逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

ポツダム宣言受諾の天皇聖断の原因を考察する

2011年02月22日 | 政治・外交、憲法と天皇制

『定説が何処にも無い天皇聖断の怪』

どんな不思議に見える物事でも、必ず科学的で合理的な誰にでも納得できる客観的原因が有る筈です。
『原因』が何も無く、『結果』だけが存在する場合には、其れを世間では『奇跡』という言葉で呼ぶ。
そしてイスラムやキリスト教など欧米一神教社会では『奇跡』は存在するだけに止まらず、教義上の『根本原理である』と考えられている。
しかし、『原因と結果は必ず結びついている』と考えるブッダの見つけた仏教の世界観では奇跡が起きることは絶対に無い。
ましてや現代科学の世界では絶対に『奇跡』は認められないし、有り得ない。
奇跡何ぞは何処にもありません。
いわゆる奇跡ですが、みんなインチキですよ。『原因が何もない』などすべては真っ赤な嘘で、ペテンか詐欺の一種です。
それなら日本の66年前の『天皇聖断』のように原因が何処にも示されなくて、突然『結果』だけがある場合、本当に原因が無いなら其れは『奇跡』なのである。
そして『奇跡』なら、(科学的に見れば)同時にインチキですね。
科学的な思考方法なら、『原因が無い』ではなくて『原因が正しく理解出来ていない』のであり、、それとも判っているが天皇聖断の原因を明らかにすると『不都合なので隠している』と考える。
終戦の決断が、ソ連の対日参戦にしろ、アメリカの原爆投下にしろ、何れでも大問題で原因として『不都合すぎる』のですよ。
前回記事『第2次大戦の結果を受け入れる以外の最善策はあるのか』での、『終戦はソ連の対日参戦が原因』との、私の主張は確かに今までの検定教科書の記述とは大きく違っているが、何ら特別な新しい主張は行っていない。
書いてあることは、全ては今までみんなに知られている事柄ばかりです。
其れをほんの少し捻って考え話を押し進めて『隠れていた結論』まで出している程度の話ですよ。
例えるなら、犬が西を向いていることが皆に分かっているなら、それなら多分尻尾は必ず東を向くだろうと言っている程度の常識の話なのですね。
ただみんなは如何してもこの『尻尾』(敗戦の決断原因)の話を認めたく無いし、言いたくないのです。

『冷戦の敵国同士米ソは、大戦では同盟国』

(大戦後に冷戦が始まり20年前まで続けていたから)『米ソが同盟国でなかった』何どの考えは、今の分かっている事実を時代を遡って別の時代にまで拡大解釈している間違った解釈である。
歴史経過や今の客観的事実を完全に無視しては駄目です。
一体全体、みなさんは第二次世界大戦とは『なんだった』と思っているのでしょうか。?
日本などの枢軸国側と、米英ソ仏中の連合国の戦争だったのですよ。
事実、戦後に連合国(国連)UNの常任理事国にはこの5カ国がなり日本やドイツには敵国条項が残っている。
この事実を完璧に失念している。
そして1945年8月15日の世界大戦の戦争終結後、即座にアメリカは次の戦争(冷戦)を準備した。
これはある意味当たり前であり『戦争は政治の延長』であるのです。
アメリカにとっての『戦争』とは、無駄に大きい日本の公共事業と全く同じ意味を持っている。
ですから一つの公共事業・工事(大戦)が終われば、すぐさま冷戦という名の次の公共事業を始めるのです。
意味不明の日本の諫早湾埋め立てと同じで『行うこと』自体に意味があり、『冷戦』の事業内容の中身には元々それ程大きな意味はありません。
多くの皆さんは、大戦終戦後の次の戦争である40年も続いた冷戦のイデオロギーのバイアスが影響しすぎて、それ以前の戦争である米ソが同盟して日独と戦った『大戦』の意味の判断を誤っているのです。
日本人的に、同盟国だったから戦争にはならないではなくて、事実はその反対で、政治や外交では2人も正統な天皇がいた太平記の世の中と同じで、今日の同盟国は明日の敵は当たり前の常識です。
大戦でイギリス軍を攻撃した日本は、長い間イギリスの同盟国だった。
みなさんは、同盟国というから何か仲が良いと勘違いしているようですが、そんなことは理想ではあるが事実ではない。
例えばドイツと日本ですが、ヒットラーの考え方ならアーリア人の優越性を称えてドイツ人の純潔を汚す純粋でない血統のスラブ人やユダヤ人の絶滅を考えていたとすれば、白人でもない日本など劣等民族中の劣等種ですよ。
勿論日本側も八紘一宇で日本以外は劣等種でどっこいどっこい。
何かの歴史の間違いで、枢軸国側が勝って世界を分割して日独が国境を接する様な事態になれば同盟国である日独両国の間で即大戦争が勃発するのは当然です。
同盟国同士の戦争は、『考えられない』ではなくて、その正反対の必然なのです。
№1のアメリカの敵国は必ず№2の実力の有る国である。
それなら大戦時は全欧州大陸を支配したドイツがアメリカの敵国で当然であり、大戦終結後には同盟国だった№2の軍事大国ソ連が次の戦争(冷戦)の相手(敵国)だったのも当然な話なのです。

