逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「御巣鷹の尾根」1985年8月12日

2019年08月12日 | 社会・歴史

520人が死んだ『御巣鷹の尾根』の日航ジャンボ機墜落事故現場で、自衛隊員と睨み合い警察や消防団の救助隊員

『日航機墜落事故』2019年08月12日 時事ドットコムニュース

日航機墜落事故 1985年8月12日、日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、乗客乗員520人が死亡、4人が重傷を負った事故。米ボーイング社製の旅客機で、羽田空港から大阪・伊丹空港へ向かう帰省客やビジネスマンらが搭乗していた。
 墜落現場は人里から離れており、特定が難航。救援隊の到着は翌13日となった。日航や運輸省、ボーイング社の関係者が業務上過失致死傷容疑で書類送検されたが、全員が不起訴処分となった。

松浦晋也‏ @ShinyaMatsuura

この事故では、運輸省がボイスレコーダー記録を破棄するというとんでもない蛮行をやらかしてなあ。この一件だけでも、日本は近代国家の体を成していないと言えるほどの悪業だ。

『政府自民党だけではなくて野党も有識者もマスコミも全員が挙国一致で「見ざる言わざる聞かざる」で押し通す

『「御巣鷹の尾根」の日航ジャンボ機墜落事件』

8年前の2011年3月11日のフクシマの未曾有の核事故では大阪大学の菊池誠と組んで『放射能は安全。安心。何の心配も無い』との摩訶不思議な風評被害キャンペーンを続けているお馬鹿『御用知識人』?の松浦晋也‏ですが、34年前に520人が死んだ『御巣鷹の尾根』の日航ジャンボ機墜落事件に関しては、共産党機関紙赤旗を含めすべてのマスメディアが怖がって沈黙する中では唯一、真実の断片を語っていたのですから何とも無気味である。(今までの自分の行いを反省したのが。それとも社会情勢に大変化が起きたのか)

『人々を間違った結論に誘導するネットでの日航ジャンボ機墜落事故のボイスレコーダー公開』

現在、ユーチューブなどでは『御巣鷹の尾根』の日航ジャンボ機墜落事故のボイスレコーダーが公開されている。
ネットで誰でもで自由にボイスレコーダーを閲覧できるので勘違いするが、実は墜落事故から15年ほど経過したあとで、誰か正体不明の謎の人物が世間に流出させた(たぶん、運輸省か事故調の関係者が密かに内部告発した)代物だった。
今回、航空関係に詳しいノンフィクション作家松浦晋也‏が指摘したように、この日航機事故では明らかに運輸省がボイスレコーダーの記録を破棄している。(★注、運輸省『事故調』は公式には一部分だけを公開したが、遺族や乗員組合など事故関係者が求めるボイスレコーダー記録の全面公開はしていない。何故か理由は不明だが必死で隠しているのである)

松浦晋也‏が『運輸省がボイスレコーダーを破棄する蛮行』と告発した元ネタ???

『日航ジャンボ機墜落事故で救難にあたった上野村村長を支えた海軍魂』
2018年8月12日

村長は、特攻を拒否した零戦隊長だった
神立 尚紀ノンフィクション作家。
写真は『御巣鷹山の墜落現場で救難活動にあたる自衛官、警察官、消防団員たち』とあるが、明らかに自衛隊と他との間にみぞがある。
書き出し『33年前の夏、日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落し・・・』は墜落現場が根本的に間違っている。

