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大本営発表。

2020-08-03 22:09:58 | 日記

久し振り悪友と飲んだ、当然だが友によって話題が違う。

自負だが中学時代も勉強は全くしなかったが、それなりに出来た。

当然と言うか、俺には不思議だが成績によってグループが出来る、一流高校、二三流高校、職業高校、私立高校、就職組だ、馬鹿馬鹿しいと思ったが現実だった。

幸い変人にて全部の学友と交際出来た、珍し生徒だったが後の人生の役に立った。

中には勉強は出来ても明らかなアホが居た、国立大学に入学したと聞いたが学歴と年功序列の世代だ何処に就職したか知らないが、部下が可哀そうと思って笑えた。

本題に入ります、政治論争出来る悪友にて当然アホの話題が主だったが勿論調査中の特攻隊の話題に成った、我ら団塊の世代だ悪友今でも大学で聴講生として学んでいるが分野が違うので、話は行き詰る。

そこで我々の大声の論争を聴いていたのか、若者三人の質問と言えるか賛同の声が入った。

僕たちも特攻隊尊敬してますの言葉だった、特攻隊の出撃時の笑顔素晴らしい)だ、映画かと聞いたら

実録映像だと言う、呆気にとらわれたが即納得した日本軍が記録か映画様に撮影した画像だろう。

出撃シーンに泣き顔は絶対に撮らない、天皇陛下万歳で意気揚々と神国の為身を捧げますが精一杯だろう。

笑いがこみ上げて来たが真剣な言葉にて必死に堪えた、因みに(大本営発表)知っているかと質問したが理解出来なかった、昭和ではお笑い言葉だが平成ベビーには通じない。

色々説明したが俺が不利な状態だ、永遠の零や知覧特攻平和会館の創られた遺書で美化され真実が消えているのだろう、勿論現政権やお偉い方には都合の良い物語に成る、大成功だろう。

しかし大本営発表が死語に成るのは悲しいが、(歴史は正確で無く常に創造される)の格言噛み締めた。

 

 


ワーグナーと古関裕而。

2020-08-03 19:37:21 | 日記

俺は小学生の頃からワーグナーが嫌いだった、多分ヒットラーに協力イメージが強いからだろう。

Y新聞が戦争中の特集を組んでおり一部引用します。

古関裕而と言っても理解できない人が多いでしょう、露営の歌(勝って来るぞと勇ましく~)若鷲の歌(若い血潮の予科練の~)等を作った戦時歌謡の作曲家です。

厳密には軍歌とは区別が有るようです、軍人達を鼓舞激励して軍隊が作ったのが軍歌だそうです。軍艦行進曲や

海ゆかば等がそうです。

彼は曲がヒットして予科練にあこがれ、多くの若人が特攻隊で命を無くした事を後悔して戦中の話はしなかったそうです。これは息子さんの話ですが依って(戦争責任)を問うた人もいたそうです、かばうわけではないと前置きして、それなら戦時下に生きた多くの日本人に責任が有ったと述べていますが、これは事実を含んでると思います

神国日本の国家に騙されていたが、それでも戦争に反対もせず協力したのです当然反省すべきだったと思います

意志ある人間は戦中でも反対しました、依って憲兵隊や特高警察に何百人も虐殺されたのです。

国民に戦後の反省が無かったことは非常に残念です、だから現在アホ政権が有るのです。

古関裕而は反省しました、戦後戦争孤児のドラマ(鐘の鳴る丘)の主題歌(とんがり帽子)や(長崎の鐘)に因んだ曲(こよなく晴れた青空を~)を作曲しました、そして集大成が1964年のオリンピックマーチです。

嘘の復興五輪とは時代背景が全く異なります、私の穿った私見ですが(己の戦争責任)に決着をつけたのでしょう、生き逃れたお偉い人や軍人官僚その他と責任感が全く違います。

新聞読んでいて、尊敬できる日本人に初めて会った気分です、貴方こそ(真の大和魂)の持ち主です。

天国で本来目指したクラシック音楽の作曲に励んで下さい。            合掌。