『落語の花見酒』アメリカの金融工学
酒飲みが2人で商売をしようと酒樽を担いで、花見客で賑わうお花見の場所に行く話。
後棒が、酒の誘惑に負けて『有り金』の10文で酒を湯飲みで一杯飲んでしまう。
その後、受け取った先棒がその10文で自分も一杯だけ飲む。
その次は後棒が受け取った10文で飲む。これを繰り返している内に酒樽が空になり、大儲けしたと喜んで金を勘定するが、何とたった10文しかない。
今のアメリカの金融崩壊は落語の花見酒ですよ。
サブプライムローンの焦げ付きや株価の大暴落は単なる結果で、一番の問題では有りません。
金が動いている間は誰も気が付かなかったが実体は落語で、高度な金融工学と称して、落語の花見酒をアメリカが真面目くさってやっていた。
アメリカとも有ろうモノがマサカ落語の花見酒をやっているとは誰も思っていないので、世界中がだまされ自分も参加してしまった。
何もモノを造らず動かさず、単に金や証券、信用保証を業者間であっちにやったりこっちにやったり、彼方此方に回している間に何倍にも価値が膨れ上がる錬金術。
会員の間でお金を遣り取りしている間に何倍にも膨れ上がるネズミ講やマルチビジネスとソックリなアメリカ経済。
其れを新しいグローバルスタンダードと称して世界中に広めた。
小泉や竹中平蔵の金融立国とはネズミ講国家のことで、確かに最初は儲かるが必ず破綻が約束されている。
世界の実体経済の4倍にも膨れ上がった金融バブルは元々の大きさまで縮小する筈で、これは日本で経験済みのことです。
『今も花見酒(新自由主義)に浮かれる池田 信夫』
池田 信夫は駄目ですね。
竹中平蔵と全く同じで、経済がまるっきい分かっていないのか。?其れとも分っていて騙しているのか。?
何れかでしょう。
つい最近も自身のブログで経済学の自分のお師匠様の中谷 巌の『資本主義はなぜ自壊したのか』に対して、
>『著者には学生時代からお世話になったので、こういう記事を書くのは心苦しいが、率直にいって8年前の本あたりからおかしくなったといわざるをえない』<
(8年前と言うと橋本竜太郎の構造改革(新自由主義)で日本経済が本格的に壊れかけ出した頃)
中谷 巌は8年前頃から現在の状態に気付き始めていたが、この人物は未だに自分の目の前で起こっている事が理解出来ないらしい。
この辺も竹中平蔵の同類で同じ種類の人間である。
よほど悪魔の碾き臼で有る『新自由主義』に心酔しているのでしょう。
ドル札印刷によるシニョレッジ(通貨発行益)に対して『為替』で繋がっているので日本円と同じとの考え。
(世界の通貨は全て為替で繋がっており、そういう意味ではジンバブエドルさえドルと繋がっている)
池田信夫氏は、
>『外為市場は何のためにあるのか。ドルを印刷するだけでインフレになるのなら、アメリカのデフレはとっくに終わっているだろう』<
と、トンデモナイ事をのたまう。
ドルであれ円であれ印刷経費は額面の金額より格段に小さく、元々はただの紙。
違いは円は日本国内のみでドルは世界全部。(ジンバブエドルはジンバブエだけ)
経済学の基礎知識が有れば誰でも気が付く事ですが、
日本でも印刷すれば簡単にデフレがインフレになる事が分っていたので自民党の一部から『インフレターゲット論』なる主張も出てきたが制御不能に陥りハイパーインフレを起こす危険性も有るので日本政府は我慢している。
この人の脳内では住宅バブルのアメリカが、なんと!日本と同じように今まで『アメリカはデフレ』だったのでしょうか。?
