メモ帳

各種メモ代わり

日々の雑用

2015-04-06 23:55:22 | Weblog
郵便局より振込み
 分類学会年会費  5000円
 財田固定資産税 20600円
郵送返却
 継続組合員証2+1枚 郵便代82円
算数1回目資料
 50部印刷 A4 3枚
学科メーリングリストの件
 N氏へ書置きで依頼
職員健康診断の件
 4月16日(木)
郵便物不在通知受け取り
 東局にて
 帰ってくると、別の不在通知が入っていた!

給油

2014-11-28 13:20:00 | Weblog
走行距離 719.1km
給 油 量 36.46L @145 = 5,287円
燃  費 19.72km/L = 719.1/36.46
燃 費 計 21.5km/L


あれぇ、前回の給油が10月30日、ということはひと月立っていませんね。
ひと月2回の給油は珍しい、どこかに遠出したかな?

給油 800kmオーバー

2014-04-26 11:58:35 | Weblog
走行距離 855.9km
給 油 量 36.65L @154 = 5,644円
燃  費 23.35km/L = 855.9/36.65
燃 費 計 24.5km/L


久しぶりに800km超え。
春になってエアコンを使わなくなったことと、
醍醐桜軽油蒜山、湯原温泉のドライブがあったからでしょうね。

メモリが点滅する前での給油。
ぎりぎり粘れば900Kmオーバーもあったかな?

iPad でプレゼン(続編)自動ロック

2014-03-29 20:48:17 | Weblog
3月14日のプレゼンに成功し、気を良くして
3月21日のプレゼンもiPadを使い、見事に失敗!!!

どう失敗したかというと、
スライドを表示してしゃべっている間に
画面がスリープ状態(真っ暗)になってしまう。
そのたびにパワーを入れて、プロジェクタのの
ケーブルを外し、PINコード(パスワード)を入力。
ケーブルを接続して、続きを行う。

ということが何回起きたやら。
終わってK大の人に、iPadの「設定」で
「一般」の「自動ロック」の設定を教えてもらう。

買ったまま何も設定していなかったので、標準の
「2分」になっていたので、スライドを表示して
2分しゃべり続けていると、自動ロック(スリープ状態?)
になってしまっていたようだ。

プレゼンの時には、自動ロック「しない」に設定するか
もっと長めの、例えば「10分」くらいにするらしい。
これからのことを考えて、とりあえず「10分」に設定。

14日のプレゼンの時には多くのスライドを次から次へと
めくっていたので、自動ロックがかからなかったようだ。

iPad でプレゼン

2014-03-16 21:56:19 | Weblog
金曜日の研究会で発表。
初めて「iPad」を使ってプレゼンしました。

電子書籍の話で、自作のePUB形式の電子書籍をプレゼンの
中で見せるために iPad の iBook というアプリを使うので、
じゃあ、その前の前座の資料も iPad を使おうということに。

初めてなのでノートPCも持って行ったが、
iPad だけで問題なくプレゼンできました。

パワポの前後送りが付いたポインタが使えませんが、
今回の発表の部屋は横長でスクリーンが3個もある
部屋なので、1つのスクリーンにしか示されない
ポインタは使えない環境だったので、その問題も
あまりなかった。

初めての経験で失敗も多々。
その1
 休憩している iPad をプロジェクタに接続し、
起こそうとすると設定しているパスワード入力が必要な
設定にしている。そのパスワード入力の画面もプロジェクタ
で大写しに!
 起こしてからプロジェクタに接続することにしよう!

その2
 いつもはPCでポインタを使って頁めくりをしているので、
PCはどこに置いていても気にしなかったのですが、
指でピーと送るとなると iPad の置き場所もきちんと
考えておく必要がありますね。
 立ち位置の近くに置くことにしよう
 それより iPadより小型の iPod か iPhone にして、
講演中ずっと掌に持っておくのもありかなな?

ちなみに発表のパワポが出来上がったのは当日の朝8時。
それまでホテルの部屋でPCを使って作っていました。

ので、ホテルまではPCを持っていく必要はありそう。
いや、最近はホテルでレンタルPCもあるので出張には
PCも要らないかな?

少なくとも会場には iPad と、念のためUSBメモリとを
持っていけばいいですね。軽くなります。

ちなみに手順
1)PCでパワポで資料作成
2)PCでPDFファイルへ変換(PrimoPDF 無料版)
3)ホテルの有線LANを使ってPDFファイルを添付ファイルとして自分あてに送信(Gmail)
4)ホテルの無線LANを使ってiPadでメール受信(Gmail)
5)添付ファイルを iPad の GoodReader(有料アプリ) に送って開く

輪廻 歴史は繰り返される?

2014-03-09 02:00:39 | Weblog
京都の学会でのH大M氏の発表(Bigデータについて)を聞いて
昔話をしていいというセッションで盛り上がりました。

1980年代から計算機のパワーが急激にアップし、
プログラムも小細工をするより、パワー任せでわかりやすい・素直なプログラムを書くことが推奨されてきた。
それがBigデータになり、パワー任せでは済まなくなり、70年代の小細工が必要?になりつつあるということだった。
例えばですが、回帰分析の変数選択で言えば、
1960年代、10変数の総当たり法は無理だ、何とかできるかも、と言われていた時代から、
1980年代、10変数の総当たり何て目じゃない時代になっていたが、
2010年代のBigデータ10000変数ともなるとやっぱり総当たりは無理ということですね。
22世紀になるとそれも目じゃないとなるのでしょうが、それまでは小細工が必要ということでしょう。

そもそも大学で「大型電子計算機」が使えるようになったのが1970年前後。
それまではHPに代表されるような電卓の時代。
10次正方行列の逆行列の計算が難しい時代でしたね。