御巣鷹山とは無関係
元日本海軍の零戦隊長だった当時の上野村村長黒沢 丈夫が名付けたのが『御巣鷹の尾根』との不可解な名称だった。1年前のダラダラと長いだけの腹立たしい記事で、それ以外でも一番大事な事実はことごとく隠蔽する。。
何が松浦晋也‏の注意を引いたのかが不明。
ただし、この神立 尚紀の記事で唯一『玉音放送』以前の8月10日時点で、当時日本海軍の零戦隊長だった黒沢 丈夫上野村村長が、日本降伏に気が付くとの1945年8月10日の記述が何とも秀逸である。(たぶん松浦晋也‏は、この部分だけを今回注目したのだろう)
神立の記述は高見 順の『敗戦日記』とほぼ同じ趣旨で、ソ連赤軍の対日参戦の8月9日に御前会議でポツダム宣言受諾を決定して連合国軍に連絡する。早くも8月10日には当局(特高や憲兵、諜報機関)が密かに『日本の敗戦』を世間に宣伝・広報していた。

★注、
神立 尚紀は日航機墜落現場が『谷を隔てた対岸に、御巣鷹山が見える尾根』の意味で、『山』が入らない『御巣鷹の尾根』である事実を知らないはずが無い。
何か別の目的で一般市民に対し宣伝広報しているらしいのである。



日本海軍主計将校として慰安所建設を自慢し『首相時代には日本経済を破壊した元祖新自由主義(対米従属命の)中曽根康弘』

1985年8月12日夕方日航ジャンボ機墜落事故現場でアメリカ軍の救助隊が『自衛隊の来るので遭難者の救助を中止する』と連絡したが肝心の自衛隊は16時間も放置、多数の命が失なわれる。
しかし対米従属命の中曽根康弘首相は日本の自衛隊の最高司令官でもあるが、墓の中まで秘密を持っていく心算なのである。

『原発導入のA級戦犯でもある中曽根康弘』

中曽根康弘は風見鶏と揶揄される変節漢で信望が無く到底首相の器ではなかったが『担ぐ神輿は軽ければ軽いほど良い』とロッキード疑獄の田中角栄の傀儡として首相に就任する。
中曽根康弘は日航機が墜落した時は事故現場の目と鼻の先の長野県軽井沢の別荘に滞在していたが、動かざること山の如し。
距離的に極近い位置関係にあるのでダッチロールして御巣鷹に墜落する日航機を直接目撃した可能性まで十分ある。
田中金脈の賄賂企業のロッキード社と並ぶ軍需メーカーボーイング社が墜落事件では深く関与している。
本格的な事故調査が始まる前から全責任がボーイング社の機体修理ミスしとして謝罪、莫大な賠償にも応じているが欧米基準の謝罪と責任の原則から完璧に逸脱していた。


悪魔の碾き臼である新自由主義(小泉竹中)を批判し、胡散臭い「痴漢事件」で逮捕された植草一秀。(森永卓郎と二人で政府事故調ボイスレコーダー「文字起こし」の『オールエンジン』が『オレンジエア』だと主張している)

『ボイスレコーダー音声「オールエンジン」の怪』2019年1月17日 (木)植草一秀の『知られざる真実』

拙著『国家はいつも嘘をつく ――日本国民を欺く9のペテン』(祥伝社新書)4章 捏造と隠蔽とNO.5「日航ジャンボ機123便」の嘘に1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事件について記述した。
森永卓郎氏が日刊ゲンダイのコラム「週末オススメ本ミシュラン」に掲載下さった書評でも、森永氏が日航ジャンボ機墜落について関心を持ってこられたことが記述されている。
多くの人々は、ジャンボ機墜落という悲惨に事故としか受け止めていないが、重大な謎が残されたままなのだ。
日航ジャンボ機123便墜落事件に関し、謎を解く最大のポイントが、123便の衝撃音発生直後にコックピットで発せられた言葉にある。
8月12日18時24分に大きな衝撃音が発生した直後に、コックピットのフライトエンジニア(航空機関士)が重大な言葉を発している。
その言葉は「オレンジエア」(空自の隠語で空対空ミサイル)である。
事故調査委員会報告書は音声を文字に書き起こしたが「オレンジエア」ではなく「オールエンジン」である。
ボイスレコーダーの音声は、テレビの特集番組で放映されたことがあり、拙著では現在もインターネット上で閲覧可能なyoutube動画を紹介した。2000年11月9日に放送されたフジテレビ番組「ザ・ノンフィクション日本航空123便墜落事故 15年目の検証」である。
(抜粋)

