太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

草相撲「化粧回し」の遠隔地における酷似について

2020年04月02日 | 研究

2020年3月1日付の当ブログ「古刺繍見学」で、愛媛県「西予市野村シルク博物館」で大切に管理されている年代物の古刺繍作品を見学させていただいたことを発信した。今は廃絶してしまった阿下歌舞伎(あげ―)の刺繍で飾られた衣裳と、現在でも盛大に開催されている乙亥大相撲(おとい―)の刺繍付化粧回しのそれぞれ一部を、館のご協力の下、実見することができた。今になって振り返ってみると、まだ新型コロナウィルスの感染や影響が今日ほど喧しく言われていない頃の見学であったことが幸いであったと思う。

館が管理している刺繍付化粧回しの保管箱には、実際に入手したと思われる年代が書かれているものが多々あった。明治22年(1889)製のもの数点、明治32年(1899)製のもの1点、それと年号記載のなかったものもあった。何らかの理由があると思われるが、乙亥大相撲の化粧回しでは明治22年に作られたものが最も多かった。明治22年と判明している以下に紹介する化粧回しは、刺繍や七宝編みの部分及び小房等の意匠の共通点の状況から、恐らく同一の工房で作られたものではないかと考えられる。それらの中から今回取り上げるのは、力士名「木面山」の鷲図柄の化粧回しである。

      

実はこの図柄の化粧回しは、シルク博物館を案内していただいたT・Y氏と私は、他の場所で同様の化粧回しに出会っていた。宇佐神社(さぬき市長尾名)の絵馬堂に掲げられていた、これまた年代物の化粧回し(下の上部写真)がそれである。(2012.5に見学)絵馬堂は吹きさらしであったため、風雨の影響を直接に受け、色褪せするなど作品の状況は良くなかった。地板に貼り付けて奉納していた化粧回しの絵馬には、表側(私たちの見える側)の外枠に「奉納」「朝鮮大邱」など奉納当時の時勢が想像できる内容が朧げに確認できるが、残念ながら奉納年・奉納者・制作工房等の状況などは判読できなかった。この宇佐神社の奉納絵馬の化粧回しと、乙亥大相撲「木面山」の化粧回しを並べて紹介する。

両者の化粧回しを見比べていただきたい。まず鷲の姿態(羽にある斑点を含む)、次に七宝編みの網目状の作り、最下部の小房の形状。私自身も、一見して比較が容易と思われるこれらの作品部分を凝視した。乙亥大相撲では、次に示す明治22年から約10年程度後の明治33年製の双龍の化粧回しがある。この小房部分(実際には〝房〟と呼んでいるようであるが、こちらは単に金糸を縒り合わせている。現在の大相撲の化粧回しは、これと同様な縒り合わせ構造が主流)に比べると、小房を連ねた明治22年製の構造は、一入高級感が感じられる。

乙亥大相撲で使用されていた「木面山」の化粧回しと、遠く離れた香川県さぬき市長尾名・宇佐神社「奉納絵馬」の化粧回しとの関わりは、あるのだろうか、それとも全くの偶然なのか。

太鼓台古刺繍から地歌舞伎の古刺繍衣裳へと探究を進めてきた私たちには、新たに草相撲の豪華な化粧回しについても、前二者との比較検討の宿題が投げかけられているのだと思う。四国の東西遠隔地間で、全く「酷似する化粧回しの存在の謎」を解き明かさなければならない。果たしてどのようなドラマが潜んでいるのか。客観的で納得できる謎・解明は、果せるのだろうか‥。

(終)


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