昨日は薫風香る初夏の雰囲気で、大変いい感じの天候でした。
しかし今日は、雨、風、雷、気温の低下と酷い天気になりました。
そんな中、降雨の間隙を縫うように久しぶりのウォーキングに行きました。
日誌を見ると3月1日以来。
畑の畝作りや部活の指導やらで体を使うことが多かったので、その分ウォーキングがお預けになっていた。
それにしても長いインターバルでした。
歩き方を忘れたかと思ったが、ちゃんと歩けました。
少し、右足の膝周りとその上下に違和感が残っている。
でも、久しぶりにいい汗をかくことが出来た。
景色は新緑の季節になっていた。
薄曇りの中で・・。
葉の緑が勢いを増して・・。
イタドリも大きくなり、食べ頃?
いつもの沼も新緑に溢れて・・。
水面はあくまでもゆったりとさざめき・・。
まるで蝶が舞い踊るような若葉の群れ。
シャガも藪に不釣り合いな花を見せびらかしているようで・・。
季節はすっかり変わっていた。
また、勢いのある季節に乗って、体を動かしていきたい。
さて、教え子からメールが来ました。
昔、大津に勤務していたときの生徒です。
中2で担任もし、バレー部員でもありました。
メールの内容というと
さて、○○(息子さん)のことですが、
昨年の夏、家族旅行も止めてバスケットの練習を頑張り、最後の大会にユニフォームを手に入れました。
しかし、1秒も出してもらえず悔しい終わり方をしました。
高校進学が決まって、何回か練習には行きましたが、
帰って来てその感想を尋ねると不機嫌になり「勝つだけが目的のバスケットはしたくない」、と言い出しました。
そんなとき、身長(182)と左利きだと言うことを認められ、バレー部から誘いがあり見学に行って体験し、
その日に入部を決めました。体験の日にその内容を話すときの目を見たら、輝いていました。
やりたいことをやれば、今までの努力は無駄にならないよと信じています。
私が先生に教えてもらったバレーを○○も3年間頑張って欲しいです。
長々とすいません。 ご報告まで・・。
中学の部活に残念ながら、あまりいい思い出を作れなかったんでしょうね。
まま、ある話です。
彼の頑張りの気持と指導者の思いが少しずれたのかも知れません。
サブの選手を使う余裕が、大会の時にチームやコーチに無かったのでしょう。
彼にしてみればせっかく頑張ったのに・・という思いだけが残ってしまったのかも知れません。
幸い、バレー部から誘いがあり頑張る道を見つけられたことは、すごくラッキーだと思います。
高校から始めて大成している選手をたくさん知っていますし、体格や利き腕も好条件なので
頑張り次第で、中学校のリベンジが可能ではないかと期待しています。
くじけずに頑張って欲しいものです。
この話を聞いたとき、もっと悲惨な終わり方をした生徒を思い出しました。
私が持っていたバレー部員の話です。
私はいつもメンバー発表、特にレギュラー以外の発表は大会前日に伝えることにしていました。
なぜなら、上手下手はあれみんなそれぞれ懸命に努力しているのを見ると
早くから選手を固定しきれなかったからです。
3年生の最後の夏の大会になって、いよいよベンチ入りの生徒の発表の日。
たまたま、その学年は部員が比較的多かったこと
それから、2年生が数名レギュラーに名を連ねていたこと等厳しい条件はありました。
その生徒は技術こそそんなに目立つことはなかったですが、
毎日大きな声を出して練習し、チームのムードメーカーとして頑張ってくれていました。
監督だった私は、その瞬間まで悩んで悩んで、苦渋の決断をしました。
頑張っている彼女らをはずして、チームが勝てるメンバー構成を採用したのです。
外れたのは彼女だけではありませんでしたが、発表の時は友達の手前もあり表にはだしませんでした。
とても大きなショックを受けていたと想像できます。
こんな酷い仕打ちはこれまで受けたこともなかったでしょう。
夜になって、彼女のお父さんからお電話を頂きました。
「帰って来てふさぎ込み、泣いている」「なぜうちの子はメンバーから外れたのか、説明して頂きたい」
とのこと。当然だと思いました。
私は、チームの事情やメンバーの様子をお話しし、
「まことに申し訳ないことですが、彼女なら今のチームの状況を理解して私の思いを分かってくれると考えて決断させて頂きました」とお話ししました。
いろいろとお話ししたあと、お父さんは「先生のご苦労はよく解りました。」と仰って電話をお切りになりました。
さて、翌日の大会。どうするかと心配していると、
彼女とメンバーを外れた子達はギャラリーに上がって最後まで大きな声を切らせることなく応援をしてくれました。
今思い出しても、熱いものがこみ上げる気がします。
きっと、あの電話のあとお父さんが彼女にいろいろお話をして下さったのだと思います。
悔しく悲しい気持で一杯の胸の内をこらえて、頑張って応援してくれた姿を忘れることは出来ません。
後日、彼女も高校へ進学しました。
高校ではバレーボールではなくアーチェリーという競技を選んで精進し
全国大会で優秀な成績を収めました。
その結果をひっさげて同志社大学への推薦入学も手に入れました。
そのニュースを耳にしたときの感激を今も忘れることは出来ません。
夏の大会でユニフォームをもらえなかったことが、そこに繋がったのかなと思うこともあります。
実は、これ、この生徒は今息子さんのことでメールをくれている彼女に他ならないのです。
中学の頃をどんな風に思い出しながらメールをしているのかな、とフッと思いました。
だから、○○(息子)君もお母さんに負けずに種目を変えても、まずは多いに楽しんで欲しいと願っています。
今の目の輝きを無くさず、充実した高校生活を送られることを祈ります。
頑張れ!
