逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

産経社会部『産経新聞が初めての下野』

2009年10月18日 | 社会・歴史

2009年08月31日 Twitterの書き込み、『産経新聞が初めての下野なう』
『でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。』『これからが、産経新聞の真価を発揮するところ』という産経社会部記者の投稿に読者からの批判が殺到。
流石の産経も批判の多さに堪えきれず、『たくさんの厳しいご意見をいただきました。軽率な発言だったと反省しています。ご不快の念を抱かれた方には、お詫び申し上げます』『産経新聞は、保守系の『正論路線』を基調とする新聞です。
発言は、新政権を担う民主党に対し、これまで自民党政権に対してもそうであったように、社会部として是々非々の立場でのぞみたいという意思表示のつもりでした』と一応謝罪している。
これに対し産経新聞社広報部は、
『「不偏不党」を社是としており今後も方針に変わりはない。』『一部内容に誤解を招く表現があったので、社会部選挙班として説明と理解を求める趣旨の文を提示した』と釈明した。


『日本の報道機関だけが不偏不党?』

産経新聞広報部が主張するように産経新聞を『不偏不党』だと思っている日本人が果たしてどれだけいるだろうか。?
はなはだ疑問だが極少数である事は間違いないだろう。
何故なら当の産経新聞社会部記者すら、謝罪文で『保守系の正論路線を基調』と明確に自身の政治性を明らかにしているのです。
そもそも産経のように自らの主観的判断(独断)を『正論』などと命名する時点で、『聖教新聞』と同程度の唯我独尊のカルト的立場を示している。
しかし日本のマスコミ各社は、何も産経に限らなくとも、全てが『不偏不党』『厳正中立』を旨としているが、産経のいう『不偏不党』と同じで、これほど読者に対する無責任であつかましい態度も無いだろう。
細川8党連立内閣成立に手を貸した民放の報道姿勢を暴露した椿報道局長発言や、自民民主大連立をお膳立てした読売新聞の渡辺恒夫の話や、歴代自民党首相の組閣や各審議会委員の選定に絶大な権限?を持っていた各新聞社幹部や、NHK記者が所信表明演説の原稿を書いていた話など政治とマスコミがずぶずぶの関係で、不偏不党でない事は関係者でなくとも国民の皆が知っている。

『新聞は明確に主張する』

政府発表の解説なしの報道(広報)は、単なる『通信社』の仕事なのです。
『報道』とは、事件事故の速報(ワイヤーサービス)を行う事ではなく報道機関の本来の重要な任務とは、政府広報や事件事故の検証、解説、批判を行う事なのです。

そして幾ら厳正中立を標榜しようとも、報道機関の取材して得られたニュース(情報)の量は膨大であり、沢山の中から『何を報道し、何を報道しないか』を決めるのは、この『報道機関』自身の権限で、実はこの事はニュースの内容以上に報道機関の性質(目的)を決定する。
市民一人一人が経験できる範囲は限られているし、得られる情報の量にも自ずと限界がある。
幾ら重要は情報であろうとも『報道機関』が取捨選択した結果、公に『報道しない。』となれば、一般市民が知る事の出来る『情報』とはならない。
新聞社などの報道機関の重要な役目(報道)とは、もっとも重要な役割である情報の『取捨選択』を行い、『何がニュース(情報)報道であるか』を決定する事なのです。
この戦略的(取捨選択)判断の後、例えば政府の行う発表を(戦術的に)検証したり解説したり批判したりもする。

『不都合な情報は隠される』

いくら重要なニュース(情報)であろうともメディアが報道しない限り、記事にはならないので一般市民は知る事不可能である。
例えば、小泉政権が行った北朝鮮バッシングの一環として『横田恵さんDNA偽造事件』では、高温での焼却された骨の日本の『驚愕の鑑定技術』を科学的に画期的出来事として世界的科学誌のネーチャーが取材しようとした。
この取材過程で日本政府のいかがわしい非科学的な政治工作が発覚。
小泉政権は、あくまでも日本側インチキ鑑定の偽造を『真実』であると言い張った為に科学誌側(ネーチャー)と論争となり、日本の非科学的な偽鑑定とその後の姑息な隠蔽工作はネーチャーが何度も記事しているので、世界の人は知っている。
ところが肝心の日本人は『日本に不都合な事実』を知らされていない。
この様に世界的に日本国の愚かさは明らかであるが、当時の細川官房長官の犯罪的な愚行を報道した日本の新聞社は一社も無かったので、今でも一般的には日本政府の国際的な『恥さらし』を知っている日本人は極少数でしかない。
因みにお隣の韓国では大手新聞社が詳しく報道している為に、ほとんどの韓国人は日本政府が北朝鮮に行った汚い手口と、その後ネーチャーに論破され大恥をかいたことを良く知っている。
このように北朝鮮問題では、多くの不都合な真実が『救う会』の攻撃を恐れるあまり、報道機関自身の自己規制で公にされずや闇に葬られたままになっている。
その結果が、日本の極端な右傾化と社共の衰退であった事は論をまたないであろう。


