焦らず 慌てず 諦めず 行けるとこまでNO2

日ごとの感想を、書き記す
フォトアルバムも見て下さい。

そして、大惨事!! その2

2012-07-09 14:01:27 | 日記
一夜明けて、続きに入ります。
どこまで行ったかな?
大津を出て後・・でしたね。

その頃、161はバイパスは一部しかなく(たぶん)旧国道で帰りました。
自分でも昼食後、合歓かがでているのは自覚していました。
姉が大津で降りて、話し相手がいなくなったこと(問題③)。
一人で睡魔と格闘せねばならない状況になりました。
バックミラーを見ると、後の4人は朝も早かったのでゆっくりご休息中。
大津から堅田近辺までは道を走っていた記憶があります。
堅田の駅前あたりの信号で、信号待ちの間、ウトッとして青になっているのに気づかないときがありました。

「そんな眠かったら、どこかで休めよ!」という話でしょ。
わかっていたんですがね・・・。
後部座席の一人さんが「昼から用事があるので、早く帰りたい」と仰ったので
人の良い私は、つい無理をしてしまったのです。(問題④)
堅田を越えたあたりから、目を開けて前を見ているんでしょうけれども記憶が飛んでいました。
時々、所々景色が流れていったような気もします。

その日は日曜日、午後ですから大津方面へ向かう車は長蛇の列。
けっこう渋滞していました。
向こうからフラフラしてくるワゴンを見たら、対向車線の運転手さんもちょっと怖かったのではと思います。
たぶん繋がっているのであまり前から来る車については視認できないかも知れませんが、
左方向に突っ込んでいく姿は一部の方には目撃できたと思います。
ビックリされたでしょうね。

状況はこうでした。
志賀町の大物というところまでは、なんとか到着できました。
このあたりがピークだったと思います。
その前のカーブを曲がっているところは意識にありました。
次に気がついたのは、後ろに乗っていた一人の人が「あー!!」と大声で叫んだ声を聞いたときでした。
気づけば、車は左へ傾きそのまま走っている。
右へ戻そうと頑張ってハンドルを切るが、車はまったく反応しない。
たぶんブレーキも踏んでいると思うけれども減速している気がしない。
動転しながらも、まだ半分寝ているような状態なのでなにをやっているのかもわからない。
突然、非常に大きな衝撃が二回。
車は大きく跳ね上がる。
すると、前から電信柱が飛んできた。
避けなければ!!
と焦るもハンドルは言うことを聞かず・・。
見る見る電信柱が近づいて来る。
ドッシャーン、という音とともに先ほど以上の衝撃!!
車は電信柱に当たった弾みでまた車道へ飛び出して停止。
フロントガラスがすっ飛んでいくのが見える。
右車線の車がみんな一斉にこちらを見ている。
「大丈夫ですか?」と乗員の安全確認が第一声。
(あたりまえだけど、これは立派であった、と自分でも思う。)
自分の体を確認する!
うん、足は動く、手も大丈夫。特に痛みも出血もない。
ホッとする。
同時に車の状態を見ると・・・・悲惨!!

でも後で落ち着いて考えると、これ左へ流れたから良かった。
右へ行っていたら、渋滞中の車の列に接触して、けが人や破損が続出したかも知れない。
保険金もただ事ではない。
そう思うと、不幸中の幸い。
(しかし、その時はそれを感じる余裕はなかった。あくまでも後での思った話)

