「対馬」の奪還を!? 保守の牙城・慶尚北道議会で野党議員が提唱!
日本が竹島を歴史的にも国際法的にも日本の固有の領土であると一貫して主張していることについても「日本が歴史を歪曲しながらも独島侵奪への野心を捨てられずにいる理由は大韓民国がいつか対馬の返還を主張することに備えた策略である」と主張し、こうした誤った認識の下、同僚議員に向かって「独島と対馬を明らかな韓国領土にするために『対馬失地回復国民運動』の火種を慶尚北道が率先して蘇らせ、釜山や慶尚南道など他の市・道と協力して領土守護共同協議体をつくろう」と呼びかけていた。https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20210128-00219813/
韓国、建国されて70年余り、遥か昔、朝鮮半島の南部が日本の領土であったことは意外と知られていない。知る人は知る程度だと思う。
「任那の復興」
「601年4月12日」
(推古天皇9年3月5日)
推古天皇が
高句麗・百済に使いを送り任那の復興を要請。任那(みまな/にんな、임나? - 562年)は、古代に存在した朝鮮半島南部の地域。朝鮮半島における倭国の北端である『三国志』魏書東夷伝倭人条の項目における狗邪韓国(くやかんこく)の後継にあたる金官国を中心とする地域、三韓の弁辰、弁韓および辰韓の一部、馬韓の一部(現在の全羅南道を含む地域)を含むと看做すのが通説である。任那諸国の中の
金官国(現在の慶尚南道金海市)を指すものと主張する説もある。
後に狗邪韓国(金官国)そして任那となる地域は、弥生時代中期(前4、3世紀)に入り従来の土器とは様式の全く異なる弥生土器が急増し始めるが、これは後の任那に繋がる地域へ倭人が進出した結果と見られる。
第二次世界大戦後、
次第に政治的な理由により任那問題を避けることが多くなっていたが、倭が新羅や百済を臣民とした等と書かれている、広開土王碑日本軍改竄説が否定され、史料価値が明確になったこと、またいくつもの日本固有の前方後円墳が朝鮮半島南部で発見され始めたことなどから、近年ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団による統治権、軍事統括権および徴税権の存在について認める様々な見解が発表されている。後略
ソース元 https://blog.goo.ne.jp/charinko_2008/e/ebacdc530eb5ef00ed8c3908ebd931ca
韓国人は何らかの根拠を見つけてきて難癖付け「韓国のものだ!」「韓国が起源だ!」と言う。これは歴史がない国である証拠だと私は思います。人間でも中身がないと我を張りすべて拡張して物事を語る(私はそうでないと思いたい)。歴史をたどれば朝鮮半島の南部が任那という日本領だった事は事実のようです。ただ、遥か1400年前の事を今日本が主張して朝鮮半島半分よこせと言わない。まあ、今回は一韓国人議員が主張しているにすぎないが韓国人特有の日本には何をしても何を言っても許されると思っているからこれを北朝鮮の工作員が目を付け煽りまくればすぐに韓国人の心に火が付くのは想像に難くない。
1910年大日本帝国は大韓民国を併合・・
韓國倂合ニ關スル條約
韓國倂合에關한條約
韓国併合ニ関スル条約(かんこくへいごうにかんするじょうやく、朝鮮語:한국병합에관한조약/韓國倂合에關한條約)は、1910年(日:明治43年 / 韓:隆熙4年)8月22日に漢城府(現:ソウル特別市)で寺内正毅・統監と李完用・総理が調印し、29日に裁可公布して発効した「韓国皇帝が大韓帝国(韓国)の一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝(天皇)に譲与する」ことなどを規定した条約のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/韓国併合ニ関スル条約
いかがです?当時の大韓帝国を治めていた韓国皇帝は永久に日本国天皇に譲与すると明記している。韓国人のものの言い方で言えば朝鮮半島はすべて日本領となる。しかし、日本は敗戦後すべてを放棄した。もしWW3で日本国が戦勝国となり朝鮮半島が敗戦となればそのすべてを没収することもある。その逆もあるとすればやはり韓国は世界一反日国で敵国なのだ。日本の議員は韓国に身も心も捧げているようなヤカラがいるが中韓特有のハニーやマニーで魂を売ったのだろう。安い魂だが韓国なんて明日にでもいらない国だが日本は世界に貢献できる技術や学識を持つ国だから野蛮国はほっといて未来に進もう。