『結果には必ず原因がある』

其れより一番困ることは、『ソ連軍対日参戦とポツダム宣言受諾は無関係』と仮定すると論理的に困ったことが起きる。
それでは天皇の聖断の原因はアメリカの原爆投下だとの説を支持する久間防衛大臣の『仕方が無い』やトルーマン大統領の100万人の米兵の命を救った(日本人2000万人を救った)を否定出来ない。
『原因』と『結果』とを関連付ける論理的な考え方を無視しては駄目で、因果関係を無視して何かを考えてもまったく無駄なことです。
8月6日以前は、日本は着々と本土決戦を準備していたのです。
ところが突然心変わりした。
誰かが、『ソ連参戦は関係無い』と主張するなら、それなら『原爆投下が戦争を終結した』との恐ろしい結論に、必然的になるのですよ。
勿論日本人全員が原爆が戦争終結の原因だとは考えたくない。
だから久間防衛大臣は『仕方が無い』発言で即辞任に追い込まれたのです。
ところがもう一方の『ソ連軍参戦』も絶対に認めたくない。
しかしこの二つ以外には、突然日本が心変わりした原因が見当たらないのですよ。
今のように両方否定するなら、別の第三の原因を指摘しないと、単に足をばたばたさせて『嫌だ嫌だ』『違う違う』といっている子供と同じに成り、これでは科学的な何らかの『論』の客観的な根拠とはなりません。

『多くの日本人は今でも冷戦思考から一歩も出ていない』

ソ連軍による、日本の千島列島攻略戦は当時、日本周辺の海域は米軍が完全に制空権も制海権も握っていたのですから、例えソ連軍でも米軍の承諾の無い一切の軍事行動は無理なのです。
地続きである欧州大陸で競合関係にある米ソと、大陸とは200キロも離れた対日戦での米ソ協調関係とは違っていて当然なのです。
今も昔も、ソ連(ロシア)とは巨大な陸軍国で、そして欧州とはイギリス以外は全て地続きで障壁が無い。
だから、イギリスやフランスが世界最強を誇ったドイツの鉄の軍団を破ったソ連軍戦車隊を恐れるのは極々当たり前だと思いますよ。
何の不思議もありません。
『ソ連参戦によって昭和天皇聖断が下されたとするなら、日本が米ソの同盟関係を知っていないと無理ではないか。?』
との考え方ですが、この場合には同盟関係の有無と、天皇聖断の因果関係はないでしょう。
単に日本の天皇や高級将校達は『アメリカ軍には降服しても良いが、ソ連軍にだけは捕まりたくなかった』だけなのです。