詳しい状況は・・。
車道の横に少しばかりの路側帯(歩道?)があり、その左には側溝が設置されていた。
たまたま、その側溝に一部だけかけてあるグレーチング(鉄の網目の蓋)を通過して田んぼへ車輪が落ち込んだ。
後で見るとほんの1メーター足らずのところを上手に渡ったみたい。
国道の横の田んぼなのでコンクリートで擁壁が作ってあり、それにタイヤが引っかかっていた。
いくらハンドルを切っても直進しかしなかった訳です。
そのうち、擁壁の途中にコンクリートで作った四角い排水口が出っ張っている。
これにタイヤが乗り上げて一度目の衝撃。
前のタイヤは完全に敗れ、ホイールも曲がっていました。
はまってからあたるまで20メーターくらい、その間ほとんど減速していなかったみたい。
大きく揺れてなお、車は直進。
前から飛んできた(ほんとは車が当たりに行っている)電信柱に激突。
電信柱は田んぼの少し内側に立っていました。
(これが大きく結果を左右しました)
コンクリートの擁壁沿いに走った車のほぼ左端に電信柱の右半分がかかる状況でぶつかったのでした。
もう少し電信柱が車の内側だったら、けが人や死人が出た可能性も大ありです。
こすりつけられたような状態で、車は右方向へ飛び出す形になりました。

前から来たワゴンが、いきなりふらついて田んぼに落ち込み、排水口で大きく2度バウンドして
電信柱にまっしぐら。
ぶつかったと思ったら、勢いよく田んぼから飛び出してきて車道に止まる!
なんて誰が想像したでしょう。
たくさんのギャラリーが渋滞の車中から目撃しているはずです。
たぶん、20年経った今でも「昔な、こんなことあってな、車がこんなんでな・・・」と話をされている方が
どこかにおられるかもしれません。

北から来る車は皆さん窓を開けて事故の状況を眺めて行かれました。(当然ですね)
車の横に立っているのが辛かったです。
幸い、飛び出した車は路側帯を少しはみ出たくらいで止まったので後ろから来る方の通行の妨げにはなりませんでした。
しかし、頭はクラクラ、一体何が何だか状況を掴みきりなにをするのか理解するのに時間が必要でしたね。
車会社に電話をしても、混んでいるために車載車が到着するのがずいぶん遅くなるとのこと。
その間に田んぼの持ち主さんがすぐ近くだったのでお詫びに行ったり、電信柱の傷みを見てもらうために連絡したり・・・。

その時、今でも忘れられないことがひとつ。
事故を起こした直後に、知り合いのY君が車で通りがかりました。
彼は直接関わったことはなかったですが、仕事の関係で顔見知りでした。
ちょうどあの頃は、まだ携帯電話も普及しきっておらず私もまだ持っていませんでした。
若い彼はいち早く購入し携帯していました。
通りがかった彼はわざわざ遠くに車を止めて、様子を見に来てくれ連絡用にと電話を貸してくれました。
こともあろうに、夕方遅くになったのに最後まで付き合ってくれ、結果的に高島まで車で送ってくれました。
まるで、神様のような人です。
(本当に良い人なんです、彼は・・)
今、立命館守山で教鞭を執っていますがテニスの得意な体育の先生です。
私は、今でも足を向けて寝ていません。(でもどっちに住んでおられるのかわからないので・・・)

暑い夏の夕刻、夕立があってむっとした国道端に立ち尽くしていると、思わずぶっ倒れそうになったのを覚えています。
車はシャーシが歪んで修理に新しい車を買うほどかかるとか(車屋さんの話ですが・・)・・。
結局廃車に。
残ったのは車を買うために借りた借金が200万。(つい先日まで返していました)
それと極端な絶望感だけ。

今でこそ笑ってられますが、悲惨でした。
でも救われたのは家族みんなが「車つぶれても、お父さんが死ぬよりましや」と言ってくれたことです。
車がつぶれなかったら、もっと良かったのですが・・・。
後で車の運転席の乗ろうとしたら、降りるときは気が動転してわからなかったけれど
本当に足のすぐ近くまで車がひしゃげて来ていました。
足下にお守りが吊ってあったのですが、ちょうどそのあたりまでがつぶれていました。
ひょっとしてこのお守りが救ってくれたか!!
助手席の姉が乗ったままだったら、彼女の膝下はなくなっていたかも知れません。
(ただ、乗っていたら、事故は起きなかったかも知れない。そういうものでしょうね)

さて、長くなりましたがまだ続きがあります。
今日はこのくらいにしておいてやろうか!!

