逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

『裸になって何が悪い』

2009年04月27日 | 社会

『裸になって何が悪い』VS『あなたとは違うんです』

注文殺到!「裸になって何が悪い」Tシャツ
逮捕直前の草さんが警官に言い放ったとされる『裸になって何が悪い』という言葉をプリントしたTシャツが登場した。
オリジナルのTシャツなどを販売するオンラインショップ『ClubT』が事件直後の23日午後から販売。
同店は昨年9月に福田康夫前首相が辞任した際、『あなたとは違うんです』Tシャツも販売しヒット。
同店によると今回のTシャツも『かなりの勢いで注文が殺到している』という。1枚2100円から。




『吉本芸人「裸で何が悪い」と新劇場をPR』


吉本興業の都内5つ目の専用劇場として25日に東京・品川プリンスホテル内にオープンする「よしもとプリンスシアター」の開場式典が24日、同シアターで行われた。
吉本新喜劇の座員らがゲストで登場し、島木譲二(62)が上半身裸になって持ちネタ「パチパチパンチ」を披露。
すかさず石田靖(43)が『裸で何が悪い!』『お酒は飲んでませんが』と“時事ネタ”で笑いを誘った。
今月3日に「舞台に立てないようにしてやる」との内容が書かれた脅迫文が自宅に届いた中田カウス(59)も相方のボタン(61)と登場。
鏡抜きの酒だるを前に「これ飲んだらSMAPの人みたいになるんちゃう?」とニヤリ。草なぎは吉本の芸人にも“大人気”だった。




『抗議殺到で白旗』

ペンタゴンから飯を奢ってもらった経歴?を自慢したりとか、バリ島爆弾テロ事件の犯人のアルカイダが友達の友達?だと公式の場所で明言する『最低の人間(大臣)』に近い人物が、あろう事か有名タレントではあっても一個人が酔っ払ってひと気の無い公園で裸になっただけで『最低の人間だ』と公式の場所で発言する。
抗議が殺到して『言い過ぎた』と自らの発言を撤回するも、全面撤回ではなく『最低の行為』と言い換えた。
鳩山邦夫大臣にとっての『最低の行為』とは 『人前で裸になること』らしいが、それなら日本ほどテレビ放送の番組内でタレントたちが『裸』ではしゃぎ回る国は何処にもない。
鳩山発言の謝罪と訂正が事実ならば、自分が大臣をしている所轄官庁の総務省の責任は全く無いのか。
今の日本では子供達が見る時間帯でもお構い無しで、公開の放送メディアで堂々と放送されている『裸』はどうする気かと、聞いてみたいものだ。




『大騒ぎするメディア』

ひと気の無い公園で、一人の酔っ払いが裸で楽しそうに歌ったり踊ったりしていたという。(目撃した外人談)
めだった迷惑らしきものは誰にもかけていないし、酔っ払い本人にも他人にも危害が及ぶおそれは無い。
普通なら警察は、逮捕ではなく通報があったとしても注意か、泥酔状態が酷過ぎれば保護する事例であろう。
其れが即逮捕で捜査令状を取って家宅捜索までする大騒ぎで、すべてのマスコミや日本国政府の大臣までが大騒ぎする。
大騒ぎした割には、原因はただの酒の飲みすぎ。
酒の飲みすぎなら、100年に一度の金融崩壊の為にローマに集まった世界主要国の財務、金融担当大臣や国立銀行総裁会議の席上で酔っ払っていた日本の中川昭一大臣以上の恥さらしはないだろう。



『公然猥褻罪』の定義

猥褻の定義が、『通常人の羞恥心を害すること』であるなら、中山昭一財務大臣以上に日本人の羞恥心を 害したものは外に無い。
ドラッグ・ミニスターとして世界中に公衆の面前で酔っ払っている映像が配信され、ニューヨークのテレビでは一週間も面白おかしく放映されていたとか。
世界金融崩壊の為の国際会議の日本の所轄大臣が酔っ払っていたのと、幾等有名でも一タレントが酔っ払ったのとでは意味が違う。
それに草さんの話は、事件性は殆んど無いに等しい。
この様な如何でも良い話が、大きく取り上げる場合に考えられる事は、それ以外にニュースが無い暇な時である。
或いはその逆の、取り上げなくてはならない大ニュースがあるが、其れを取り上げたくない場合である。

今の国会では此れまでの国是(日本国憲法)を捨て去り、新しい?日本のこれからの進路が決まるかもしれない重大な場面であるが、論戦は至って低調でマスコミには殆んど報道されないし、報道されないので国民も関心は薄い。
世界有数の軍事力が国会承認無しで防衛大臣の決済一つで自由に動かせるなら、国権の最高機関としての国会は要らないことになる。

本来報道しなくても良い事が報道され、報道しなければならない事が報道されない今のマスコミの現状は日本のマスコミは報道機関ではなく『プロパガンダの道具』に成り下がった、と批判されても仕方が無い状態であろう。