確かに今の日本は世界的に珍しいデフレが10年近く続いていますが、世界中でそんな状態なのは日本だけ。
この人物にかかっては、かっての日本のバブル経済もインフレではなく『デフレであった』と言いかねない。
いやはや可哀相に。完全なる妄想世界の住人ですね。
酒飲みが2人で商売をしようと酒樽を担いで、花見客で賑わうお花見の場所に行く話。
後棒が、酒の誘惑に負けて『有り金』の10文で酒を湯飲みで一杯飲んでしまう。
その後、受け取った先棒がその10文で自分も一杯だけ飲む。
その次は後棒が受け取った10文で飲む。これを繰り返している内に酒樽が空になり、大儲けしたと喜んで金を勘定するが、何とたった10文しかない。
今のアメリカの金融崩壊は落語の花見酒ですよ。
サブプライムローンの焦げ付きや株価の大暴落は単なる結果で、一番の問題では有りません。
金が動いている間は誰も気が付かなかったが実体は落語で、高度な金融工学と称して、落語の花見酒をアメリカが真面目くさってやっていた。
アメリカとも有ろうモノがマサカ落語の花見酒をやっているとは誰も思っていないので、世界中がだまされ自分も参加してしまった。
何もモノを造らず動かさず、単に金や証券、信用保証を業者間であっちにやったりこっちにやったり、彼方此方に回している間に何倍にも価値が膨れ上がる錬金術。
会員の間でお金を遣り取りしている間に何倍にも膨れ上がるネズミ講やマルチビジネスとソックリなアメリカ経済。
其れを新しいグローバルスタンダードと称して世界中に広めた。
小泉や竹中平蔵の金融立国とはネズミ講国家のことで、確かに最初は儲かるが必ず破綻が約束されている。
世界の実体経済の4倍にも膨れ上がった金融バブルは元々の大きさまで縮小する筈で、これは日本で経験済みのことです。
『今も花見酒(新自由主義)に浮かれる池田 信夫』
池田 信夫は駄目ですね。
竹中平蔵と全く同じで、経済がまるっきい分かっていないのか。?其れとも分っていて騙しているのか。?
何れかでしょう。
つい最近も自身のブログで経済学の自分のお師匠様の中谷 巌の『資本主義はなぜ自壊したのか』に対して、
>『著者には学生時代からお世話になったので、こういう記事を書くのは心苦しいが、率直にいって8年前の本あたりからおかしくなったといわざるをえない』<
(8年前と言うと橋本竜太郎の構造改革(新自由主義)で日本経済が本格的に壊れかけ出した頃)
中谷 巌は8年前頃から現在の状態に気付き始めていたが、この人物は未だに自分の目の前で起こっている事が理解出来ないらしい。
この辺も竹中平蔵の同類で同じ種類の人間である。
よほど悪魔の碾き臼で有る『新自由主義』に心酔しているのでしょう。
ドル札印刷によるシニョレッジ(通貨発行益)に対して『為替』で繋がっているので日本円と同じとの考え。
(世界の通貨は全て為替で繋がっており、そういう意味ではジンバブエドルさえドルと繋がっている)
池田信夫氏は、
>『外為市場は何のためにあるのか。ドルを印刷するだけでインフレになるのなら、アメリカのデフレはとっくに終わっているだろう』<
と、トンデモナイ事をのたまう。
ドルであれ円であれ印刷経費は額面の金額より格段に小さく、元々はただの紙。
違いは円は日本国内のみでドルは世界全部。(ジンバブエドルはジンバブエだけ)
経済学の基礎知識が有れば誰でも気が付く事ですが、
日本でも印刷すれば簡単にデフレがインフレになる事が分っていたので自民党の一部から『インフレターゲット論』なる主張も出てきたが制御不能に陥りハイパーインフレを起こす危険性も有るので日本政府は我慢している。
この人の脳内では住宅バブルのアメリカが、なんと!日本と同じように今まで『アメリカはデフレ』だったのでしょうか。?