ではまた、次回、お楽しみに・・・。
(関西人はどうしてこう自分の失態を笑って書いてられるのだろう?)


そして、大惨事!!

2012-07-08 22:52:22 | 日記
ちょっぴり涼しげな日が続きます。
過ごしやすそうなはずなのに、体調を崩しています。
頭右半分が思い。
背中の筋肉がピリピリ。
だるーい感じが体全体を包む。
舌先に熱が出てピリピリ。
それも3カ所。
肩関節を動かすとグキグキと音がする。
肩関節の音ではなく、筋肉全体からの音・・?
だから夜は早めに寝ている今日この頃。
若くもないのに寝ても寝ても眠気が・・・。(寝過ぎ!!)

とりあえず、今は無理せず体を休める方向で生活している。
とはいえ、読者の皆様の期待を感じるので、事故遍歴、あっ!間違いました愛車遍歴・・行きたいと思います。

 描くのは6日に完成してました。
でも発表は今頃。お疲れモードなので・・。
ちょっとキャラバン寸足らず気味ですね。
色しか似てません。
前回のラルゴから、もう少し大きい車を買おうと思い
同じニッサン系列のものを選びました。
友達もワゴン車が多く、同じ車は避けたいという思いもあったかな?
でも、ワゴン1号のラルゴのときほどの感動はありませんでした。
5月の連休前だったと思います。
連休に家族揃って、新車で遊びに行くことになり
ナガシマスパーランドまで日帰りしました。

キャラバンは(と言うよりワゴン車そのものが)商用車ベースを使って多人数が乗れるように
チョコッと細工しただけの車ですから不満は多かったです。
エンジンが運転席の下なので、暑い(夏は特に、冬は丁度いいかも)うるさい(助手席との会話も聞き取りにくかった)。
高速を走ったときに特にそう感じました。
一応4駆ですが、パートタイム4駆なのでちょっと邪魔くさい。
それに回転半径が馬鹿に大きかった。
(トヨタのエステマはワゴンで多人数で乗るために設計された車、第1号らしくやっぱり違うみたい)

ナガシマスパーランドでは2時間くらいで行きましたか?
そこでホワイトサイクロンに乗ろうと大勢のお客さんと一緒に並びました。
何と、その時間たるや家から長島温泉に行く時間と同じくらい!!
で、実際ホワイトサイクロンが走る時間は・・・・。
まぁ、おもしろいことはおもしろかったですが、もう5倍くらいの時間は乗りたかったです。

家族で出かけたのはその一度ッ切り。
その2ヶ月後。
事件は起こりました。

7月は3年生が部活動の集大成をし、最後の大会を迎える時期です。
この年も、ご多分に漏れずブロック大会を勝ち残り県大会へ出場することになりました。
連日の練習で体力的にも疲労感あり。
7月末に県中学校体育連盟夏季総合体育大会があります。
初日、朝6時前に起きてバレー部の引率。
生徒は頑張りましたが、二日目には残れず。
しかし、二日目は陸上競技の引率。
また6時前に起床して、生徒(女子1名のみ、バレー部のキャプテン、陸上兼任)を乗せて会場へ。
一日役員、その他でまたお疲れ(問題①)。
これは以前から予定していたので参加をやめることはできません。

ちょうどその折、従弟が若くして亡くなるという連絡が入りました。
お葬式は大会の三日目の日。
バレー・・陸上・・そしてお葬式と続きました。
こちらは、会場が高槻市で午前中の式なので朝4時に起き親戚を乗せて移動。
緊張の中無事式は終わり帰路につく。11時頃か12時前くらいだったと記憶。
運転は私。
助手席に姉。
2列目に別の従弟の娘二人。
3列目シートに親戚の男性2名。
姉が大津在住なので名神で大津まで帰り市内で昼食を取る。
お腹がふくれた(問題②)。
昼食後姉を降ろして、そのまま国道161を北上。