『報道されない北野誠事件』

報道されないと言えば突然『永久追放』された北野誠の続報が何も無い。
深夜のラジオ番組の「誠のサイキック青年団」は台本も無く2時間近くも北野誠氏等が適当に喋っていたので過去にも色々と問題発言はあったが、今回は処分だけが公開されたが問題発言の説明がゼロで何も無い。
何も無いので、暴力団のフロント企業のプロダクションを批判した為とか、創価学会批判だとか、憶測だけが飛び交っている。
日本最大のバーニングプロダクションは山口組系の後藤組のフロント企業で、後藤組は日蓮正宗総本山大石寺のある静岡県に本拠がある。
武闘派の後藤組は宗門との抗争を続けている創価学会とも関連が噂されているし、バーニングや傘下のプロダクションに所属している創価学会系のタレントは多い。
芸能プロダクションと安晋会とも関係が噂されている暴力団と破壊的カルト宗教との不思議なトライアングルが出来上がっているらしい。

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2 コメント

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おはようございます。 (東西南北)
2009-04-28 08:48:01
 公然わいせつ罪による現行犯逮捕。わいせつの基準もあいまいなわけで、刑罰権を行使の対象にする必要性など存在しないでしょう。現場で口頭による注意をし、なお、性器を公然と露出し続けるのであれば、任意同行を求め、警察署へ連行し、性器を公然と露出する行為のファッション理論について、得々と議論させればいいだけです。現行犯逮捕という刑罰権を公然わいせつ罪に適用することは、憲法の表現の自由との関係で、問題になります。

 そもそも、性器を公然と露出することの何がどう違法なのであるのか?こんなことは誰も説明できないであろう。なぜなら、生まれながらの姿で公然と性器を露出し、自分の全身を世間に表現しているだけだからだ。さらに、性器を隠さねばならない、という慣習があるが、それは何故か?本人が隠す必要がない、ということで性器を公然と露出し、表現しているわけです。性器は善良の風俗を乱す汚らわしいものなのか?性器は人類の生殖機能を担う人間の根源としての器官である。これのどこが善良の風俗を乱すといえようか?また、その露出の仕方が「いやらしい」というような、こじつけもあるであろうが、「いやらしい」ことのどこが違法なのか?「いやらしい」という、いわば、性癖の個人差はファッションの自由ではないか?では、ホモシェクシャル、レズビアン、変態的な性癖を公然と撒き散らしている表現物はどうなのか?逮捕、刑罰権発動の対象となるのか?

 要するに、公然わいせつ罪なる犯罪は、そもそも犯罪ではないし、違法性など存在しない。だから、警察は、条文は存在しているのであるが、実質的に刑罰権を発動するまでの違法性があるか、という原理・原則から刑法を運用していく必要がある。そして、立法問題としては、公然わいせつ罪は廃止する必要がある、と思う。

 わいせつで「いやらしい」表現物を見たくなければ、見なければいいのである。それを執拗に押し売り的な行為にって、はじめて強要罪を適用すればいい。

 わいせつ罪の問題は、その強要性にあるのであって、わいせつ性、公然性にあるのではない。
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儒教の影響? (ブログ主)
2009-04-28 14:53:38
猥褻の定義が、『通常人の羞恥心を害すること』以外に、『いたずらに性的な感情を高めるもの』とあるようですが、『性的な感情』は人それぞれ違うし、『性的な感情』を高める事自体は違法ではない筈です。
ところが日本では先進諸国で唯一ポルノ解禁が行われていない不思議の国である。

今の世の中でも、イスラム教の影響の大きい国では『他人に裸を見せる事』は最大の侮辱行為らしく笑いを取ろうとして裸になった日本のお笑いタレントが観客から凄まじいブーイングをうけたトルコの例も有ります。
日本なら『笑い』の取れる芸でも国柄が違うと逆に成る。
トルコはイスラム諸国の中では一番世俗化していますがそれでも公衆の面前では『裸』はタブーなのでしょう。
アメリカ占領軍はその事実を良く知っていたのでアブグレイブ刑務所に収容していたイラク人を侮辱して自尊心を破壊する為に『裸』にして虐待していた。
イラクで殺された日本人ジャーナリストの橋田信介さんたちは、バグダッド近郊の幹線道路で、米軍の検問を受けた直後に襲撃され橋田さんは即死だったが甥の小川功太郎さんは素っ裸にした上で至近距離から射殺されている。(何かを聞き出したかったしたのか)?
彼らを日本人と確認した犯人たちが狙い撃ちしたものであるとされているが、殺害犯がイスラム教徒なら相手を裸にはしない。
たぶん犯人は米軍関係者か民間軍事会社ですよ。

元々日本は裸には寛容な国で、今のように厳しくなっとのは明治以降の話らしく、其れ以前は銭湯は混浴が基本であるし、裸は普通の事で街中に溢れていた。
今の猥褻の概念はキリスト教的な禁欲主義と儒教的な礼儀がない交ぜになった結果ではないでしょうか。?いずれにしても、先進国のレベルの話では有りません。
>『わいせつ罪の問題は、その強要性にあるのであって、わいせつ性、公然性にあるのではない。』<
は、この問題を考える上での重要なもっとも基本的な態度で有ると思いますが、なかなかそのように正しく物事を見ている人は少ない。
多くの人は残念な事に道徳と法律を混同している人の方が多いようですね。
宗教と政治を厳格に分離すべき(政教分離の原則)で有る様に、『道徳』(宗教)と『法律』は厳格に分離しないと色々と深刻な問題が起こるでしょう。
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