コピペでごめんなさい 余命記事でわかる竹島強奪の真相
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国民防衛軍事件
朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。横領により9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる。この事件によって、韓国陸軍本部では李承晩への反感が高まった。
李承晩はこの韓国民の不満をそらすために1952年1月18日にアメリカ等の国際的な反対を押し切り、李承晩ラインを一方的に宣言し、竹島の不法占拠を開始した。
.....1952年1月18日、朝鮮戦争下の韓国政府は、サンフランシスコ平和条約の発効3ヶ月前に、突如としてマッカーサー・ラインに代わる李承晩ラインの宣言を行った。竹島問題の原点である。これに対し日米両政府は非難の声を挙げたがその解決には長い道のりを要することとなった。13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。
李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免し、在留特別許可を与えたのである。これが在留特別許可の原点。一方、韓国政府は日本人抑留者の返還には同意したが、日本政府が摘発した韓国人密入国者、重大犯罪者、政治犯等の強制送還は拒絶し、日本国内に自由に解放するよう要求した。この日本国内に自由解放された密入国者、重大犯罪者、これがヤクザの原点である。また人質を盾に日韓条約を韓国に圧倒的有利な内容で締結させた行為。これらの事実がオープンになり、日本国民すべてが知ることとなれば、確かに無事では済まないでしょうな。韓国人が恐怖心を持つわけだ。「韓国人の恐怖心を考察する」から。
今なぜ暴力団に在日が多く存在するのか、犯罪者の多くが在日なのか、我々日本人はあまりに知らされていなかった。
竹島という孤島も韓国が大騒ぎしなければ存在自体知らなかった。韓国がなぜ竹島を強奪し、あまつさえ捕虜にした漁船員を盾に重罪犯の在日を無罪放免にし日本国内を自由に解放させた。
当時を知ってる老人達は何を思うだろう。一国民では対応できなかった在日問題、私の親が口癖のように言っていた言葉 「チョウセンゴロが!!」 決して日本に溶け込んではいなかった犯罪者集団 ただ、私が小さい頃過ごしたところは目に見えた争いはなかった。
色々な戦後の混乱を乗り越えてきた日本、吉田茂首相が挑んだ「在日帰国事業」残念ながら頓挫して今の混乱があるのだがもうすぐ決着がつくだろう。ついてほしい・・
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国民防衛軍事件
朝鮮戦争中の1951年1月に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。横領により9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる。この事件によって、韓国陸軍本部では李承晩への反感が高まった。
李承晩はこの韓国民の不満をそらすために1952年1月18日にアメリカ等の国際的な反対を押し切り、李承晩ラインを一方的に宣言し、竹島の不法占拠を開始した。
.....1952年1月18日、朝鮮戦争下の韓国政府は、サンフランシスコ平和条約の発効3ヶ月前に、突如としてマッカーサー・ラインに代わる李承晩ラインの宣言を行った。竹島問題の原点である。これに対し日米両政府は非難の声を挙げたがその解決には長い道のりを要することとなった。13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。
李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免し、在留特別許可を与えたのである。これが在留特別許可の原点。一方、韓国政府は日本人抑留者の返還には同意したが、日本政府が摘発した韓国人密入国者、重大犯罪者、政治犯等の強制送還は拒絶し、日本国内に自由に解放するよう要求した。この日本国内に自由解放された密入国者、重大犯罪者、これがヤクザの原点である。また人質を盾に日韓条約を韓国に圧倒的有利な内容で締結させた行為。これらの事実がオープンになり、日本国民すべてが知ることとなれば、確かに無事では済まないでしょうな。韓国人が恐怖心を持つわけだ。「韓国人の恐怖心を考察する」から。
今なぜ暴力団に在日が多く存在するのか、犯罪者の多くが在日なのか、我々日本人はあまりに知らされていなかった。
竹島という孤島も韓国が大騒ぎしなければ存在自体知らなかった。韓国がなぜ竹島を強奪し、あまつさえ捕虜にした漁船員を盾に重罪犯の在日を無罪放免にし日本国内を自由に解放させた。
当時を知ってる老人達は何を思うだろう。一国民では対応できなかった在日問題、私の親が口癖のように言っていた言葉 「チョウセンゴロが!!」 決して日本に溶け込んではいなかった犯罪者集団 ただ、私が小さい頃過ごしたところは目に見えた争いはなかった。
色々な戦後の混乱を乗り越えてきた日本、吉田茂首相が挑んだ「在日帰国事業」残念ながら頓挫して今の混乱があるのだがもうすぐ決着がつくだろう。ついてほしい・・