『政府事故調(文字起こし)は「オールエンジン」だが、「オールギア」か「オレンジエア」と聞こえるボイスレコーダーの不鮮明な音声記録』

現在もインターネット上で閲覧可能なyoutube動画で何回も聞いて確認したのですが、政府事故調(文字起こし)の『オールエンジン』も植草一秀や森永卓郎の『オレンジエア』も無理筋(強引過ぎるこじつけ)である。
一番近いのは『オールギア』(日航ジャンボ機のすべての着陸用の格納タイヤ)の意味であろう。すべての着陸脚(ランディング・ギア)の意味で、胴体首脚(ノーズ・ギア)と主翼下の主脚(ボディギア)の両方を指している。
そもそも発言したのは前面に座る正副操縦士ではない。後部席で飛行中の機体の管理を受け持つ航空機関士(フライトエンジニア)である。
生存者証言の、日航機は遭難時に一瞬だけ白煙が出たとすれば8000メートル以上の高空で圧力隔壁が破壊されたのではなく尾翼脱落の衝撃で着陸足(オールギア)が出て与圧が少し漏れたのである。

『与圧が最後まで保たれたとの生存者の証言ともぴったり一致するのは「オールギア」だけ

日航機は『御巣鷹の尾根』に墜落するまでエンジンだけは最後まで正常に動いていたのですから、政府事故調の『オールエンジン』(すべてのエンジン)では意味不明である。
植草一秀や森永卓郎の『オレンジエア』(空自の隠語で空対空ミサイル)はもっと意味不明で、そもそも自分の方向に飛んでくるミサイルは肉眼では見えない。
また、たとえ見えたとしても極小さな円形では咄嗟にミサイルだと理解出来ない。

(★注、半世紀前の台湾海峡でのミグ15戦闘機に対する対空ミサイルのサイドワインダーのように)戦闘機パイロットでも目視は不可能なのですから民間航空機のフライトエンジニア(航空機関士)ではもっと無理なのである。それは通常の人間の能力を、はるかに超えている。

『日航機が「御巣鷹の尾根」に墜落して15年後2000年に赤旗記者にもたらされたボイスレコーダー(CVR)』

アメリカ連邦航空局(FAA)やアメリカのボーイングの社の意向で圧力隔壁修理ミスが墜落の原因とする日本政府の事故調の報告に合わせて改竄されていた物ということを立証した、2000年8月にテレビ各局が報道したCVR(コックピットボイスレコーダー)のコピーとは、日本共産党機関紙赤旗記者(現在はフリージャーナリストの米田憲司)にもたらされたボイスレコーダー(CVR)が元ネタだった。
つまり、一般にも1999年11月にCVR(コックピットボイスレコーダー)は運輸省によって廃棄されたといわれている。

2000年にボイスレコーダーのコピーを受け取った米田憲司は『事故調が編集・改竄した』とハッキリと断言。!

2013年12月1日にラジオ・アクセス・フォーラムが公開した『日航123便、御巣鷹山墜落事故の真相に迫る(ラジオフォーラム#47)』で、フリージャーナリストの米田憲司が現物のCVRを入手した相手は政府事故調のメンバーからだが、実名は『ニュースソース』の保護で絶対に言えないとしている。(★注、墓の中に『真実を持っていく』心算なのだろうか?)

