大府市議会議員 たかばとくこ の日々

2007年、政治の素人が議会に飛び込んでみました。

(仮称)おおぶ文化交流の杜 実施方針が公表されます

2010-05-24 21:35:45 | 未分類
大府市議会21名中、ただひとり疑問を呈し続けてきた図書館と音楽ホールの文化複合施設「(仮称)おおぶ文化交流の杜」。
2年凍結の発表の後、早々に凍結解除し推進に転じています。
本日24時(25日午前零時)に、大府市ホームページに
実施方針
要求水準書(案)
管理運営計画書(案)
が掲載されるそうです。
(仮称)おおぶ文化交流の杜準備室サイト
http://www.city.obu.aichi.jp/soshiki_view.php?so_cd1=3&so_cd2=5&so_cd3=0&so_cd4=0&so_cd5=0&bn_cd=16

HP公開を前に、議員向け説明をするとのことで、本日午前聞いてきました。
会派ごとに説明をするので、私は一人できくことができます。
どうしても建ってしまうなら、税金を使ってしまうなら、少しでも良いものにしてほしい。だから、いろいろ提案したいことも持っています。
しかし、そもそも建てることに対して納得がいかないので、一般質問で「よりよくする提案」を出すことは慎重です。
建てることに納得していないのに、施設への要求をするのは順番がおかしい、との考えが自分自身整頓できないからです。
ですので、こういう個別でヒヤリングをするときは、自分なりによりよくする提案もお話します。
例えば、
喫茶スペースについて、スワンベーカリーさんやさくらベーカリーさんのような、チャレンジドの活躍する場とできないか(その場にいた職員はみんなスワンさんもさくらさんも知らないとのことでしたorz)
サービスの受け手としてのチャレンジドだけでなく、提供者としてのチャレンジドへ参画機会の提供は。
市民交流機能について、既存のコラビアや社協とのバランスや互換性、そのコーディネートを誰がするのか、互いに指定管理の場合は協力関係でなく競う関係になりかねない側面があるのでは
縦割りのお役所の中で、ひとつの施設が複数所管に係るもので、横串展開のサンプルケースとしてできる限りの果実を取るには
ハコの物理的な面やPFIという手法を使ったというだけでは今や何の賞賛にもならない。市民の情報・知識・活動の集積する場として最大限活かし、ソフト面をフル装備するぐらいの細やかさと大胆さを持つことで、誇れる資産にするというぐらいの志を持ってほしい

などなど思うまま伝えました。でも、建設を良く思っていないんですよね、という確認に対しての私の回答。
20年前に頭出しした計画なのに、基金を全く積んでいない。
図書館基本計画がなく、市の図書サービス全体の棚卸とその結果としての需要へ導き出されていない。
交流機能や音楽ホールなどについては、公民館や学校施設など市の施設全体の運用・活用について棚卸がなく、今ある施設利用を少し広げることで補えるものなど精査されていない。それらと比較しての必要性が検討された形跡がない。
全て一般質問で明言してきたことですが、2年以上追求してきてどれも納得できなかったことを再度述べました。

この後議決にかかるのは以下です。
23年3月 債務負担行為の設定
23年6月 設置管理条例制定と、契約締結の議決。

さて。
23年4月には市議会議員選挙があります。
改選時に、このままの計画で建設することを良しとしない議員が多く誕生すれば、着工前に阻止できるということです。

ご覧のみなさま、この建設計画、このまま進めても良いのですか?



ダウンサイズする行政、深まり広がる社会

2010-05-24 00:32:24 | 未分類
金曜の晩は行政経営フォーラムteitterプチ例会でした。
行政経営フォーラムとは http://www.pm-forum.org/
プチ例会のまとめ http://togetter.com/li/22954
1時間半の予定のところ、私は30分ほど経ってから参加したので実質1時間ほどですが、13回かな?コメントしています。

今回のtwitterプチ例会のテーマは、7月の行政経営フォーラム例会(年2回リアルに集まって行っています)のテーマについてブレインストーミングするというもの。
つまり、自分がこういうことについてみんなの情報を得たい、考え方を知りたい、と思っているなら、この場で投げかけをしておくと、実際の例会テーマに何かしら反映される可能性アリ、ともいえるわけで。

私のこのところの懸案事項を投げかけてみました。
「行政はダウンサイジングを考えないといけなくなってきていて、いかに美しくみんなが納得いく形でしぼませていくか、が課題になっていると思うのだけど、それで開けた未来が描けるか?しぼむ=物寂しい ではなく、明るく開けて且つダウンサイジングするには?」
この悩ましいところについては、5月9日の日記に書いておりますhttp://blogs.yahoo.co.jp/obu_musyozoku_019/14412583.html
「美しくしぼむ」というのは、1月に加西市に視察に行った際にお聞きしたフレーズなのですが、人口減少・規模縮小の時代にあって、行政は当然に縮小していかねばならないということをとても明解に綺麗に表現していると思って印象に残っているもの。受け売りです。

この問題提起について、いろいろコメントいただいて、やりとりするうちにはっきりしてきたことは、
しぼむのは「行政」であって、社会全体がしぼむ・沈滞するという意味とははっきりと異なる ということ。
新しい公共とか、自助・共助しかり、そうしたものによって、社会全体はしぼむどころか、厚みが増して体積的に現状と同じどころが増えるくらいではないかと。
社会全体が持つさまざまなものごとのうち、「行政・政府」はしぼみそれらが担う部分が比率として減る。
「行政がしぼむ」ことのみ捉えて儚く寂しく感じること自体、政治を生業としている私の職業病だったのだ。

行政がダウンサイズせねばならないことは合理的に合点がいくのであるけれど、それでは社会が成り立たないのではないか、という不安をみんなが軽減できなければ、行政のダウンサイジングに理解が得られない。
政治的に「新しい公共セクター」が育つよう促すことも必要だけれど、なにより構成員たる国民・市民も自ら考えねばならないということを、さまざまなツールを使ってアプローチしていかないといけない。
もちろん、とうに気づいて動き始めている方々も多くいらっしゃるから、そうした方々に牽引していただき、ついてゆかねばとも思っておりますが。

市民の行政依存を脱し、市民が自立することによって、行政の規模縮小は理解を持って受け入れられる
では、市民の自立には?

金曜のフォーラムの議論に上っていたほかの観点のコメントとして、
「市民参加の「市民討議会」」
「人材育成」
「職場を飛び出して活動する 組織内個人のCSR活動」「スピンアウトした公務員」
「市民協働と言われる中での自治会・NPOと行政の関係」
などが交わされていました。
これらひとつひとつが、民主主義の成熟のきっかけ作りであったり、行政・公共の担い手の現状&これから の議論=自立した社会につながるもの であるようにも見えてきました。

ちょっとそこの市長さん、「対話と協働」なんて言ってる場合じゃないのかもしれませんよ。
協働は行政のツールではない。
これからの自立した社会のために、行政が自ら縮小するために、必要な社会の機能を増やし深めていくさまざまなアプローチのうち、せめて行政が働きかけできる部分はやっていかないと。
そのアクションが協働ではないか?

なんだかまたもまとまりがないですが、自分なりに将来への処方箋が見えてきたような気がします。