確かに今の日本は世界的に珍しいデフレが10年近く続いていますが、世界中でそんな状態なのは日本だけ。
この人物にかかっては、かっての日本のバブル経済もインフレではなく『デフレであった』と言いかねない。
いやはや可哀相に。完全なる妄想世界の住人ですね。
そのほかには、「今なんどきだい?」で、代金を少なく払う「時蕎麦」なんていうのもありますね。それにしても、「金融工学」って、怪しい言葉ですよね。
ところが、騙された人たちは無知無学な人々ではなくその逆の人々だったのですよ。一時は経済学等の高等教育を受けた筈の人々が大勢騙されて心酔していた。
日本の多くの優秀な経営者達もリストラなどの安易なコストカットに走り、デフレを加速させてしまった。
間違った人たちは、難解な高等数学を使った高度な金融工学の説く『新しい科学』(ニセ科学)を信じていたのですよ。
規制緩和や民営化、小さい政府と市場原理主義による社会ダーウィニズムが正しいと信じて、日本でも十年以上もの長い間みんなが推進していた。
その結果が現在の金融崩壊から世界大恐慌になってしまっています。
此処で初めて人々は間違っていた事に気付き始めています。
しかし、誰にも完全には理解できない(極一部の経済学者しか理解できない)アメリカ製の高度な金融工学よりも、
聞いた人には誰にでも判る、日本の古典落語の方が経済学的には数段上だったとは大笑いで、此れ以上楽しい話は余りありませんね
たとえば、私は、IAEAの核査察を邪魔する奴らは逮捕する法律を作るべきだというと、ある人が、根拠を示せというんです。
つまり、私の言ったことでは駄目なんですよ。この「根拠男」には評価の対象外なんですね。
さて、権威に弱い人たちは怪しげな金融工学を疑いもなく信じるていたのでしょうね。
権力は、権威を利用して、私たち庶民を操ろうとしているのだと思います。
大学教授が言ったことも、しっかり自分なりに考えて見ないと危ないですよね。
一応は核保有五カ国には削減して最終的には無くして行く義務があることになっていますが、これは努力義務程度で有名無実です。アメリカなどは核兵器の改良や研究を今でも積極的に行っている。
核拡散防止条約(NPT)で事実上の核兵器の独占的な権利を認めている不平等条約の見本のような条約です。
もともとIAEAの核査察の目的は、第二次大戦戦勝国五カ国が日独の敗戦国の核武装を阻止する目的だったとの報道も有る様に、現在一番多く査察されている国は日本国ですね。
要するに『権威ある者の権威を守る』為の条約とも解釈できる。
ところが我々一般庶民的常識では、『権威あるもの』は『権威がある』だけではなく『義務や責任』も同時に有ると考えているが、事実はそうではない。
とんでもない事に、義務や責任は免除されているのですよ。
此れが大問題である。
核拡散防止条約(NPT)加盟国は国際原子力機関(IAEA)の悪しき例は色々なところでも見られます。
『権威あるもの』は自動的に『権威』だけでなく、強制的に『義務や責任』も付いて回る事にしないと駄目ですね。
根拠を示せという「根拠男」の話は『反対(批判)するなら対案を出せ』の話に似ていますね。
しかし、対案を出す事が『問題点の解決』には繋がらす、反対に『問題点の追認』にしかならない場合が多い。
議論の土台を正しく保つ事は案外難しいが、此れが一番重要でしょう。
しかしそれにしても『権威に弱い人』が余りにも多すぎますね。
何の権威も無い北朝鮮が嘘を言うのは理解できても、アメリカが同じだとは信じられない。
『NHKが嘘を言うはずが無い』とか『アメリカともあろうモノが○○をするはずがない』と硬く信じている人は大勢います。
あの竹中平蔵や池田信夫も一応は有名大学の教授ですからね。
竹中平蔵は最近マスコミに頻繁に登場し、簡保の宿叩き売りは民営化前で民営化で是正されているのだとか、派遣労働は問題ではなく偽装請負こそが問題点で有るとかと嘘八百を言い募っています。
(民営化法案成立前の簡保叩き売りは、民営化を前提として行われたのであり、民営化が原因である事は明らかである。
偽装請負は完全な違法行為で、いうなれば一部上場企業のサラ金(派遣労働)に対する暴力団等の無法な闇金(偽装請負)の様な話である)