もし米田憲司がいうように『事故調が編集・改竄していた』が事実だったなら、ユーチューブのCVR(コックピットボイスレコーダー)コピーを聞いて、「オールエンジン」だ「オールギア」だ「ボディギア」だ「オレンジエア」と論争してもまったく何の意味も無いことになる。
改竄する前のオリジナルのCVRでないと時間の無駄なのである。(★注、しかしオリジナルは運輸省によって既に廃棄されている)



『元々、日本のマスコミの全部が政府権力のアンダーコントロール「大本営発表」だった』

520人が死んだ墜落現場は決して人跡未踏の秘境では無くて首都圏の近郊であり確実な目撃者たちがが何人も、多数存在していた。ところが自衛隊が全部握り潰す。もちろん自衛隊だけではなくて警察もNHKなどマスコミも有識者も一致協力、隠蔽したのである。
その後は『挙国一致』で30年間も『見ざる言わざる聞かざる』で隠し続けたのですから怖ろしい。呆れ果てた話である。

日航機事故から30年

川上村墜落稜線現地調査

捜索・救援可能性


現地調査と解析から、日航機の墜落現場は地図の★地点、長野県川上村梓山地区から、比較的容易に高天原山と三国山の間の尾根であることが判明した。

出典:鷹取敦、青山貞一 環境総合研究所


中嶋初女さん67歳長野県川上村梓山居住が書いた墜落後の高原天山の尾根に立ち上がった煙と火の(NHKスペシャル日航ジャンボ機事故:空白の16時間~"墜落の夜"30年目の真実)

2013年12月1日『日航123便、御巣鷹山墜落事故の真相に迫る(ラジオフォーラム#47)』で米田憲司氏は、5~6人の川上村の住民たちが頭上を日航ジャンボ機が飛び去って県境の尾根に墜落した時の衝撃音や閃光、大きな爆発のきのこ雲まで目撃していたと証言している。
もちろん、すぐさま地元警察(駐在所)にも墜落を連絡した。
日航機は1985年8月12日の18:56分(当日は明るくて、まだ十分目視ができた)に高天原山と三国山の間の尾根に墜落した。
にもかかわらず、現実には長野県北相木村、長野県南木村、そして群馬県上野村の山や尾根が捜索の対象となり、いわゆる御巣鷹の尾根(=高天原山と尾根で三国山の尾根の近く)であることが判明するまでにはNHKスペシャルによれば16時間も要したこととなっている。(墜落から、実際に遭難者が自衛隊に救助されるまでなら18時間以上も放置されていた)

長野県川上村梓山地区から1985年8月12日の18:56分に高天原山と三国山の間の尾根に墜落したことを大勢が目撃していた。
ところが自衛隊や警察、NHKが30年間も握り潰していた。
では墜落地点まで車や徒歩で救助に駆けつけるのに、どのくらいの時間を要したのか。
やはり目撃情報が無い群馬県側よりも、目撃者が大勢いる長野県側からの方が早いのである。


長野県川上村から見た高天原山。(日本航空123便墜落事故の墜落現場は、高天原山の群馬県側標高1,565m付近)



高天原山の墜落現場からは御巣鷹山は遠くて、この地図では上側に外れている。
黒沢丈夫が命名した「御巣鷹の尾根」には別の目的があったと思われる。(そもそも北側の尾根が邪魔して墜落現場からは御巣鷹山が見えない)


川上村村道の最高地点から墜落現場までの黄線ルート(他にも三国峠駐車場から三国山を経る稜線ルートもある)

『長野県川上村梓山地区の多数の目撃情報を自衛隊やNHKがを無視しなければ、・・・』

救助隊は、川上村役場から高天原山南斜面川上村側の林道まで車で50分、その後の登山、尾根つたいに下る時間を含め最大2~3時間としても、墜落後3~4時間で現場に到着出来た。
長野県川上村側の高天原山(1800m)から墜落現場は川上村道192号梓山線から高天原山まで登り、その後、尾根伝いに下るだけで到達する。(降り直線で約2.9km)
高天原山に登れば墜落現場まで徒歩で比較的容易に行ける。
航機墜落地点は、間違いなく長野県川上村の梓山地区からみれば、高天原山と三国山の稜線の間の群馬県側の尾根にあることが明らかだった。
航空機の自衛隊は墜落から16時間かかったが、長野県川上村梓山地区から歩いて墜落位置が容易に確認できたのである。
★注、
3県県境の三国山周辺では長野県川上村の梓山地区だけが畑や水田がある唯一の開けた場所で、住民も多いし交通の便も良い。