『敗戦後も続いた日ソ両軍の交戦』

皆さんは、何故ソ連軍との戦闘が8月15日の日本の敗戦後も続いたのかの不思議を考えたことがあるのでしょうか。?
交戦とは両軍双方に戦闘の意思が無いと実現しない。
中野学校のルパング島の小野田少尉のような特殊な例を除けば日本軍は連合国軍の武装解除に素直に応じて日本占領軍(アメリカ軍4個師団)を攻撃しようとした例は無いのですよ。
例外が関東軍参謀本部や樺太や千島守備部隊なのです。
これ等の地域では連合国の武装解除に抵抗して、ソ連軍に対して公然とポツダム宣言に真っ向から反する攻撃命令を出しているのですね。
何故その様な軍事戦略として無意味で、無謀すぎる理不尽な命令を部下の兵士に命令したかの理由は極簡単で、前の記事にも書いたように高級将校達は自分達の身を守る為に部下を犠牲にして(時間を稼いで)大急ぎで日本本土に帰国した。
アメリカ軍には降服しても良いが、なんとしてもソ連軍だけには降服したくなかったのです。
本土に無事帰国できた悪魔の飽食の731部隊の石井軍医中将は細菌戦争でアメリカ軍に協力したので敗戦しても戦犯には問われることは決してなかった。
戦争犯罪は免責されたのです。
石井四郎が逃げ遅れてソ連軍に捕らえられていたら極悪非道な戦争犯罪人として間違いなく処刑されていた。
彼等高級将校は、この事実を何よりも誰よりも良く知っていた。
だから部下には徹底抗戦するように厳命して自分だけが助かる様にした。
8月15日の日本の敗戦後にも戦争を続けて日ソ両軍の兵士に対して犠牲を強要したのです。
歴史の事実は、頑強に抵抗する日本軍の為にソ連軍は1945年8月15日の敗戦後の戦争で、アメリカ軍の沖縄攻略戦に匹敵する膨大な、全く意味の無い多くの犠牲者を出している。
この無駄な犠牲の多さが60万人の日本兵捕虜のシベリヤ抑留の根拠ともされたのですから日本軍の高級参謀達の罪は二重三重に重い(悪質)のです。
これだけ時間が経過したのですから、もういい加減に、日本人も隠し続けている真実の歴史に対峙する決意(覚悟)が必要ではないでしょうか。
例え辛い現実でも今のような冷戦構造のイデオロギーに汚染された不正確で間違った結論に惑わされているよりも、科学的な歴史の真実を知る必要があるでしょう。

『本土決戦の意味するもの』

1945年8月時点で日本側には勝つ見込みは0であったのです。
それなら残されたのは、如何にして有利に停戦(降服)するかの条件闘争なのですね。
具体的には国体の護持(天皇制の維持)だったのです。
これは対アメリカなら可能なのですが、ソ連では絶対に無理なのは誰でもが思いつきます。
怒涛の勢いで進軍するソ連軍が日本本土に辿り着く前に、何としても戦争を終結する必要が絶対に大切なのですね。
ソ連軍かアメリカ軍か、あるいは両方が挟み撃ちか。
本土には無傷の日本軍精鋭部隊300万人が本土決戦の為に準備されていたのです。
捨石だった硫黄島守備隊の2万1千人や沖縄戦の12万人なんか問題ともならないほどの最強の軍隊が無傷で本土に残っていた。
『上陸することが想定されません』どころか、敵軍の上陸を想定して日本軍の全ての戦略は作られていたのです。
ところが水鳥の羽音に驚いて総崩れになった平家ではないが、ソ連軍参戦を聞いて、突然何の抵抗もせず、敵軍が一兵も上陸する前に早々と降服した事実を見逃しては駄目でしょう。
太平洋戦争での日米決戦は日本が降服した1945年8月15日時点では半分しか決着が付いていなかったのですよ。日本軍の半数は遠征軍として海外に派遣されたが一億玉砕の本土決戦用に日本軍精鋭の半数は温存されていた。
日本軍が戦ったのは数千キロも本土とは遠く離れた辺境地域だけだった。
本土決戦を回避して全面敗北した日本のような、こんな例は歴史上まったく無いのですよ。
『ソ連参戦が原因ではない』なら、前の記事にも書いたように、それなら本土の日本軍とは戦意が全く無い真底臆病な腰抜け軍人ばかりで編成されたオモチャの軍隊だったとの歴史の記録とは違いすぎる不思議な話になる。
戦争とはゲームとは違い、何処の国でも全ての国は古今東西すべての例外なく、地獄の『本土決戦』を否応無く行っているのですよ。
敵兵の大軍が自国に雪崩れ込んだ後で、やっと本当の戦争になる。
ところが、これを行わなかった例外が(真底の根性無し、あるいは完璧な無抵抗主義?あるいは徹底した平和主義?)の日本だけなのです。
66年前の日本国以外、全く世界に一つの例も無いのです。
何故こんな不思議なことが起きたのかの理由を、今の様に『天皇聖断』のあやふやな定説に惑わされること無く冷静に考える必要があるでしょう。


