2023年5月16日(火曜日)晴れ時々曇り。31℃-30℃~13℃。降水確率0%-1%。湿度78%(7:37 ) 21%(15:03)。紫外線量8。北のち西の微風。
コーヒータイムの後、11:00出発。ミネイロのPに駐車。アヌンシアーダ郵便局からアソーレスの幸さんから頼まれていたメンソレ3缶と詰め替え用仁丹3Pを郵送。封筒=1,30€。送料=4,25€。合計=5,85€。クルマはそのままにし、ジャカランダが咲くルイサ・トディ大通りを歩き、10月5日通りの税務署にクルマの税金を支払いに。税務署の番号札機械が故障とかで10人程が待つ中、お客の一人がテキパキと「この人の次は誰それでその後があなたよ」などと教えてくれてスムーズに。2023年度クルマの税金=38,87€。ボカージュ広場でMUZと落ちあい、再び10月5日通りの『CANOA』で昼食。ビットーク・デ・ポルコx2。ノンアルコールビールx2。フルーツサラダx2。デスカフェイナードx2。合計=24,40€。メルカドに寄り、パラグアイ桃がないか見てみたが見当たらず何も買わず。又、ルイサ・トディ大通りを何度も休憩しながらPまで戻る。帰宅は14:45。
『昨夜の映画』は
『危険な年』(The Year of Living Dangerously)1982年。オーストラリア映画。114分。監督:ピーター・ウィアー。 1965年、スカルノ政権末期のインドネシアで、放送局の特派員と英国大使館の秘書が恋に落ち、国家的動乱に巻き込まれていく様を描く。1965年春、スカルノ政権末期のインドネシア。共産党(PKI)や反体制勢力が力を持ち始め、20年間も独裁権力をほしいままにしてきたスカルノも、政権の座をおびやかされていた。 オーストラリアの放送局員ガイ・ハミルトン(メル・ギブソン)が特派員としてジャカルタにやって来る。ハミルトンはホテルでワシントン・ポストのカーティス(マイケル・マーフィー)、ヘラルド紙のウォーリー(ノエル・フェリアー)、フリーのカメラマン:ビリー・クワン(リンダ・ハント:男性役)と会う。クワンはハミルトンに好意を示し、彼のために共産党のリーダー、アイディットへの独占インタビューを段取りし、成功させる。その記事はハミルトンのスクープとして高く評価される。 ホテルのプールサイドで、ハミルトンはクワンに英国大使館のヘンダーソン(ビル・カー)とその秘書ジル・ブライアント(シガニー・ウィーバー)を紹介される。ジルは二週間後にロンドンに帰る予定だった。ジルとハミルトンは、お互いにひかれて行く。 街には反体制のデモ隊が溢れ、ハミルトンはクワンと運転手クマールを伴い取材に出かけたが、足にケガをしてしまい、クワンの家で手当てを受ける。危険な目に遭いながらも、貧困と内戦に苦しむ国民の現状を目の当たりにしたハミルトンは、心を痛めるのだった。 ある日、ハミルトンはクマールを連れて港に出かける。しかし彼が車で眠っている間に、クマールはジャワの田舎へ彼を連れていってしまう。そこで初めて、クマールとその妻タイガー・リリィがPKIのメンバーであることを知らされる。 冒頭ではスカルノ政権を肯定していたクワンだったが、子供の死を受けスカルノ批判に一転、警官隊に追いつめられ、ホテルの窓に横断幕を掲げてハチの巣にされ、劇的な死を遂げる。 ハミルトンとジルは、クワンが長年集めた情報ファイルを守るため、彼のバンガローに向かう。警官に追われた二人は、空港での再会を約して別れるが、間もなく、スカルノ失脚のニュースが伝えられる(1965年9月30日事件)。共産党のクーデター失敗に乗じて政権を奪取した軍部の共産党狩りが始まり、戒厳令が敷かれる中、ハミルトンは検問を通り抜けて、ジルの待つ空港にかけつけ、ふたりは再会する。 (Wikipediaより)
武本比登志の油彩No.827.
「ポルトガル淡彩スケッチサムネイルもくじ」
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