 

東京電力の御巣鷹トンネルと31年前の日航ジャンボ機墜落事故(もう一つの放射能汚染)

2016年08月12日 | 放射能と情報操作

『原発の付属施設だった巨大な揚水発電所』一度稼働した原発は簡単には止めれらない

群馬県と長野県を結ぶ御巣鷹山トンネルは日本最大の揚水ダムの為に東京電力が建設して、完成後には地元住民に開放される約束だった。ところが2005年11月に完成しているが現在でも閉鎖されたまま。道路を管理する東電関係者以外誰も通行できない。
長野県側は写真のプレートが示すように御巣鷹山トンネルの入り口まで行ける。ところが、群馬県側はトンネルの遥か手前で一般の通行が禁止されていて近づけない構造になっている。
上池の長野県の南相木ダムは日本のダムとしては一番標高が高くて1532メートル。下池である群馬県の上野ダムとの揚水発電で日本最大の282万キロワットもの最大発電能力を持つが、この二つを結ぶのが御巣鷹山トンネル。
なんと、520人が死んだ日航機の墜落地点(御巣鷹の尾根)とは、世界最大の原子力発電所である柏崎刈羽原発や未曾有の核事故を起こした福島第一原発を所有している東京電力が地権者だった。
そもそも夜間に余った電気で揚水して昼間に発電する『揚水発電』とは原発の付属施設なのである
臨界に達した原発は簡単には止めれない。1年間動かしたままになるので電力需要が下がる夜間には無駄になる。原発を稼動させるとエネルギーの浪費だとは知っていても仕方なく毎日毎日揚水して夜間に余った電気を消費する必要性が生まれる。
ところが5年前のフクシマの核事故以後には東京電力管内では原発は一切稼動していないのですから、揚水発電所の存在自体がまったく無意味。御巣鷹山トンネルを含めて丸々『無用の長物』になっている。

『31年前の首都圏で起きていた、もう一つの放射能汚染』

墜落したボーイング社製の機体には、振動防止の重し(バランス・ウェート)として248キロもの大量の劣化ウラン(ウラン238)が使われていた。(現在は重しとして劣化ウランでは無く、高価だが安全なタングステンに取り替えられている)
しかも運悪く、危険な劣化ウラン以外に日航機には総重量239キロの放射性同位元素(ラジオアイソトープ)が積荷として持ち込まれていたが墜落炎上でほぼ全量が失われている。
放射性物質でもある劣化ウラン(ウラン238)は科学的毒性を持つばかりか金属ナトリウムのように激しく燃焼する特性があり、日航機墜落時の火災で焼失したと思われるが墜落現場の周辺は放射能汚染物質の危険性が有る。
NHKの悪質な偽情報とか自衛隊の組織的なサボタージュですが、少しでも救助を遅らせて野外の有毒な浮遊物質が大気中に拡散することを狙っていたのだろう。
大勢を見殺しにした『16時間の悪質な時間稼ぎ』は、墜落現場の放射能汚染を恐れたからと断定しても間違い無いと思われる。

『自衛隊の救助妨害(サボタージュ)に怒りを隠さない黒沢丈夫上野村村長』

零戦の時代でも墜落地点の正確な特定は簡単に行える。(位置の特定が正確でないと味方を誤爆する)
日航機の墜落地点を『御巣鷹の尾根』と命名したのは元零戦隊長の黒沢村長だが、墜落地点は御巣鷹山に繋がっていない。
付近で一番有名なのは群馬長野埼玉3県県境の三国山1838メートル(一等三角点)。墜落現場は1978メートルの二等三角点がある高天原山の尾根である。