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2011年02月19日 | 政治・外交と天皇制

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10 コメント

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Unknown (グーパーすると車酔いしにくくなるよ)
2011-02-21 17:12:31
いやいや、ソ連軍の侵攻に対する(日本軍の)抵抗によって、「北海道」は守られたというべきでしょう。
日本がソ連を敵としなかったのは、1、敵視することによって軍事力をこれ以上割くのは愚策。2、日本の政権・軍部内にも親ソ派(親共産主義)がいたと考えられます。
返信する
この記事は、 (宗純)
2011-02-22 15:55:11
当ブログの前回記事である、『第2次大戦の結果を受け入れる以外の最善策はあるのか』2011年02月19日 | 軍事、外交
の後編であり、双方を入れると1万数千字もあります。
グーパーすると車酔いしにくくなるよさん、はじめまして。

コメントは記事の内容を全部読んでからにして頂きたい。
返事のコメントが重複してしまうので、今回のように携帯でのコメント投稿は御遠慮下さい。
当ブログに着ていただいている読者のために良好なブログ環境を維持する目的とコメント管理の必要上、タイトルや名前の無いもの、あっても個人が識別でき無いコメントは塵として削除するローカルルールがあり、次回投稿時からはタイトルを忘れずにご記入して下さい。是非とも御願い致します。

ソ連軍の対日軍事行動は1945年2月のアメリカのルーズベルト大統領とソ連のスターリンのヤルタ密約の範囲に止まっていたと見る方が合理的でしょう。
当時の日本周辺はアメリカ軍が絶対的な制海権、制空権を掌握していたのですから、アメリカ軍の承認の無い如何なる軍事行動も無理であったと考えるべきです。
ですから日本軍がどうのこうのとか、ソ連軍やスターリンがどうのこうの等は枝葉の些細な事柄であり、軍事行動のすべてはアメリカ(トルーマン大統領)の考え方一つで実行が可能だった。
しかも日本列島は、大陸とはドーバー海峡で隔てられていたイギリス以上に大きく離れた位置にあるのですから、この制空権制海権の確保こそ全てに優先する事柄であり、この問題点抜きでの今回のような議論は無意味ですね。
返信する
怪しさ満載の天皇聖断という用語 (現田石)
2011-02-23 00:09:14
こんにちは、今日は軽めの現田石です。
天皇聖断という用語ですが、昭和22年以前ならいざしらず、21世紀の今この語をそのまま用い続けている事自体、怪しさ満点ですね。
私があれこれ考えるに、「天皇大決断」ぐらいでよいのではないでしょうか。英語ですとImperial decisionでしょうか。
天皇は政治機関であり、決断にはかならず明確な原因があるのでしょう。
返信する
もっとも難しい負け戦での戦争終結 (宗純)
2011-02-23 16:27:18
現田石さん、コメント有難う御座います。