おっと、読者の皆さん!
ここで、隣に寝ている息子が「まだ~(おわらんか)!」とキーボードの停止を要求するので
本日はこれまで・・。
続きは明日で。
中途半端でごめんなさい。

「おはよう」の一言

2012-07-05 11:38:24 | 日記
7月は「青少年の非行・被害防止滋賀県強調月間」です。
そこでかり出されて、先日朝7時前から近江高島駅前で啓発のティッシュ配布をしました。
約1時間。
意外に乗降されるお客さんが少ないなぁ、と感じました。
特に降りてくる人はまばら・・。
乗るお客さんは高校生とかお勤めの方がある程度おられますが・・。
ティッシュを配布している人間の方が多かったりして。
たぶん皆さん、この近辺通りにくかっただろうなと思います。

この朝感じたこと。
けっこう若いきれいなお嬢さんがおられるな、と言うこと。
一緒にいた小学校の校長先生(女性)が「最近はみんなお化粧が上手だから・・」と一言。
「は~ん、みんな化けているのか?」と背筋が凍る思い。
同時に「こんな近隣に若いお姉さんが一杯いるのに、なぜうちの息子には彼女がないのか・・?」
とため息・・・。頑張れ息子!!

「おはようございます。これお使い下さい」と挨拶しながらティッシュを渡しました。
顔見知りも多くて「ご苦労様です」と久しぶりの挨拶をしたり
現職中に関わった子ども達(今高校生)に出会って・・「なにしてるんですか?」と言われても・・ね。
      
残念に思ったのは、若い方に少し元気が感じられないな、ということです。
朝早いから、まだ寝ぼけ眼で知らないおっさんに声かけられても・・とは思いますが
もう少し溌剌とした元気の良い声を聞きたかったです。(大きなお世話かな)
特に会社勤めをされているような感じの若いお姉さん方に多かった。
お勤めでお疲れだったり、仕事に行くのは休みの日よりも嬉しくないのはよく解りますが
元気よく挨拶することで、元気が沸いてくるということを再認識して欲しいなと思いました。

声が小さい。
中には無言の方も・・・。
よほど嫌なことがあったのでしょうか?
他人事ながら心配になりますね。
差し出したティッシュを受け取らない方もおられました。
好き好きですけど、あまりいい感じではないですね。
私なんかはアホですから、街頭で配りものをされていて差し出されると
取らないと気分悪いだろうな、と考えて要らないものまでもらってしまいます。
もらってあげたら、早く仕事が終われるだろうな、とも・・。
お人好しですか?

コミュニケーションってこういうところからスタートすると思うのですが・・。
同じ地域に住んでいる、どこかで関わりがあるかも知れない人たちなので
よけいにそんな風に感じました。

そんな中、嬉しい場面もありました。
一人の女子高生が向こうから歩いてきました。
「おはよう」と声かけをすると
こちらの方を見て私に気づき「おはようございます」と挨拶をしてくれました。
何とその時、彼女は一瞬歩みを止めて足を揃え頭を軽く下げながら挨拶をしてくれたのです。
ほんの一瞬のことなので、危うく見過ごすところでした。
中学生の頃の彼女は
男の子のような感じで、言葉遣いもどちらかといえば粗野な感じ。
勉強もあんまり好きではなかったように思います。
ソフトボール部で頑張っていて、その頑張りを活かすために北大津高校へ進みました。
今、中軸バッターとして頑張っているようです。
高校の運動部は中学校のそれとはまた異なります。
当然本人も高校生として自覚が生まれ、考え方もしっかりしてくる。
そんな彼女の1年と3ヶ月の成長ぶりが
この一瞬に垣間見られたような気がしました。
この行動が身についただけでも進路選択は成功だったように思います。
「早起きは三文の徳(得)」の一日の始まりでした。


