伐の負け戦の後ですから、招魂場は靖国神社のように『勝者である官軍のため』に作られたものでは無い。
間違いなく、惨めに敗れ去った(恨みを呑んで死んだ)『敗者』の為の施設であり、(死者の呪いや祟りを恐れた)生残ったもの達によって『怨霊鎮め』を目的として作られていた。
日本独自の怨霊信仰では、非業の死をとげた死者の魂は成仏出来ないのである。この世に留まった怨霊は現世を彷徨い続けて人々に祟る恐ろしい『呪い神』となる。
恨みを呑んで死んだ為に祟り神となった菅原道真を天神様として拝むことで、恐ろしい怨霊からの報復を防ぐ訳です。梅原猛は法隆寺(厩戸皇子などの聖徳太子信仰)も滅亡した蘇我氏系の上宮王家を聖徳太子として祀ったと考察しています。藤原氏が消失していた法隆寺を再興したのは、上之宮王家の怨霊の封じ込めが目的であった。
高杉晋作が桜木招魂場に英仏蘭米の四国連合艦隊に大敗した長州の奇兵隊戦死者を祀った原因とは、まさに日本独自の怨霊信仰だった。
そもそもの出発点が(祟り神の怒りを鎮める)『怨霊信仰』だった今の靖国神社以上に、『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』の言葉が似合う場所は一つも無いであろう。
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2014年01月28日 | 社会・歴史
(大敗から出発していた靖国神社(桜木招魂場)の不思議。今の靖国神社は戦争に『勝つこと』に価値を見出しているが、出発点では180度逆だった。そもそも靖国神社とは、『長州藩の、長州藩による、長州藩の為の神社』だったのである)
米軍によるイラクのファルージャ掃討戦に巻き込まれた日本人ボランティア3人ですが、
確かに当時の日本政府とか公明党、産経新聞は左翼分子だと断定してバッシングしたのは事実ですが、・・・そもそもボランティアなどの善意の慈善活動は左翼の仕事ではない。
彼等は、今の体制を基本的に支持する穏健保守層に含まれる善良な平和を愛好する人々ですよ。
彼等3人ですが、3人ともバッシングされて、全く予想していなかったので驚き慌てて、何と体調を崩し1年以上も立ち直れなかったのです。本物の現体制にたてつく左翼であるなら逆に叩かれてなんぼのもので、叩かれない左翼などニセモノなのです。
この日本人ボランティアは『自分の周りに悪党がいるはず無い』と信じている幼子の様な、まさに地上の塩である日本人全員が拍手るる筈の善意の穏健保守を、極右勢力が情け容赦なく叩いたのですから、なんとも恐ろしい話ですね。
彼等が現体制に不満な左翼では無くて、穏健で善良な保守であったことは、イラク戦争を進めていたアメリカのパウエル国務長官が3人の行為を褒めたことが何よりの証拠でしょう。
小泉政権が彼ら3人を叩いたのは自衛隊の初めての海外派兵だったから過剰反応したのですよ。たぶん日本人外交官2名が米軍のコンボイに殺されたことに関係しているのです。拘束された時期が余りにも悪すぎたのです。
「米軍誤射説否定」の政府報告書は矛盾
2008年03月24日 | 軍事、外交
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/6bd3cfb2c59ce65b04f7f3f6db23beae
どちらかといえば左に近かったのが意地悪くあげつらわれ続けた大きな理由でした。
さて、今回の彼は明らかに右です。
思想云々を問わず、全ての日本国民には保護される権利がありますから、政府が救出に全力を尽くすのは言うまでもない“当然のこと”です。
自分はその後、に興味があります。
死してもなお、首を切り落とされた青年は嘲笑されましたが、今囚われの彼にはどのような評価が社会から与えられますかね。
このような人質事件をスムーズに解決できるように、さらなる自衛隊の海外展開・国防軍化の実現への翼賛体制の確立が力強く提唱され、その旗印に彼は祭り上げられるのでしょうか。
「一個人、一企業人についてとやかく言うのはアンフェア」として半分黙殺でフェードアウトでしょうか。
「同様の愚行でも、左の思想の故なら総スカン、右の思想でなら賛美・大甘」と自分は偏見を持っていますが、
この事件で、日本の“程度”があらためてはっきりと示されると思っておりますが、憶測はダメ、ですかね。
頭が空っぽで目が節穴のネットウヨに知性を求めるなどは、カメの腹筋以上に無理難題ですよ。
そもそもマクドナルドのハンバーガを一日3食1年365日食べても誰にも文句を言われるいわれは無いのです。
食事は栄養のバランスのとれた健康食を食うべきだなど、正しい主張であっても、他人に強制されたくない。ジャンクフードを食べる権利はあるのです。
同じことが政治にも言えて、正しいからといって他人に強制されたくは無い。
2003年にイスラエルからイラク入りして、アルカイダにスパイと誤解されて首を切断された日本人青年の悲劇などの、人間には愚行権があるのですね。
日本人ボランティア3人が拘束された直後の当時のイラクに入る場合、イスラエル経由で入るなどは余りにも無謀すぎるのです。
今回はシリアで矢張り日本人がアルカイダ系武装勢力の拘束されているが、この人物は何と今年1月に民間軍事会社を立ち上げて、その最高経営者を名乗っていたらしい。
これが事実なら処刑は免れないが、活動実体は何も無かったとも言われています。
2月の都知事選ではタモ神を応援し、従軍慰安婦の河野談話の見直しを主張していたと言うからお馬鹿なネットウヨさんですね。平和ボケの極みです。