墜落地点は御巣鷹山とは無関係
『御巣鷹』は地名としてメジャーでは無くて、日航機墜落地点の『御巣鷹の尾根』と東京電力の『御巣鷹山トンネル』の二つしかない。御巣鷹山は主稜線から派生した支尾根の小さな突起で日航機墜落まで地元でも誰も気が付かない無名のヤブ山だった、
墜落地点を『御巣鷹の尾根』(★注、『山』が入っていない)に決めた黒沢上野村村長は元ゼロ戦パイロットとして『小さな意趣返し』をしたと思われる。(非人道的なサボタージュに怒って、密かに『自衛隊の救助妨害の後ろには東京電力がいる』と告発していた)
墜落時の除染活動で出た放射性汚染物質を東電管理下で誰も近づけない御巣鷹山トンネル周辺に保管、今でも一般人の立ち入りを厳しく禁じているとすれば、今までの意味不明の数々の『摩訶不思議な謎』が簡単に全て解決する。
2011年のレベル7の東京電力の未曾有のフクシマの核事故で勝俣会長など歴代トップが検察によって二回も起訴猶予されたり、5年経った現在も警察当局が東電に一回も強制捜査に入らない(証拠を保全しない)不思議も、日航機墜落で東電に『借りがある』ので躊躇したとすれば辻褄が合う。
そもそも放射能の『除染』とは31年前の日航ジャンボ機の墜落のような、ごく狭い地域が限定的に低濃度汚染した場合にだけ有効な作業であった。
(抜粋)


隠された真実を暴く「赤旗」だけが自衛隊の組織的サボタージュを告発し、その後も毎年8月12日に事故原因が解明されていない事実を書いていたが、徐々に不鮮明になっていく。
毎年8月に墜落事故を掲載する理由の一つが、段々と悪化、堕落していく哀れな姿を記録したいとの自虐的動機。赤旗が完全に絶命したのが2011年、慰霊と追悼だけで真相究明とのジャーナリズム魂がゼロに。何とも悲しい。