『記者の仕事とは』

新聞社や記者(報道機関)を多くの皆さんは誤解しているが、報道機関の主な仕事だと思っている取材活動は『主な仕事』ではなく、『付随した仕事』にすぎず、取材する前から『何を書くか』は記者の脳内で既に出来上がっており、記事の為の『独自の判断』?の裏付けとして取材や調査を行うものです。

一般的な認識では、テレビやラジオのアナウンサーは『記事』(事実)を正確に読者に伝えるのが仕事で、これに対して記者(新聞社)は取材によって事実を集めて、それをもとに記事を書くのだと思っている。
事実は、新聞記者が書くのは事実ではなく、解釈された事実でもなく、その記者自身の主張なのです。
書かれるべき内容の主要部分は取材対象にではなく、記者自身の脳内にあり、記者が取材に行くのは、事実を積み重ねるためではなく、自己の主張に沿った情報をネタとして仕入れる為である。

『記者(新聞社)はえらい』

原稿を読んでいるだけのアナウンサーとは大違いで、実は『新聞記者』は、作家(小説家)と同じ仕事(作業)をしているのです。
良い新聞記者が記事を書く為に綿密な取材が大事であるように、良い小説家は何かを書く前には、取材に膨大な時間を使うものなのです。
記者と作家とは同じ仕事をしているが、唯一の違いは作家の方は作品に現実感を出す為、出来る限り控えめに表現するが、記者はより過激に扇情的に表現して現実感にプラスして緊迫感、臨床感も出すところ位でしょう。
特に良い記者(新聞社)は出来る限り短い時間で出来る限り多くの『事実』を取材する。
そしてここが一番大事な事柄ですが、取材で集まった多くの『事実』の中で、書くものと書かないものを(記者の独自の政治的判断で)『取捨選択』する。
この様に、記者も作家もまったく同じ作業を行っている。だから(司馬遼太郎が偉いように)記者はえらいのです。

『何を報道するか。?』

新聞には一般紙以外にも、『機関紙』と言って政党や労組などの何かの『組織』が発行しているものも有り、新聞にはこれ等機関紙のように『何を報道するか?何を報道しないか。?』を明確にしている存在もある。
欧米先進国、特にアメリカでは各新聞社は支持政党を鮮明にしていますが、日本では新聞は『不偏不党』いずれにも偏らず誰に対しても公平と言う建前になっています。
建前は誰に対しても公平ですが、本当にそうではない。
確かに日本新聞協会の『新聞倫理綱領』には、『報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。』と書いてあるが、事実は新聞をよく読めば誰にでも判ります。
先程の産経新聞社会部がインターネット上での『産経が初めて下野』と書き込んだ事件は象徴的である。
3海峡封鎖や不沈空母発言の中曽根内閣の時には産経新聞は、今にもソ連軍が北海道に攻めて来る話を連日書いていました。
産経新聞は中曽根康弘の機関紙の心算だったのでしょう。
今は、『新しい歴史教科書を作る会』か安部晋三や石原慎太郎の機関紙のようでもありますが、全ての新聞はそれぞれの人達の、ある意味では、それぞれの機関紙なのでしょう。

『何を報道しないか。?』
一般には記者(新聞社)が『誰に対して何を書くか』『何を報道するか』が問題だと考えられている。
ところがそれらは最重要問題ではなく、社会全体にとってはメディアが『何を報道するか』以上にマスコミが『何を報道しないか』が実は一番大事なことなのです。




関連記事

『横田めぐみさんのDNA鑑定、日本版ネオコンが偽造』(2008年03月03日 | 朝鮮、台湾問題)

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (続)日本だけの特権的談合組... | トップ | 『攻撃やめて』伊情報機関が... »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
無冠の帝王 (ましま)
2009-10-18 17:55:10
かつて新聞記者は無冠の帝王とよばれていました。一匹狼的な人が多く、取材や質問の態度も「国民を代表して聞いているんだ」という気概がありました。

記者クラブは功罪ともにあります。クラブがないと特定なお気に入り記者だけにリークするなど不公平がおきます。

お気に入り記者とは、当然当局に有利な記事を書く記者です。そのような事態には、記者クラブ名で抗議文をつきつけました。

つまり当局側としては記者を分断状態におく方がコントロールしやすいのです。麻生首相にあのような無礼発言させ、へらへらしているようなことは、昔の記者にはなかったように思います。

もっともクラブがあっても太鼓持ち記者が多くなったのは、質の劣化としかいいようがありません。
返信する
イエロージャーナリズム (逝きし世の面影)
2009-10-19 10:08:18
ましまさん、コメント有難う御座います。