長くなりますが、ここから「愛車遍歴」の始まり、始まり。

前回カムリで「あまり思い出がない車」と書きましたが
その後、それは大きな間違いであることを思い出しました。
思いで、ありました。
ひどい追突事故を起こしていました。
今でも情景が目に浮かびます。

それはとある12月の中下旬。
学級担任をしていて、2学期の懇談会が終わった日でした。
面談が続き緊張感もあって、終わってホッとしている帰り道です。
途中で本屋に寄りました。(そのままストレートに帰宅すればいいのに・・・)
小一時間本を眺めて、外に出ました。(これが数分早ければ・・)
車の乗ろうとしたとき、後方からワゴン車が・・・。
やり過ごして乗車、発進。
あたりはすでに薄暗くなっている。

100㍍ほど行くと信号。
前に先ほどのワゴンも停車。(また同じ方向で右折の指示器)
信号が青になり、ワゴンは一足先に右折、対向車のために私は遅れて右折。(ほぼ同時に右折なら・・)
右折後前は車無し。
曲がったところ100㍍右側に別の中学校。(また、こんなところに学校なんかなくても・・とは行かないけど)
ここも学期末懇談中。
教室の電気がこうこうとついている。
「まだ、頑張っているな~」とそちらを一瞬眺める。(面談、早く終わっておいてくれたら・・)
その時、左側にある喫茶店の駐車場から車が出てきた。
「バカヤロー」と思いながら左を見て避ける。(何で、こんなときに出てくるかなぁ)
と避けきって前方を見た瞬間 「エーッ!!」
先ほどのワゴンが目の前に・・・!!

喫茶店の次に衣料品を作る工場の門がある。
ワゴンは従業員送迎のためにここへ入るところ。
ちょうど、別のワゴンが門を出ようとしているところ(こんな偶然ありますか?)
これがなければワゴンはすんなり会社の敷地へ進入のはず。(誰が悪い事でもないのですが・・)

私の目に飛び込んできたのは、会社から出てくるワゴンを待つために停車したワゴン。
「ワッ!」とブレーキをかけるがときすでに遅く
一瞬ライトに浮かび上がって視界に入ったワゴンが、
軽々と前方へ飛んでいくのが見えた。
走っている車のパワーはすごい!!
ワゴンはそのまま会社の門柱に激突。
マイカーも前部が一部つぶれました。
こちらは怪我はありませんが、ワゴンの運転手さんは「青天の霹靂」
すぐに病院で検査を受けてもらう。
幸い、この運転手さん日頃は山仕事などもされておられるそうで
肩から首にかけて立派な僧帽筋!!
細いけれども大変筋肉質のがっしりしたお方。
怪我もたいしたことなく、車の弁償等で事なきを得ました。

注意1秒怪我一生、という言葉がありますが
気持が浮ついていたり、脇見運転したり、考え事をしているのは危ない危ない。
そんな嫌な思い出を持つカムリ君でした。
でも、事故ってちょっと何かでずれていたら回避できるかも知れないんですね。
これはもう神のみぞ知るところです。
結局、人の所為ではなくて、自分の責任ですから・・・。
「もしあれが、こうなっていたら・・」と悔やみながらも、多いに反省しています。