大学教授が言ったことも、何時もしっかり自分なりに考えて見る習慣を付けていないと、何時でも騙されます。
権威あるものを無条件に信用すると言う事は、何とも危険極まりない話ですね。
人格攻撃が多いし、白か黒かの二元思考な点が、非科学的だと思いました。
きっと経済学者に憧れていたけれど、経済学で博士号は取れていない、そんな屈折した感情を持っているんだと思います。
それと、規制緩和推進論者たちが口をそろえていうこと、官僚による既得権益の打破。
結局、官僚の腐敗への反動が行き過ぎてしまっているんでしょうね。官僚の金儲け第一主義がおおもとの原因としてあるんだと思います。規制緩和も官僚支配の排除を主眼においていましたし、ね。
小泉さんの骨太構想も、結局は官僚によって骨抜きにされていましたが。ふりかえってみると、小泉改革は、緩和すべきところはまったく緩和せず、緩和しちゃいけないところを徹底的に緩和した、という性質のものだったんですよね。
池田さんなどは、劣等感から経済学の主流な人たちや、主流の考えをたたきたいだけだし、伊藤(元重)さんや八代さんなどは、フリードマンに心酔しきっているだけだし。
経済学では「効率性」は常識かもしれませんが、社会というのは効率性だけで割り切るのは非常識です。社会をも経済学の頭で語ろうとするところに大きな間違いがあると思います。「貧困大国アメリカ」を読んで思ったことは、社会や政策は「効率性」だけで語っちゃいけないんだ、ということでした。
>『きっと経済学者に憧れていたけれど、経済学で博士号は取れていない、そんな屈折した感情を持っているんだと思います。』
多分そうでしょう。
経済学的には素人以下ですが、不思議な事に経済学用語を多用して、周りの(自分よりもっと経済学の知識の低い)人たちには『自分は経済の専門家』だと思わせ様としている。
一時日本でも大流行していた新自由主義の陳腐なコマーシャル『結果の平等ではなく機会の平等』などを恥ずかしげも無く今でも主張しています。
池田信夫語では、派遣労働などの無権利雇用が『機会の平等』と言うらしいが、これは『間違い』などのレベルではなく、池田信夫得意のメディアにおける偽情報による『印象操作』とか『プロパガンダ』の類いですね。
只池田信夫が主張(宣伝)する事が、ことごとく根本的に間違っている。
彼は、経済学が何かの思想とか道徳・哲学或いは宗教と勘違いしているのでしょう。
経済学は最もシビアな『科学』である事を理解できていないのですよ。
これは『軍事』の世界が、自分(或いはその他の人々の)の哲学や道徳や宗教で幾等でも自由に解釈できると考えている田母神俊雄前航空幕僚長と同じ種類の人物ですね。
誰にでも夢や空想の世界は有りますが、現実世界と空想世界との垣根は絶対に取り外してはいけない。
しかし軍事とか経済学は、単純な自然科学のようには短時間では検証される事は無く、ある程度の時間的な長さが必要に成ってくる。
それで一時的には田母神氏や池田氏の様に、インチキでも専門家扱いされる不思議な人たちもでてきます。
しかし必ず社会は正しく科学的な原理原則どうりにしか動かないので、彼等の勝手な主張とは関係なしに働き、マスコミが幾等頑張ってもインチキが何時かは行き詰る仕組みになっています。
経済学であれ軍事であれ、科学は個人の主観(思い込みや価値感)とは関係なく動くものです。
今日本の全てのマスコミは官僚が問題だと報道している。
果してそうだろうか。?
キャリア官僚に問題が有るのは事実ですが、今の日本の主要な問題点は官僚問題ではないと思いますよ。
この日本は20年間に渡って日本経済を破壊する(普通なら破産しても良いくらい)根本的な間違った政策を行って来ましたが、未だにもっている。
その原因の一つが日本の官僚です。
官僚は何も造らないが、『何か、決まったことを守る』がその最大の任務です。
日本の色々な特色は殆んど無くなりましたが最期に残ったのが官僚制度ではないでしょうか。?
それなら、新自由主義が喧伝されだしたあたりから、『官僚制度の弊害』が全てのマスコミで言われだした時期が一致している謎?も判ると思います。
今の官僚叩きには『郵政選挙』時の全てのマスコミの同一の報道(宣伝・広報)と同じ臭いがします。
多分官僚叩きは、ある目的を持った政治的プロパガンダの一種ではないでしょうか。?