日本では、ジャーナリズム全体のあり方(権力との距離感)が昔とは大きく様変わり。ここ十数年で質的に大きく変化しているようですよ。
昔は国家権力のようなものから一定の距離を置くことが正しいとされ、独立独歩『社会の木鐸たらん』とした気概があったように思います。
ところが昨今では政府の各種の審議会委員にマスコミ各社幹部が勢ぞろいして参加していて、政府の政策決定の場に直に参加している。
自分も参加しているので、これでは幾ら問題点が明らかでも非難も批判も出来ない。
たとえば中川へべれけ会見では直前に飲酒していた席上に取材する側の女性記者も同席していたが、これでは飲酒癖を批判できない。
ようは、権力とか権威とかと、報道するマスコミの関係が近すぎるのです。

それで今ではマスコミ主導で政権が出来たり潰れたりしています。
歴代高支持率の小泉純一郎、安倍晋三、細川護熙のトップ3は全てつい最近でもちろん今の鳩山政権も例外ではない。
何故歴代トップの支持率が軒並みここ十数年に集中しているかの謎ですが、まさか昨今の政治家の質が向上したからではない事だけは確かでしょう。
それどころか世襲政治家の跋扈で間違いなく政治家の資質は極端に低下しています。政治は世襲(先例を繰り返してもそこそこは成功する)で勤まるほど簡単な事ではない。
今もてはやされている鳩山由紀夫も小泉首相の全盛時代に民主党代表として『小泉構造改革全面支持』を党首討論で宣言して、まるで小泉純一郎応援団のようでしたよ。
これでは選挙で大敗するのは当たり前です。
当時は『元自民党』幹部だった自分の経歴から一歩も出る事が出来ず、野党第一党党首である自覚が全く無かった。
野党が与党自民党のやる事に全面賛成なら民主党を解党して与党に鞍替えするしか方法が無いじゃありませんか。?
こんな単純な理屈も分からないようなお坊ちゃまでも今の日本では政治家が出来るほどに政治家の質が落ちている。其れもこれも批判するもの(マスコミ)の質の低下と連動している。
今のように批判する対象(権力構造)に近寄りすぎてしまえばまともに批判しづらいし、現状ではマスコミ自身が権力構造の一員になってしまってはなおさらです。
返信する
無法状態です (Runner)
2009-10-21 23:06:22
今日の産経抄では、日本は社会主義国になったのだそうです。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091021/plc0910210316001-n1.htm

誰が見ても不偏不党ではないのに、「不偏不党」と広告することは、明らかに「詐欺」ですよ。
もし、他の業種だったら、たとえば、食品が「添加物は使ってません」と表示しておきながら使っていたらどうなるか。
それを考えると、いかに、マスコミ業界が野放し状態であるかがわかりますね。
もっとも、産経の場合は、誰が見ても不偏不党でないことがわかるので、被害者がどれくらい存在しているのかが問題ですが。
返信する
○○は社会主義だ。! (逝きし世の面影)
2009-10-22 09:41:45
Runnerさん、コメント有難う御座います。

産経新聞は真面目に毎日読むと確実に馬鹿になるが、たまに読むと大笑いが出来たり社会勉強が出来たりと良い事ずくめですね。
アメリカ史上初めての公的健康保険の導入を進めようとしているオバマ政権に対して『公的保険は社会主義だ!』とアメリカで大騒ぎになっているらしい。
アメリカでは(多分日本でも)『社会主義だ!』と言う言葉は完全な罵倒の言葉(差別用語)で、『邪悪である』とか『完全な間違いだ』的な意味を含んだマイナスイメージの言葉に成り果てている。
其れを今共和党や民主党の右派やキリスト教原理主義やネオコンやらの色々な右派勢力が声を揃えて『オバマは社会主義』と連呼しているらしい。
このネガティブキャンペーンが奏功して当選後1年の間で高支持率が今では支持率50%台にまで落ちている。
アメリカでは『社会主義』はネガティブな言葉の代表なのですが、産経新聞もアメリカ基準(グローバル・スタンダード?)で一貫して悪魔の碾き臼であるアメリカ発の新自由主義を信奉していたし、選挙でも民主、共和何れかの候補支持を明確にして報道(宣伝?)するアメリカ流を日本の新聞社の中では一番最初に執っていた。
読者にとっては、新聞各社では記事を書く基準が明確な赤旗と産経が(何が書いてあるか)一番分かりやすい。
前麻生太郎首相は『新聞は見出ししか読まない』ことを自慢していたらしいが、この『麻生流新聞の読み方』は赤旗や産経には完全に当てはまります。
私のように長年読み続けていると、いちいち記事の中身を読まなくても記事の『見出し』だけを読んだだけで、一字一句中身が完璧に判断出来るようになって来るので、あっという間に全てを読むことが出来るのですが・・・・・。
編集者も内輪の記事だけではなく。毎日新聞のように興味深い外部の有識者の投稿記事を入れるとか、もう少し考えないと、これでは読者は喜ばないでしょう。
返信する

コメントを投稿

社会・歴史」カテゴリの最新記事