博打と戦争の共通点ですが、自分が負けている時に止めるのは、勝っている時よりも桁違いに難しいのですね。
それも、負けが酷ければ酷いほど難しくなる。
余程の実力の有る政治家でも困難な、『敗戦時の戦争終結』を行ったのであるから、名称がこれはもう『天皇聖断』しか無いのでしょう。
ただこの天皇聖断説では、これを『論』として明確にするとトンデモナイ困ったことが起きてしまうのですね。
戦争責任(A級戦犯)問題です。
これが免れない。
だから必然的に、この問題は日本国では常に曖昧にしか出来ない。
何故なら負け戦の戦争を止めさせる能力があるなら、其れとは比べられないくらいに簡単な開戦の阻止も可能だったのです。
歴史事実は全ての戦争が同じですが、日本では統帥権を握る天皇の指示命令で太平洋戦争は始められているのは歴史的事実であり、それならヒロヒト天皇の戦争責任は明確であり逃げられない。
イタリアのムッソリーニは愛人共々処刑されて逆さ磔で、ドイツのヒットラーは自殺だが遺体は粉々にされ跡形無く処分されているのですから、天皇聖断が事実なら、論理的な科学的思考の行き付く先は明確で、日本のヒロヒトのA級戦犯での絞首刑は免れることは難しい。
天皇が負け戦を終戦にすることが出来たなら、自動的に開戦の『責任』が証明されてしまう。
この論理は中学生程度の思考力があれば誰も否定できないのですが、22年前の昭和天皇下血騒動で、日本共産党ただ一人、この問題を取り上げて連日機関紙赤旗紙上でキャンペーンを行うのです。
この勝負はご存知のように幾ら正論でも多勢に無勢で共産党の一人負けに終わる。
日本の敗戦の決定の原因ですが、『天皇聖断』の原因は(1)原爆投下(2)ソ連参戦(3)天皇が偉かったの三つのうちの何れか一つしかないのです。
または可能性は低いが(1)が30%で(2)が60%で(3)が10%などこれ等の複合型も考えられるが、それでも主因は矢張り三つの内の一つですね。
ところがこの三つの内のどれもが政治的なタブーであり、明らかにすると問題があり絶対に駄目なのですね。
科学的な客観的検証を加えると日本政府が引っくり返るほどの大騒動になるのですよ。
明らかにすること自体が、政治的なタブーなのです。
そして(1原爆投下)>(2ソ連軍参戦)>(3天皇が偉かった)の順番でタブーの強さが並んでおり、それなら今、日本国では一番弱いタブーである『天皇聖断』と呼ばれているのは論理的には当たり前であるのですね。
私はこの記事で(2)のソ連軍参戦説を称えているのですが、愚樵さんは一番強いタブーの(1)の原爆投下説の立場から(2)を否定している。
多くの日本人では態度が曖昧ながら(3天皇聖断説)の立場から(1原爆投下説)を完全否定しているが(2ソ連対日参戦)に対しては見ざる言わざる聞かざるとの態度でこの話は『思考停止状態』を続けているのです。
それでは日本共産党のヒロヒトA級戦犯説の信憑性ですが、
これは(3)の天皇聖断説が正しければコインの裏表の関係にあるので自動的に共産党の説も正しいのです。
私としてはこの共産党説には論理的に一理あるとは思っているのですが、全面的に正しいとの立場ではないのですね。
これはあまり言いたくない事実なのですが、天才の子供が必ず天才になる確率は低いが、その反対に知能が劣っている親から生まれた子供の場合、可也の確率で親に似るのですね。
そして父親の大正天皇が極度の魯鈍だったことは明確な事実でありヒロヒト天皇の例の口調で連想するのは矢張り魯鈍です。
ヒロヒト天皇が大正天皇よりも各段に賢かったのは事実であると思いますが、比較対象の相手が大正天皇なのですから『本当にA級戦犯の能力』があったかどうかは疑わしい。
ところが、この話自体も矢張りタブーなのです。
当たり前ですが事実であったとしても保守は心情的に絶対に認めたくないし、共産党の方も絶対天皇制に反対して自分達が殺されたり何十年も投獄されたのですが、肝心要の相手の天皇が『責任能力がない』では、それでは余りにも情けなさ過ぎて認める訳にはいかないのです。
日本では右も左もこの点では利害が一致しているのです。
だから今でも不思議すぎる『天皇聖断』の呼称が残るのですが、腹立たしくもあり納得がいかないですね。
返信する
素晴らしい言語能力、大本営発表→玉音放送の切り替え (現田石)
2011-03-04 22:58:22
こんにちは、3月10日の陸軍記念日が近いので、また出た現田石です。
ポツダム宣言受諾の天皇放送の形式も考察して見たくなりました。戦争開始や継続時の戦況に関する報道は「大本営発表」の形式で行われ、『敗戦時の戦争終結』を報道は「玉音放送」の形式で行われ、歴史事実として戦争終結が効率的に行われました。
演説が上手でなくても、大本営発表→玉音放送への用語の切り替えの効果を予測できた者は、素晴らしい言語能力の持ち主です。天皇陛下は、千年以上前から日本語の取り扱いに長けておられるのでしょう。
返信する
大本営発表とは天皇の発表と同じ意味 (宗純)
2011-03-05 16:53:11
現田石さん、コメント有難う御座います。

