ここで(落日燃ゆ)城山三郎の小説(ドキュメンタリー?)を出したら失礼だろうか。
彼の作品はノンフィクションに近いと思い素晴らしい作品で評価に値する作品です。
しかし不埒な変人の俺は裏読み必ずします、人間として貧しく感じますが戦争にトラウマが有り悲しいです
A戦犯で処刑された7人の中に背広の文官が一人いた、福岡の貧困な石屋の倅で生まれたが東大を出て外務省に勤めた広田弘毅氏だ、12月23日の意味ある日に処刑された、七人の(デス、バイ、ハンギング)は午前0時01分に始まったそうだ、諸説色々有るが皆が万歳三唱する中マンザイと聞き最期に漫才三唱したそうだが謎だ、調べて見ると彼にはユーモアセンス多分に有ったそうだ。
ただ福岡では、マとザの方言が有るらしいが、死に際のジョーク説を取りたい。
彼は東京裁判でも言い訳は一切せず、刑が 決まっても(雷に撃たれた様)と子供たちに平然と語っている。(風車、風の吹く迄昼寝かな)(清く生き清く死ぬ)は夫婦の格言です。
ただ妻を判決半年前に自殺で亡くしている、妻曰く(私は右翼の子、故に貴方に迷惑は~云々)だった。
愛した妻の死、これは決定的なダメージだろう何処にも書いて無いが気持ちは奥深く理解できる。
彼は子供たちに遺書も残さず最期の面会では笑って去り亡くなったそうだ。漫才三唱しただろう。
ここでお笑い失礼、現在もそうだが官僚の多くは財界政界から縁続きに成るそうだ。
広田氏は唯一と言うべきか貧乏人の娘を嫁に取った、幸か不かは本人しか知らないが幸せな夫婦と信じたい
現在の政界を見渡すと皆親戚だ、八紘一宇で思い出すが(人類皆兄弟)の戦犯を思い出す、何故ボートレースの特権を持っているのか今だに不思議だ。これが戦後の実情なのだろう。
何も変わっては居ない、ズルイ者が勝ち常に正直者は敗者だ。それが世の常だ。
本題を戻します、処刑者の荼毘は当日久保山火葬場で8時から秘密裏に行われ軍に没収されて、東京湾に撒かれたらしい、狂言的な信者を恐れたのだ。しかし異変は起きた遺骨全部は回収しなかったのだ。
火葬場の近くに灰に近い遺骨をばら撒いたらしい、それを知った人物が拾って興亜観音に収めたのだ。
これは物語に無いが俺は不思議な発見をした実に奇妙な事だ、先程死刑日は12月23日と述べたが当日の指揮官ウオルトン、ウオーカーが朝鮮戦争で年は違うが12月23日にジープで事故死しているのだ。
偶然にしても不思議だが、何故其処に七人の遺骨が有るのか分かった副官も不思議だ。
住職(神官?)は26年12月23日未明に悪霊払いをして、ウオーカーの慰霊碑を建立して法要を営んだそうだ、世にも不思議な物語信じて貰えそうも無いですが事実です俺自身も感じます。
本題に戻ります、時は流れ厚生省引揚護局は30年4月に骨灰を七等分し白木の箱に納め遺族に引き渡したが、広田遺族だけ断った(誰の骨だか分から無い)が表向き理由だが意志充分に理解できる。
34年4月興亜観音の境内に(七人の碑)が吉田茂や多くの軍人が出席したが、誰一人広田の遺族は無かった
男団にしては失礼と思って居るが、ユーモアの働く人間だと知り敢えて書きました、50年早く生まれて失敗の声聞いてです、ジョークでお返しいたします。現在も同じ状況ですそれは広田さんが天皇から直接聞いた総理に対する三カ条では無く、第四の’(名門を崩すことのないように)貴方も疑問に思ったでしょうが
一番下らない言葉で戦争責任そのものですが、責任を取った人は皆無です。
あの世で、天皇陛下漫才と叫び地獄と外交交渉して下さい。
最後に一言申し上げます、筆者が最後に書いて居ますが(日本を滅ぼした長州の憲法)の終焉と成っていますが、現在の日本では再登場の可能性大です非常に残念ですが真実悲しい。
長文にて覚悟して読んで下さい(天皇からの第四の司令有り)
http://www.asahi-net.or.jp/~MI6M-FRYM/diary/2005_2q.html
これは短文で必読
http://www.history.gr.jp/nanking/gm5.html