2020/01/26(日)から02/02(日)にかけて出かけたエジプトの旅の16です
Pyramidとは
ギリシャ語のPyramis`が語源
ギリシャ人が常用していた
三角形のパンのコトです
現地エジプト人は
「メル」と
これは
四角錐の高い建物の一般的呼称現にあるピラミッドは個々の名で「スネフルは輝く」「クフは地平に属す」と呼ばれており
「建造物」というより
「王そのもの」と認識されている感じ
待望の
クフ王のピラミッド内部は
撮影禁止どころか
カメラ
持ち込み禁止なので添乗員さんに預けて
なのでネット上に公開されている画像のうちイメージに近いものを活用させていただきました
北側の入口(赤矢印)からですが
地上10mほどまで上がりますがそれでも怖い(笑)
入口のオジサンに挨拶して穴から入ると
チョット開けたテーマパークの通路の様な平面が10mほど
いきなり直径1m足らずの穴蔵へ潜り込みます
斜度26度の
「上昇通路」です
床は工事用足場の様な板張りで
数えると77段の滑り止めの角材が打ち付けてあり
両側に手すりも設置されてますが
これは当然観光用
元々の石材の床で手すりが無い状態で、
ハタシテ人が登れたのか?ウチの庭へのアプローチスロープより急な傾斜が40m続きます
中は人がすれ違う幅もありません
ルートはコレしかないので片側交互通行ですが
非常用脱出通路もない観光施設?
日本ではあり得ないかも・・・笑
傾斜はそのまま続きますがいきなり開けた
「大回廊」高さ8.7mと見あげると荘厳な感じ
インディージョーンズの一場面の様です
道幅は下で2m
上部に行くほど狭まって1mと
相変わらずの26度の急傾斜ですが立って歩けるので随分と楽
コレが47m
登り切ったトコロの天井の花崗岩を
1837年にイギリスのバァイス大佐が
ダイナマイトで吹っ飛ばして空けたという
重量軽減の間への侵入口は目視出来ませんでしたが
この中の至る所に
クフ王のカルトゥーシュ(王の紋章)があったことから
このデカイ建造物の施主がクフ王とされています
都合87mの傾斜を登り切ったトコロに
「王の間」ナポレオンが一晩1人で籠もって
精神に異常を来したとか・・・
この部屋は全面ツルツルの全面花崗岩で
幅5.2×奥行10.5×高さ5.8m
奥のやや右に置かれた
「石棺」と呼ばれているモノも花崗岩で外形 1×1×2.3m
固い花崗岩を直角・平板に掘ったツールは何なのか解明されてません
蓋はなく蓋が乗る面は波打って平板ではありません
中心から左にずれた位置のこの部屋
例の「左右対称の美」からも右手の壁の向こうにもう一つの部屋が?と
たたいてみるも分厚く固い石の感触しか・・・笑
閉ざされた石室の
人の呼気で異様に高くなった湿度に息苦しく
足は出口へ
上から見た「大回廊」の「上昇通路」
流石に凄いなと高いのを実感
写真が撮れないのが残念
「文字を持たない」と言われたピラミッドですが
1881年にペピ一世のピラミッドで文字(ピラミッドテキスト)が発見され
この定説は覆えってます
現にこの部屋の上の「重量軽減の間」とされる空間の接合部にも
クフ王のカルトゥーシュが
宗教的な発展が未熟な段階であったとしても
王を葬る部屋にしては余りに殺風景ピラミッドの謎①誰が、②何の目的で、③どうやってと
古来から解けてませんが
エジプトに到着すると
現地ガイドの浜ちゃんが
これは
①クフ王が、
②お墓として
③日干し煉瓦を足場に作りましたと
結構あっさりと
まあコレが
エジプトという国の定説となっているようで・・・
T2的には現に存在するので①は誰でもイイのですが
興味深いのは②と③
③はなるほどというモノを後日、カルナック神殿で目にすることに
②は実際に入って見ると分かります
これは・・・
間違いなく・・・
スポーツジム&サウナです!!(笑)
1往復で太ももがくがく
汗をかいてさっぱりと♪
少なくとも
2.8千円×400人×365日=4億円/年を稼ぎ出す
ヘロドトスの頃には観光地とされていたとのことなので
いったい何年間外貨を稼いできたのか・・・
後世に残る観光資源であることは間違いない?