良く考えてみれば片一方が放送の専門家のアナウンサーの放送であり、もう一方が天皇本人の録音放送である違いはあるが、『大本営発表』も『玉音放送』も本来の意味は同じであるのです。
大本営は、陸軍省や海軍省内にはなく機関としての『天皇』自身の意味なのですね。
陸軍大臣、海軍大臣など内閣の閣僚は単なるオブザーバー程度で発言権が無かったぐらいに天皇の『権威』『統帥権』と一体のものです。
調べてみたのですが、大本営のあった場所の特定が出来ないのですよ。
あれほど有名な誰でもが知らない人が一人もいない『大本営』とは実体が不明(存在していた場所が不明)幻の組織であるのです。
唯一例外は、場所が判ったのは日清戦争当時の広島城内にあった広島大本営と、日本本土決戦時の臨時首都と考えていた長野県の松代大本営建設だけなのです。
意味するところは天皇の統帥権ですね。
日清戦争当時は東京は戦場となる黄海や東シナ海中国大陸に遠過ぎるので不便だったのです。
東京広島では移動にかかる時間が今とは大違いで、一日の時間差があったのですね。
福岡はより近くて便利だが、広島とは違い外海に面していて防御(中国側の奇襲攻撃)に問題がある。
それなら当然候補地は広島しか残らないのです。
長野県の松代は、本土決戦の為に連合国軍が上陸する海から一番遠い場所であるのです。
日本は島国でアメリカ軍の上陸して攻め上るのに一番安全な場所と考えれば当然考えれれるのは長野県の松代だったのですよ。
大本営のあった場所を探しても広島と松代以外には何処にも書いていないのですよ。
そう、大本営の場所とは皇居のことだったのです。
何と驚くことに、天皇=大本営なのです。
返信する
大本営発表を考証してみました (現田石)
2011-05-17 21:31:05
現田石です。NHKホームページに戦争証言アーカイブスというものがあるのを見つけました。
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/
ここの戦時録音資料中の勝利の記録(一) 開戰―十二月八日―で、ニュースのテキスト起こしがされているので、私は今回初めて文字でじっくり読んでみました。

(引用初め)
勝利の記録(一) 開戰―十二月八日―
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。

我が軍は今朝未明から香港の攻撃を開始しました。大本営陸軍部、きょう午前11時40分発表。我が軍は本8日未明、戦闘状態に入るや、期を失せず香港の攻撃を開始せり。我が軍はマレー半島上陸作戦を敢行しました。大本営陸海軍部、12月8日午前11時50分発表。我が軍は陸海緊密なる協同の下に、本8日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。

大本営海軍部発表。一、帝国海軍は本8日未明、ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し、決死的空襲を敢行せり。二、帝国海軍は本8日未明、上海においてイギリス砲艦ペトレルを撃沈せり。アメリカ砲艦ウェークは、同時刻我に降伏せり。三、帝国海軍は本8日未明、シンガポールを爆撃。大なる戦果を収めたり。四、帝国海軍は本8日早朝、ダバオ、ウェーキ、グアムの敵軍事施設を爆撃せり。

この日、畏(かしこ)くも天皇陛下には、陸海軍大臣を宮中に召させられ、優渥(ゆうあく)なる勅語を賜(たま)う。皇軍恐懼(きょうく)してこれを拝し、士気いや高く上がる。一億毅然(きぜん)立って、戦いを決するの時は来た。大東亜新秩序建設への雄大なる総進軍だ。この戦いにつき、12月14日午後4時半、情報局は次のように発表した。本時の対米英戦は、支那事変をも含め、大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず。
(引用終わり)

