太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

古刺繍見学

2020年03月01日 | 見学・取材等

2月24日(月・祝)に、愛媛県西予市野村町にある「西予市野村シルク博物館」へ、T・Y氏に案内していただき古刺繍の見学に行きました。野村町は乙亥大相撲で有名な、愛媛県南予地方のやや山間部に位置する静かなたたずまいの農山村で、町は、H18.7の肱川氾濫の惨状(https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/nomura)をようやく克服しつつありましたが、東京の国技館を模した乙亥会館は大規模な修復工事の最中であり、現時点でも館内の見学は叶いませんでした。

私たち(観音寺太鼓台研究グループ)は、これまで高松(香川町の祇園座)や小豆島(小海=廃絶・中山・肥土山)など、香川県に散らばる地歌舞伎に使われていた年代物の古衣裳を、太鼓台の装飾刺繍の先輩格として位置づけ、地歌舞伎・太鼓台双方の関係性探究を継続してきました。金毘羅大芝居や各地の地芝居等で使用されていた煌びやかな刺繍衣裳の技や表現が、後発伝統文化・太鼓台の装飾刺繍発展に大きな影響を与えてきたことが、今日多くの人々に理解されつつあります。高度に発達した太鼓台装飾刺繍などの場合、それは文化の中心である京・大坂から流入したものとの〝中央依存〟的な発想が多々見受けられますが、私は必ずしもそうではないと考えています。四国北岸地方の太鼓台の最大特徴である〝刺繍飾り〟の発展の過程をたどっていけば、間違いなく古い地歌舞伎の刺繍付き衣裳に突き当たります。太鼓台は模倣の文化ですが、その模倣の中にあっても、この地方の太鼓台は、長い年月をかけ、数多くの職人達によって独自の発展を遂げ、孤高の絢爛豪華につながっています。

本ブログでは、2019.9投稿の「地歌舞伎衣裳の古刺繍と太鼓台古刺繍との酷似点比較について」以下の一連の古衣裳と太鼓台の古刺繍比較を、金毘羅門前町で興った「松里庵・髙木工房」や、金毘羅大芝居の煌びやかな衣裳に影響を受けた「山下工房」の古刺繍を通じ、縷々考察を深めています。

今回見学の西予市野村シルク博物館には、古刺繍を纏ったものとして二種類の古刺繍作品が保管されていました。一つは地元「阿下歌舞伎」(あげ-)の古衣裳であり、もう一つは相撲文化の盛んな地元の素人相撲の力士が用いた「化粧回し」です。本稿では、見学させていただいたほんの一部を紹介いたします。今回見学させていただいた博物館の衣裳と化粧回しの古刺繍は、軽々に断言できませんが、これまで接してきた太鼓台古刺繍や年代物の刺繍付き歌舞伎衣裳に、相通じるものがあると感じました。今後更に全般的な調査をさせていただき、その共通性等について理解を深めて行きたいと考えています。

(大正2年)

(大正2年)

(明治22年)

(明治22年)

(明治22年?)

(明治32年)

※お忙しい中、博物館の皆様には大変お手数をお掛けしました。ありがとうございました。

(終)


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