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大韓航空機撃墜事件に似ている (十三湊淳之介)
2019-08-13 19:20:35
墜落地点が操作された疑惑のあることは,1983年9月1日に起きた「大韓航空機撃墜事件」の場合と似ていませんか.朝5時のNHKニュースは”根室沖ーつまりソ連領海の近傍ーで消息を絶つ”というものであり,普通我われが墜落事故報道で耳にする"レーダーより消えた”ではなかった.今考えると,何かの予防線を張った表現だったのだ.次のニュースは午前10時の”同機はソ連防空軍により拿捕され,サハリンに強制着陸”という内容のものだった.実際は,午前3時半頃プラウダ村上空でスホイ機の放った空対空ミサイルを被弾し,当初数分間”無言”で飛行を続け,終にはモノロン島(海馬島ー旧称ではなく現称の日本名がついているのは,日本漁船はこの島近海までの出漁が許可されているいるから)近海のソ連領海に墜落した.友人の白石(旧日本名)さんは,同日予備役将校の定時訓練のため,ウラジヲストック港への便船に乗るべく,プラウダ村の港へ自転車を漕いでいたという.と,突然首筋をピシャッと叩かれ,直後凄まじい爆発音が耳を襲い,無灯火でもあり自転車からころげ落ちたのだと.首筋を襲った”ピシャッ”は,音速で伝播する破裂音より速く到達したミサイルの爆発音の衝撃波面の打撃だ.村では家々に灯がともり,あるお婆さんは”フチョムブイラア”(着の身着のままで)姿で,外に飛び出し,「今度のは中った」と叫んだという.”今度のは”とは,ミサイル発射前のスホイ機による警告の搭載機関砲の発射音を意味するものなのだろうか.もしかして,以前にも侵犯機があり,それに対してミサイルが発射されたことを指したものなのか.当時私はそこまで確認することをしなかった.これが悔やまれる.白石さんはそのまま港からウラジヲストックへ発ったのだが,船は途中で帰還を命じられた.遭難者には同胞の多かったこともあり,朝鮮語紙"レーニンの旗”で働いていた彼は,サハリンでの朝鮮人の動きを調べるように,ソ連当局より命じられている.私は今現在外国住まいであり,全ては回想での推理となってしまうのだが,あの大韓機は”囮”であり,ソ連某空軍に捕まった際の脱出ルートやいい訳が予め準備されていたのだと思う.拿捕着陸の場合は,ホムトヴォ(旧大澤飛行場)ではなく,ドリンスク(旧称落合)のソコル基地に降りることまでも.何にせよ,大韓航空には数年前にはソ連領空侵犯の大手柄があったのだし.日航機の場合,ミサイル被弾説は弱いのではないでしょうか.爆発音は地上には到達するでしょう.高度はまだ上昇相での六千メートルあたりですし.爆音は船のエンジン音で隠されたとしても,爆煙は海上からも容易に確認されたことでしょう.
返信する
何が言いたいの? (RONDO)
2019-08-14 08:59:58
疑問ではなく具体的な仮説を展開すべき
返信する
オガルコフ参謀総長の会見 (十三湊淳之介)
2019-08-14 21:53:34
「大韓航空機撃墜事件」のオガルコフ参謀総長の野太い声によるテレビ実況会見は,有名な電子工学者Виктор Варшавский教授宅で見た.大きなパネルにカムチャッカからサハリン西海上までの同機の航跡が描き出され,東海岸から内陸にかけて南に屈曲する半円がある航跡図だ.旋回行動は恒にパイロットの強固な意思を反映している.パイロットはレーダーを気象モードから地上描記モードに切り替え,実に特徴的なサハリン東海岸を視認し,目標を囲むように旋回の舵をきった.舵をきったならば,同じ角度で舵を戻さねばならない(”トリムをとる”),そうしないとぐるぐる回ってしまう.つまり舵をきって,数秒後に正確な角度分戻したのだ.柳田邦夫氏がすぐさま展開した,航法装置入力ミス説は成り立たない.ВВ教授の解説は,同機と連携している電子情報収集機が付近を飛行しており,旋回に対応し地上がどのように反応するかの電子情報を集めているのだという.ソ連側が回収した音声記録装置には,墜落までの十数分分しか音声記録がないそうだ.その上”あくび”が連発されているのだと.副操縦士が欠伸をし,その傍らで,機長が舵をきりトリムをとっていたのだ.柳田氏の説に従えば,同機の機長もコパイも航法機関士も気象モードでしかレーダーを見ていないことになる.欠伸以外の音声を出さなかったことになる.実に不自然ではないか.人は一人の時でさえ,独り言を言うのが自然だ.狭いコックピットの中に男三人ですよ.30ミリ機関砲射撃にしても,曳航弾ではなく徹甲弾が放たれたとしても,砲撃音は強烈でその上砲口からは3メートルも発射炎が飛び出るでしょう.ところで,このスパイミッションを設計した人物は特定されています.
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旋回は南ではなく北方向でした (十三湊淳之介)
2019-08-15 03:50:45
前記事で訂正があります.インターネットでソ連製の会見ビデオを調べましたところ,旋回は南方向ではなく,北方向と確認しました.
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旅客機の座席は背を進行方向にすべき (十三湊淳之介)
2019-08-17 16:32:22
日航123便墜落事故では、四人の方が生還しました。時速600キロで衝突した場合、細いシートベルトは腹部を剃刀のように切り裂くことでしょう。もしも座席の背が進行方向にするならば、背中全面でこの衝撃を受止めることができます。火災が発生したときも、座席背面が炎から乗客の身体を遮断してくれます。こういう座席は欧州の高速列車にありますね。飛行機の場合には、なにか不都合があるのでしょうか。記事と無関係でごめんなさい。
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