よく読んでみると、大本営陸海軍部、大本営陸軍部、大本営海軍部の三つが出てきています。実際に存在した組織は、大本営陸軍部、大本営海軍部の二つの組織のような気がします。たぶん大本営陸軍部は今の新宿区市谷本村町(市ヶ谷)、大本営海軍部は、今の千代田区霞ヶ関1丁目(現在厚生省のあるところ)にあったと私はにらんでいます。
もっと確実な事が、このNHK 戦争証言アーカイブスをよく見れば出てきそうです。まずは、昭和十六年十二月八日のニュースをテキストにしたものに全面的に頼って考証しようと試みました。
返信する
現田石さん、コメント有難う御座います (宗純)
2011-05-18 16:04:08
>『大本営陸軍部、大本営海軍部の二つの組織』があったとの解釈は矢張り無理があるでしょう。
それなら、海軍や陸軍の内部に『大本営』が有った事になりそうですが、開戦の告知とか戦果の発表などでは『大本営発表』の言葉はあるのですが、日本の陸海軍の軍隊の組織編成には大本営の文字は何処にもありません。
大本営は英語ではImperial General Headquarters(インペリアル・ジェネラル・ヘッドクォーターズ)なのですが、インペリアル(天皇の)ジェネラル (全般の)ヘッドクォーター(司令部)の意味なので、『大本営』とは『天皇の総合最高司令部』か『天皇の合同指令本部』の意味となります。
そもそも日本軍は『皇軍』とも呼ばれていて日本国の軍隊である前に、『天皇の私兵』(天皇の親衛隊)であるとの建前ですね。
日本以外のその他の普通の国なら陸軍参謀本部発表であるとか、総司令部発表などとするところを、箔をつける目的で(皇軍の)『大本営発表』としてラジオで放送していただけなのですね。
日本では建前としては、軍隊の統帥権は政府には無くて天皇一人にあるとされていて、この『天皇の統帥権』とは絶対不可侵なのです。
国軍ではなくて、正に天皇の私兵扱いであるのです。
ですから『大本営』の意味するものとは『ヒロヒト天皇』の意味とほとんど同じであり、天皇の同義語なのです。
ところが日本では困ったことに歴史的に『責任者には責任は無い』ことになっている。
ましてや天皇のような最高責任者ならもっと責任は無い。
その『大本営』の中身ですが、東条英機などの日本軍に寄生する高級軍事官僚が『大本営』(天皇の統帥権)を僭称していたのが、ほんとうの『真実』でしょう。
その意味では、>『大本営陸軍部は今の新宿区市谷本村町(市ヶ谷)、大本営海軍部は、今の千代田区霞ヶ関1丁目(現在厚生省のあるところ)』で、参謀本部や司令部と同義語だったとの話になってしまいますね。
返信する
大本営は帝国陸海軍統合の象徴なのでしょう (現田石)
2011-05-19 14:24:01
現田石です。回答ありがとうございます。この件ですが、あっさり言うと「大本営は(国民に対する戦意高揚のための)帝国陸海軍統合の象徴だった」とも言えるのではないでしょうか。
NHKニュースで、単に陸軍、海軍と言えばすむものをなぜことさら頭に大本営をつけるのかについて考えるとこういう結論になりました。
どこか日本国憲法第1条の文面に似ていますがそれは気のせいでしょう。
返信する
あるようで無いし、無いようで有る (宗純)
2011-05-20 10:18:57
現田石コメント有難う御座います。

『大本営』ですが、これ程有名であるのですがその実体は多分『天皇の統帥権』と同じであるでしょう。
御存知の様に『天皇の統帥権』は超有名で誰でもが知っているし、絶対不可侵の最高権威であるのですが、それなら本当にヒロヒト天皇に『絶対不可侵の統帥権』があったのかと考えたら、これがさっぱり判らない。
まったく不明なのです。
まあ、本当にヒロヒトに絶対権限が存在していれば、これでは幾ら戦後処理に有利であるとか無いとか理由付けしても、A級戦犯として極東軍事裁判で絞首刑は免れようが無い。
それで忠臣だった東条英機などが全責任を取って身代わりになって処刑されたのだとの解釈も出来ますが、・・・う~ん。
これは矢張り思考過程に無理がありそうですよ。
有名だが実体が良くわからない大本営ですが、これはアメリカ軍やCIAが9・11以来10年間も追いかけているのに実体がいまだに不明のアルカイダと同じですね。
有名すぎるほど有名で誰でがしっている。
しかも、どちらも『有る』ようだが無いし、『無い』ようだがある摩訶不思議な正体が判っているようで判らない代物です。
そもそもアルカイダの出自は、アメリカのCIA自身が対ソ連用に作り出したテロ組織でありアメリカのCIAとは切っても切れないしがらみがあり、その実体は多分今でのCAIとは一体の構造でしょう。
それと良く似た話で、大本営は戦争時に日本軍が創り出したのですから、日本軍とは一体不可分であり天皇の統帥権とも一体不可分。
軍が天皇の権威(統帥権)を隠れ蓑に使って創造した不思議な組織が多分大本営ですね。
ですから見方によれば『天皇』そのものにも、『軍隊』そのものにも見えるのでしょう。
返信する

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