全てのマスコミの主張が余りにも横並びすぎるのですよ。
>『経済学では「効率性」は常識かもしれませんが、社会というのは効率性だけで割り切るのは非常識です。』<
になるのでしょうね。
一株式会社的に見れば派遣社員の採用や正社員のリストラ、下請けの経費削減などによる効率化は(経営学や会計学では)正しいことになるが、マクロな経済全体を考える経済学では、日本の実験でも証明されたように、社会全体が疲弊する。
新自由主義は経済学の基本である需要と供給の二つの歯車のうちの供給(生産)側だけを考えた間違った考え方で、新自由主義的は効率化では需要側(中間層などの一般市民)の縮小と貧困化は避けれません。
今のアメリカ発の金融崩壊は、正に新自由主義がもたらした『効率化』の(経済学が正しく予想した通りの)当然の結果にすぎません。
官僚の不祥事がこれでもかこれでもかと全てのマスコミから色々と指摘されて、今では日本の官僚に問題が有るのは誰でもが知っている。
同じ事実が繰り返し繰り返し報道される。
この事実から、考えられる事は『本当に官僚が最大の問題である』場合ですね。
それが事実であるなら、日本のマスコミは至って健全で、最大の問題点を探し出して報道する事を使命とする社会の木鐸ですが、果してそうだろうか。?
どうもそのようには思えない。
特に最近のマスコミ(十年前くらいから)は全てのマスコミが横並びで、どのチャンネルを回しても同じニュースしか流さなくなった。
20年ほど前なら皇室報道は日曜日の朝日系の放送ぐらいで、見たい人は見るし見たくない人は見なくても済んでいたが、今では毎日同じニュースで何処を回しても同じ顔が映されている。
放送の均質化は何を物語っているのでしょうか。?
今私達がマスコミ報道だと思っているものは、何時の間にか北朝鮮のピョウンヤン放送と同じ様な国家によるプロパガンダ(宣伝・広報のたぐい)になってしまっていて、知らないのは国民ばかりで、63年前に先祖がえりしているのではないか。?
マスコミが極端な横並びで劣化しだした10年ほど前から、日本の社会は確実に悪くなっています。
これはマスコミが社会の木鐸ではなく。国家のプロパガンダの道具に成り下がった結果ではないでしょうか。?
それなら今のマスコミの官僚叩きは、日本社会の為ではなく、其れ以外の可也邪まな目的が有ることになるでしょう。
聞いた人には誰にでも判る、日本の古典落語の方が経済学的には数段上だったとは大笑いで、此れ以上楽しい話は余りありませんね
たまたま,この一節を読んで感じたこと.皆さんも書店へ行かれるとお分かりだろうと思いますけど,最近なぜか講談社文庫の『古典落語』がないんですよ.昔は角川文庫からも出てましたけど,あれって江戸時代の庶民の「知恵」のかたまりなんですよね.
どうして「古典落語」が売れないのか…….やっぱり日本テレビの「笑点」の堕落,つまり江戸落語の没落が一番大きいと思いますね.上方落語はしっかりした組織を持っていて,古典芸能として確立してますけど,江戸落語は漫才との区別がつかない.単なる「お笑い」になってしまっている.だから,知的な笑いを求める庶民が読まないんじゃないかなという気がしてなりません.
# 古典落語って小学校の教科書か副読本で読まされた記憶があるんだけど…….
例えば,昔は英文学者がもてはやされたので,竹村健一とか渡部昇一なんていう知能の低い連中が知ったかぶりを披露してましたな (今でもか).あとは電通大の教養のドイツ語教員が専門外の政治経済のことにまで口出ししてましたね(笑)
逆に言えば,最初から「専門外のことを口走る評論家」の方がましだと言えるでしょう.例えば亡き,代々木ゼミナールの小田実だとか.昔は予備校教員にこの手の論客が結構集まっていたのですけど,今では「テレビに出て格好良い」人材しか予備校が求めていないせいか,難しいようです (文系の受験生が予備校に来なくなって,三鷹のヤクザの東進現役へ行ったせいで,御三家の予備校は医歯薬受験生しか相手にしていない).私が行ってた大学の教養の語学教員には元予備校教員という人が結構いた記憶があります.