しかし今日は、雨、風、雷、気温の低下と酷い天気になりました。
そんな中、降雨の間隙を縫うように久しぶりのウォーキングに行きました。
日誌を見ると3月1日以来。
畑の畝作りや部活の指導やらで体を使うことが多かったので、その分ウォーキングがお預けになっていた。
それにしても長いインターバルでした。
歩き方を忘れたかと思ったが、ちゃんと歩けました。
少し、右足の膝周りとその上下に違和感が残っている。
でも、久しぶりにいい汗をかくことが出来た。
景色は新緑の季節になっていた。
薄曇りの中で・・。
葉の緑が勢いを増して・・。
イタドリも大きくなり、食べ頃?
いつもの沼も新緑に溢れて・・。
水面はあくまでもゆったりとさざめき・・。
まるで蝶が舞い踊るような若葉の群れ。
シャガも藪に不釣り合いな花を見せびらかしているようで・・。
季節はすっかり変わっていた。
また、勢いのある季節に乗って、体を動かしていきたい。
さて、教え子からメールが来ました。
昔、大津に勤務していたときの生徒です。
中2で担任もし、バレー部員でもありました。
メールの内容というと
さて、○○(息子さん)のことですが、
昨年の夏、家族旅行も止めてバスケットの練習を頑張り、最後の大会にユニフォームを手に入れました。
しかし、1秒も出してもらえず悔しい終わり方をしました。
高校進学が決まって、何回か練習には行きましたが、
帰って来てその感想を尋ねると不機嫌になり「勝つだけが目的のバスケットはしたくない」、と言い出しました。
そんなとき、身長(182)と左利きだと言うことを認められ、バレー部から誘いがあり見学に行って体験し、
その日に入部を決めました。体験の日にその内容を話すときの目を見たら、輝いていました。
やりたいことをやれば、今までの努力は無駄にならないよと信じています。
私が先生に教えてもらったバレーを○○も3年間頑張って欲しいです。
長々とすいません。 ご報告まで・・。
中学の部活に残念ながら、あまりいい思い出を作れなかったんでしょうね。
まま、ある話です。
彼の頑張りの気持と指導者の思いが少しずれたのかも知れません。
サブの選手を使う余裕が、大会の時にチームやコーチに無かったのでしょう。
彼にしてみればせっかく頑張ったのに・・という思いだけが残ってしまったのかも知れません。
幸い、バレー部から誘いがあり頑張る道を見つけられたことは、すごくラッキーだと思います。
高校から始めて大成している選手をたくさん知っていますし、体格や利き腕も好条件なので
頑張り次第で、中学校のリベンジが可能ではないかと期待しています。
くじけずに頑張って欲しいものです。
この話を聞いたとき、もっと悲惨な終わり方をした生徒を思い出しました。
私が持っていたバレー部員の話です。
私はいつもメンバー発表、特にレギュラー以外の発表は大会前日に伝えることにしていました。
なぜなら、上手下手はあれみんなそれぞれ懸命に努力しているのを見ると
早くから選手を固定しきれなかったからです。
3年生の最後の夏の大会になって、いよいよベンチ入りの生徒の発表の日。
たまたま、その学年は部員が比較的多かったこと
それから、2年生が数名レギュラーに名を連ねていたこと等厳しい条件はありました。
その生徒は技術こそそんなに目立つことはなかったですが、
毎日大きな声を出して練習し、チームのムードメーカーとして頑張ってくれていました。
監督だった私は、その瞬間まで悩んで悩んで、苦渋の決断をしました。
頑張っている彼女らをはずして、チームが勝てるメンバー構成を採用したのです。
外れたのは彼女だけではありませんでしたが、発表の時は友達の手前もあり表にはだしませんでした。
とても大きなショックを受けていたと想像できます。
こんな酷い仕打ちはこれまで受けたこともなかったでしょう。
夜になって、彼女のお父さんからお電話を頂きました。
「帰って来てふさぎ込み、泣いている」「なぜうちの子はメンバーから外れたのか、説明して頂きたい」
とのこと。当然だと思いました。
私は、チームの事情やメンバーの様子をお話しし、
「まことに申し訳ないことですが、彼女なら今のチームの状況を理解して私の思いを分かってくれると考えて決断させて頂きました」とお話ししました。
いろいろとお話ししたあと、お父さんは「先生のご苦労はよく解りました。」と仰って電話をお切りになりました。
さて、翌日の大会。どうするかと心配していると、
彼女とメンバーを外れた子達はギャラリーに上がって最後まで大きな声を切らせることなく応援をしてくれました。
今思い出しても、熱いものがこみ上げる気がします。
きっと、あの電話のあとお父さんが彼女にいろいろお話をして下さったのだと思います。
悔しく悲しい気持で一杯の胸の内をこらえて、頑張って応援してくれた姿を忘れることは出来ません。
後日、彼女も高校へ進学しました。
高校ではバレーボールではなくアーチェリーという競技を選んで精進し
全国大会で優秀な成績を収めました。
その結果をひっさげて同志社大学への推薦入学も手に入れました。
そのニュースを耳にしたときの感激を今も忘れることは出来ません。
夏の大会でユニフォームをもらえなかったことが、そこに繋がったのかなと思うこともあります。
実は、これ、この生徒は今息子さんのことでメールをくれている彼女に他ならないのです。
中学の頃をどんな風に思い出しながらメールをしているのかな、とフッと思いました。
だから、○○(息子)君もお母さんに負けずに種目を変えても、まずは多いに楽しんで欲しいと願っています。
今の目の輝きを無くさず、充実した高校生活を送られることを祈ります。
頑張れ!