大雪

2014-02-08 12:25:36 | Weblog
20140208(土)雪のち曇り

天気予報通り大雪(岡山にとっては)が積もりました。
久しぶりですね。

車が運転できそうだったら、優花を迎えに行くと約束していたので、
5時前、様子を見に県道(バス停)まで道路の様子を見に行くことにする。

玄関を開けると雪・雪・雪

家の前は新聞配達のバイクの轍と足跡だけ。

県道に出るとノロノロ進む車が数台行き来している。
あのタイヤはノーマル?スタッドレス?
雪用のスタッドレスだったらもっとスピードを出しているでしょうね。

とか眺めながら仏心寺方面に。

仏心寺の上まで上がると、そこは尾根筋。
尾根伝いにいつもの旗振り台まで傘を指しての山登り?散歩?。

0547旗降り台氷点下1度
結局いつもの場所まで登って来ました。
雪が降ってるので気温はそれほど下がっていません。
雪は今も降り続いています。
雪がついて傘が重い。

途中、仏心寺あたりの風景です。
竹も雪の重さに首を垂れる

いつもの道を下ろうとしたが、真っ白で道がよくわからない。
木々の間隔からこのあたりが道という感じで暗い・白い道を探して下る。

県道にもどると、新聞配達のバイクで転倒している人も。

こりゃ私の技術とノーマルタイヤでは峠越えは無理と、
娘に連絡。優花とは会えないことになりました。

天気が良ければみかわやスケート部に優花を連れて行こうと思っていたのですがね。

家に戻り、明るくなったころの庭です。


5時のニュースでは積雪3cm、6時のニュースでは積雪4cmと言っていたが、
我が家のポストでは・・・
積雪10㎝はありそう
植木鉢の上にも、雪の下には?
小鳥がエサを求めてやってきた

お昼頃雪はやみましたが、いつ溶けてくれるかな?

エアコン

2014-02-07 20:51:54 | Weblog
20140207(金)曇り

自宅の自室のエアコンを新しいのに交換した。


これまでのは「エアコン」ではなく、「クーラー」、すなわち冷房だけの物だった。
何しろ、家を建てる前のアパート時代に購入したものを移設してもらったもの。
今の家に移設してもらう工事の時にも、こんなものを今さら付けるのですか?
と言外に言われた代物(しろもの)である。

それから20数年、何回使ったでしょうか?
この10年ほどは年に1回程度。多くても5回。使わない年も結構あったはず。

それじゃエアコン無くても・・・と言われそう。

新しいエアコンを購入した理由は
1.定年になり家にいる時間が増えた。
2.今度の夏は昼間も家にいる時間が増えそうだ。
3.冬は暖房に灯油のファンヒーターを使っているが、
  ときどき足がもつれてファンヒーターにぶつかりそう。
  消火装置はあるものの直火はやっぱり心配ですね。
4.消費税があがる、その前の駆け込み需要。

というもろもろの理由で購入。
購入するんだったら、「新型が出て旧型が値下がりする年明けがねらい目」というKさんの教えに従い、1月中旬に購入。
入荷待ち、工事日の日程調整で今日の工事となった。

工事用にクーラーの下の場所を空けるために半日がかり。
工事は2時間ほどで終わったが、まだもとに戻っていない。

誤算だったのは、クーラーの真下に本棚を置いていたが、
エアコンになったことにより、下に置いていると、暖房の下向きの風があたってしまうこと。とりあえず、90度横向けにおいているが、それでも暖気が邪魔されている。どこぞに本棚の置き場所を変えなくてはいけないですね。

ひめゆりに想う

2013-12-23 00:32:14 | Weblog
FB仲間がひめゆりを訪問してつぶやいていたので・・・

私の父は東京文理大(現・筑波大の前身)の出身の戦前派?戦中派?。
当時の文理大(東京文理大と広島文理大)は授業料無料で、貧乏人の田舎の秀才が進学したらしい。その代り、卒業後、何年間かは指定された学校の教師になることが義務だったとか。父は昭和18年に卒業し、函館師範が指定され、母と新婚で赴任し、兄が生まれた。敗戦後、鹿児島師範に転勤して私が生まれた。
敗戦で沖縄は米軍の統治下におかれ、同じ日本なのに、沖縄に行くにはパスポートではないが、同じような証明書が必要であり、気軽に行けるところではなかった。昭和34年頃、父は沖縄を訪問する機会を得、ひめゆりの塔も訪問する。ひめゆり学徒隊が沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒で構成されていたことは周知のとおりである。ひめゆりの塔に刻まれている犠牲者の名前を眺めていて、父は文理大の同級生の名前を見つける。同窓会の名簿では消息不明になっていたそうだ。父は函館だったが、その同級生は沖縄。何かあれば逆のこともあり得たのか? 同級生の中には沖縄と聞いて、?年分(昔の大学は3年間?)の授業料を払って、沖縄への赴任の義務を免除してもらった者もいるとか。(このあたりは伝聞で証拠があるわけではありませんが)
それにしても大学指定?文部省指定?の初任地での死亡も同窓会では把握するのが難しいのか?!

私自身は1995年4月に初めて沖縄を訪問し、ひめゆりの塔にも訪れ、父から聞いていた同級生の名前を探す。もとより名前は覚えていないので、父と同じ年代の教師を探す。それらしい年代の教師が一人見つかった。教師の中では若い方(一番若い?)でひめゆりの生徒たちには厳しい接し方だったようにうかがえる。
父だったらどうしただろう?
父だったら今の私はいない?
いろいろ考えさせられる訪問だった。