西日本各地に広まる太鼓台文化。これまでに示した分布概要地図(太鼓台文化圏・地図)のように、近世・経済文化の大動脈(大坂起点の瀬戸内海中心)一帯に、広範囲に伝播・伝承されている。現在の我が国人口の実に18%強(2300万人)が、何らかのカタチでこの文化に関与している。そのこと自体特筆されるべき事柄であるが、その一方で「認知度、文化の理解度」の低さは、一体どういうことであるのか! 他の伝統文化(祇園祭など有名寺社の祭礼、ユネスコ認定の広範囲な祭礼行事)などに比べ、明らかに開きがあり過ぎる。
その大きな原因の一つに、「歴史がよく分かっていない」点が挙げられる。太鼓台文化の歴史解明が、他の祭礼文化に比べると、かなり難しいのである。他の祭礼文化の歴史解明が、ほとんどその地方の個々の祭礼の中だけで終始できるのに対し、太鼓台文化の場合は、自らの地方だけの歴史解明では埒が明かない。それは、太鼓台文化そのものに「独自性」というものがなく、地の地方からの「受け売り・真似・流用」という宿命が、太鼓台誕生当初から、広い範囲の各地で付いて回っているからである。
しかし、文化規模の広大なことや間違いなく現在進行形の伝統文化である以上、その歴史を明らかにし、明らかになった客観的事象を文化圏全体の「共通認識」として理解し合うことが、太鼓台文化解明のスタートとして、まずは重要視されなければならない。次項<その2>に、取材等で入手した「各地太鼓台の記録」を、年表風に示す。(『地歌舞伎衣裳と太鼓台文化・Ⅲ』2017.3所収、「草創期太鼓台の探究-その“カタチ”を遡る」より引用。そこでは画像等により詳細な補強説明が為されている)
断っておくが、年表風に書かれた地方以外にも、記録に遺されてこなかった地方が多々あるはず。(記録に遺されてきた一部地方以外は、ほぼ当初記録が欠けていると考えてよいのかも知れない) なぜなら、太鼓台自体がほとんど独自性のない〝物真似文化〟の所産なのだから。言わば民謡が流々転々と伝えられて今日に類型のものが各地に広まっているように、太鼓台を新たに導入しても、それに至る確かな記録が遺されることは少なかったと思われる。過去の確かな記録が少ないことは本当に残念で悔やまれるが、それを言っても仕方のないことだと思う。しかしながら、そうであるからこそ、私たちの太鼓台文化の解明には、これまで各地で判明している太鼓台古記録などの「客観的・原初の状況」にスポットを当て、広い視野で各地比較してみることが重要視されなければならない。
モノやカタチがこの世に登場する初期の段階を大切にしたい。そこを起点として、太鼓台文化を考えたい。起点が定まれば、困難な文化解明ストーリーも、さまざまな方法が見えてくるのではないかと楽観している。
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