逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

ダーウィンの進化論とアメリカの福音派(原理主義)

2008年09月22日 | 宗教
欧米一神教社会では、純粋な科学論議であるはずの地動説や進化論が何故、政治的な議論の対象になったり裁判になったりするのだろうか。?

欧米での近代科学の発達と宗教が対立した騒動として16~17世紀にかけての『地動説』をめぐるものと19世紀に起きた『ダーウィンの進化論』をめぐるものと、二つの大きな事件が起こっています。
これらの騒動(論争)は欧米では、専門家だけの論争ではなく、世間一般大衆をも巻き込んだ大事件だったのです。

地動説に対する態度は、ローマ教皇だけではなくルターをはじめとする宗教改革者もガリレオ・ガリレイに対する態度は同じだった。
むしろ、当時の社会一般が反地動説的であり、カトリック教会がそれを代弁していたに過ぎない
ダーウィンの進化論に対しても同様で、多くの抗議と非難が殺到した。

ダーウィン自身も、宗教界だけではなく社会一般からも攻撃される事を予期していた様で『種の起源』の出版はビーグル号での航海からイギリスに帰って来てから何十年も後の晩年まで引き伸ばしている。
当時『進化論』を発表する事は宗教界や一般社会を敵に回す危険があった。
ちなみに、カトリック教会では進化論の立場に立つことが、正式に信者の義務違反でなくなったのは、1950年になってからのことです。

『モースと進化論』

日本における科学的な考古学研究の第一歩である大森貝塚の発見で有名な米国人エドワード・S・モースこそ日本国内に最初に進化論を紹介した人物です。
1877年(明治10年)6月来日。1877年-1880年にかけて東京大学で生物学を教える。
因みに進化論のチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を出版したのは1859年11月24日。
最新の科学知識であるダーウィンの進化論は、モースによって18年後には日本で講義されることになる。
祖国のアメリカでは、進化論を講義するのは大変な覚悟のいることだったのでモースは気負い立って日本で最初の『進化論の講義』をはじめる。
しかしなんと日本では、アメリカとは全く違い非難されるどころか全員が静かに聴いており、最期には拍手を受けたことに拍子抜けする。
母国アメリカとは大違いで、科学に正面から反対する人物は日本では一人もいなかったのです。

『何故科学(進化論)に反対するのか』

欧米と日本での地動説と進化論に対する世間一般の反応は正反対になる。
聖書に書かれている、神の創造物の中で、人間があらゆるものに優先するという記述が、欧米では心の奥底まで根強く浸透している。
単に科学と宗教の対立ということにとどまらず、人間も人間の住む地球も万物の中心ではなくなることが、当時の欧米人には堪え切れなかった。

かつてのローマ法王庁を頂点とするキリスト教会では、生命の厳格なヒエラルキー(階級秩序)を前提として人間という種の特権性を担保していた。
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』以前の社会は、神に最も寵愛された『人』は、あらゆる生物を支配する権利を持つ特権階級の種であり、正に、神の似姿としてこの世界に創造された存在だったのである。

生物は連続的に進化してきたとするダーウィンの進化論に対して、現在でもアメリカの宗教右派(根本主義)が強硬に反対したり、聖書の創造説で科学理論に対抗したりするのは『人間という種の特権性(神の寵愛)』をダーウィンの進化論が否定するからです。
聖書の記述に忠実であろうとすれば、人間は人間以外の祖先や起源を持っていてはいけないのであり、人間(ホモ・サピエンス)の祖先が猿人や原人などのような現在の人間にあらざる者であったりしてはならないのである。
ましてや、キリスト教的な生物のヒエラルキーにおいて下流に属する類人猿などを祖先に持っているのは論外であり、仮にそれを事実であると認めるならば真理しか記述されていない聖書に矛盾しているという信仰上(根本主義的な信仰上)の窮地に立たされることになる。

ユダヤ・キリスト教的伝統では『われわれは、自分たちが堕ちた天使である』と考えることに慣れている。
少なくとも堕ちた天使には希望がある。
『贖罪と神の恩恵に対する希望』そして聖職の階段を逆に上って元の場所に戻るという希望がある。
しかしダーウィンの進化論(自然淘汰)は、われわれに上るべき階段も与えず地上に縛り付ける。
チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の考えは、他の全ての生物ともども人間を神の創造物の地位から引きずりおろし、進化によって便宜的に作られた歴史的偶発物にまで貶めてしまった。

『科学の勝利の後』

その後、地動説や進化論は正しいことが認められ、科学が宗教に勝利した。
科学に対して、神からの干渉がなくなった其の後に生まれたのがヒューマニズム(人間中心主義)で現在の欧米の思想の根底となっている。
歴史における地動説や進化論論争のような科学と宗教の対立は、社会が中世的なものから近代的なものへ転換していく過程での騒動だったといえます。

しかしアメリカでは、この騒動(科学と宗教の争い)は未だ収束していません。
アメリカの宗教右派(福音派)のサラ・ペイリン・アラスカ州知事が共和党副大統領候補に選ばれた原因も、アメリカ国内にどれ程多くのキリスト教原理主義信奉者が多いかの結果に過ぎない。

『ヨーロッパ近代科学誕生の誤解』

日本人的な常識論では、
『もともとキリスト教が、人間中心主義の立場から森羅万象を説明しようとする論理を構築していた』
『近代科学はそのできあがっていた論理をひっくり返し、再構築したもの』
『キリスト教自体の中に近代科学の芽が内包されていた』

しかし、これ等の説は、結果(科学の勝利と人間中心主義、現在の欧米の主流ヒューマニズム精神)から原因を類推したキリスト教に対する美しい誤解に過ぎない。

長らく西欧は、科学技術では中東イスラム世界やインド、中国などの東方世界よりも数百年も遅れた世界の未開の辺境の一地方にすぎなかった。
学校で習った、近代西欧の三大発明と言わる羅針盤も活版印刷も火薬も東方世界では西欧よりも500年程度前に既に発明されていた。
欧米一神教世界の科学発展の原因は、15~6世紀当時のカトリック宗教改革の結果、大きく傷ついた『宗教の権威』を何とか復活しようとした宗教界の努力の副作用(副産物)だったのです。
今までのような宗教的な権威だけでは如何にもならなくなったキリスト教の行き詰まり状態を、科学的な方法で再生(再構築)しょうとした。
西欧人が世界の各地を探求して博物蒐集した理由は、世界が聖書の記述どうりに出来上がっている事を証明する為だった。
科学は、『聖書の無謬性』を証明する道具として利用されたのです。
しかし単なる宗教の道具(僕)であった科学が、下克上、主客転倒して宗教を圧倒して勝利したのがダーウィンの進化論だった。
宗教(キリスト教)に対する『科学』の勝利の結果が、其れまでの神(聖書)中心の社会から、人間中心主義(ヒューマニズム)への移行だったのです。

だから今のような科学万能、ヒューマニズム万能の世の中でも、サラ・ペイリンの様なアメリカの宗教右派(福音派)根本主義者達は、進化論やヒューマニズムは、絶対に認められない、許すべきでない神の敵と看做し続けている。
同性愛いわんや同性婚や婚前交渉、妊娠中絶、人間として扱わない受精卵の研究等は、神の教えに反する行為なので断固反対する。
全ての正しい真理は『聖書』に書いてあるのです。

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