さて今回の車はこちら。

  名前の通りラルゴ(ゆっくりとか豊にという意味だそうな)です。

初めて買ったワゴン車です。
ワゴンにあたった(ぶつかった)から、ワゴンがあたった(手に入った)という語呂合わせではありません。
子ども達を連れてスキーに行こう、と思い立ちいきなり車屋さんにいって買いました。
衝動買いです。
(一応、奥様の了解は得てからですが、当然ながら・・)
室内が広々として快適でした(始めは・・)
後部の照明は丸形でシャンデリア調(?)。
買った当座、後部座席に座り込んで照明をつけ喜びに浸っていたものでした。
スキーに行こうということなので当然4輪駆動車です。
車屋に行って「今すぐ間に合うのを探してくれ」と頼んだらこれでした。
2000のガソリンエンジンだったと思います。
あまり馬力はなかったですね。
市街地ならまだしも、高速に乗ると他の車について行くのがやっとでした。
床も抜けよとばかりにアクセルを踏むのですが、友達の車について行くのが精一杯。
でも、初めてのワゴンで子ども達も小さかったので
冬はスキー、夏はキャンプと活躍してくれました。

ここから数台ワゴン車の時代が続きます。
あれから乗用車タイプには乗っていません。

この車で印象に残っているのは
初めてスキーに行ったときのこと。
下の息子が小学校3年生でした。
スキー旅行から帰って、家に着き荷物を下ろしていたとき
次男が「おとうさん、こんななってしもた」と言います。
見れば、ヘッドレストの穴に、ストックの先をカバーするゴムキャップを突っ込んでしまったのです。
子どもだったら何のことない悪戯ですが
スキーで疲れているのと、家に帰った安心感が混じった状態で
なぜか強く怒ってしまったのです。
その時の次男の悲しそうな顔。
たぶん、自分でも「新しい車なのに悪い事をした」と思ったのでしょう。
こんなに怒らなくても良かったな、と今反省しながら
あのときの次男の悲しそうな顔が今も浮かんできます。

先日聞いたら、本人はとっくに忘れていました。
良かった!!
ちなみにストックのキャップもちゃんと取れましたから・・。


長文をお読み頂き暑かれ様でした。
次回は恐怖のキャラバンです。

雨中のトライアスロン大会

2012-07-02 00:32:02 | 日記
今年は生憎の雨。それも大雨。
レースはどうせ水と汗で濡れるから、とはいうもののやっぱり雨は降らない方がいい。
  (誰か関係者に行いの悪い輩がいたに違いない。)

とはいえ予定どおりスタートしたらしい。
知り合いのFBにスイムの準備をする選手の写真がアップされていた。

そして数十分後、うちの家の前をバイクの選手が3回通過。
前の道はダラダラ登りが1.5㎞続く坂の最終ポイント。
けっこうみんなくたばっている。
鍛えている度合いが判明する。

 来るわ、来るわ.雨をものともせず(中にはものともしている人も・・)登ってくる。
まるで仏様のおろした蜘蛛の糸を登ってくる地獄の亡者のように・・・。
   (あんまりいいたとえじゃないですね。失礼しました
           でも、あえいでいるところは・・・同じかな?)

いつも思うけど、これ自転車だけでもかなりの金額ですよ。
200人参加するとして、安く見積もって平均10万としても
2000万円!!
すごいでしょ。
ヘルメット安物で5000円としても100万円。
いやー、なかなか。

と、話を戻して
悪コンディションの中、みんな頑張っていました。
生憎の天気なので応援が少なかったようです。
いつもうちの家の庭には10人くらいが集まって
「ガンバレー」「ラストよ-」などと声援を送るのですが
今年は私一人でした。

 声援も始めは声がかけにくいものです。
何人かに声をかけているうちに返事が返ってきたりして盛り上がり始めます。
3週目になると選手の方も慣れてきて、声がかかるのを待って返事をしてくれる人もいます。
自分の経験から、声援は嬉しいのですがあんまり声援が多いと返事に疲れます。
レースのエネルギーより返答のエネルギーが上回ったりして・・・。
最後の方は首を縦に振るだけで精一杯、失礼な話でした。
あの辛さは沿道の方にはご理解頂けたのだろうか?
わっかんねーだろうなぁ(松鶴屋千とせ : わかるかな? わっかんねーだろうあな~。)

自分で「ガンバ!!」と声をかけながら、
そう言われれば、昔走っているときに「頑張れ!」といわれて「うるさい、頑張ってるワイ」
と切れかけたことがあります。
そう、みんな大概必死に頑張ってるのよね。
何でも「頑張れ」って言えばいいんじゃないのよ。
たぶん相当疲れていたのだと思います。反省しています。

声援に大きな声で「ありがとう!!」と返答しながら去っていく姿を見ると
また声かけたくなって・・・、前の人に声かけたのに次の人にかけないと
先の人への声援が聞こえていたら感じ悪いだろうな、高島市の評判が下がるかも・・・・と考えてしまいます。
こんな風に気を遣いながら声援を続けていたら、ズボンがずぶ濡れでした。

 ただひたすら漕ぐ(回す)!!
この大会はショートディスタンスなのでなんとか完走はできる距離です。
湿気もあるのでバイクやランは、そういう意味ではいいコンディションかも知れません。
この苦しさが楽しめる人たちなんでしょうね、きっと・・。

 雉も畑の中から「ケーン!」と応援していました。

バイクは知り合いが走っていてもなかなかわかりません。
通過も早いし、サングラスがほとんど。
  不審者の団体みたいなものです。
今年は自転車用のシューズではなくてランニング用の靴を履いている人が多かったみたい。
ペダルも靴を止める形ではなく、普通の自転車の形なのであれはきついだろうな。
経験上言えば、ベルトで止めたり、専用シューズでワンタッチのスキーのビンディングみたいな器具を使うのが良いと思います。
ペダルは押し下げるよりも回すもの。
グッと踏むだけではなく、逆足で引き上げる力が使えるとかなり効率的です。
次回参加されるときはぜひペダルに一工夫されることをお勧めします。
(自転車協会の回し者)
また来年まで、お元気で・・。

そういったレースを庭の片隅から花達が応援していました。


    



    とても、こいつ等に気づく余裕はなかったでしょう。
「皆さんお疲れ様でした。
 もっとトレーニングを積んできなさい。
 うちの家の前(坂のてっぺん)ではみんな止まりかけてますよ~。
 修行が足りません。」
と花達が申しておりました。

さてシリーズ「愛車遍歴」
今日のゲストはこれ。

     

トヨタカムリ、1800 FF 典型的な乗用車タイプ。
シビックから変えました。
買える気はあまりなかったのですが
しつこい(?)セールスマン(笑ってはいませんでしたが・・)に口説き落とされてしまいました。
今思うと、もっとシビックで良かったかな・・と。
何でカムリを買ったのかなぁ?
落ち着いた感じになりたかったのかな?
結局セールスのO君が車売りたかったからでしょう。

この車は可哀想なのは後の話で・・・、
この後にワンボックスを買うことになるのですが
この車は奥様が乗られるという流れになります。
その結果、よそ見運転で追突をして廃車になってしまいました。
幸い大きな怪我はなかったのですが、差し障りがありますので詳しくは触れないでおきます。
ただ、その時につぶれた車の代わりにカローラの1500ツーリングワゴンを買いました。
そうしたら、10年の歳月は車の性能をこうも向上させるものか・・と驚愕の思い。
1500のカローラの方が1800のカムリよりよく走る。
世の中、進歩しているなぁと実感した次第です。
おっさん臭い感じでしたが落ち着いたイメージの車でした。
この車にはまだカーナビはありませんでした。
それほど遠くへも行かなかったし・・。
子どもは小学校の低学年くらい。
今の家を建てる前頃です。
何でカムリを買ったのかなぁ。
そう考えると、ほとんどの車が「何で買ったの?」という気がしてきました。
借金したかったから、と言う返答が一番あっているかも・・。

さて、次はワンボックス。
必要に刈られ無理矢理買いました。
さてどうしてだったのでしょう?
次回をお楽しみに・・。

ヨッシー様、カムリの出来はいかがでしたか?
合格してます?