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※戦後のバスはニッサン、トヨタ、日野、いすゞ、ふそう等の国産車が主流になった。
昭和23年、米軍払い下げによる水陸両用車アンヒビアン(キャブオーバー)が姫路・神戸で利用された。この年トヨタ・ニッサンの国産車が軌道に乗ったとある。
写真:「神姫バス70年史」より
電気自動車の登場
昭和10年代、戦争準備のため代用燃料の研究が進められ、代燃車として、木炭や薪を利用する木炭車・薪車が開発された。
もう一つの研究に電気自動車(エレキカー)があった。しかし開発が遅れて、実用化されたのが、皮肉にも戦争が終わってからであった。当時は一回充電で走れるのは100km足らず、主に小型車でバスにも採用された。
この電気自動車を購入使用したことが神姫バスの使用車両記録に「昭和24年3月 中島電気自動車 乗合35人 購入6台」とある。しかし、備考に「一充電による走行距離の制限で使用期間は短かった」とある。バスとしての実用には、無理があったようである。
現在エコカーとして、電気自動車が人気を得ているが、日本では戦争を機に戦前より開発され普及はしなかったものすでに実用化されていたことを、自動車の歴史から知ることになった。
▼写真:「昭和自動車史 毎日新聞社S54」より
上 電気バス 東急に納入された「ふそうMB46型」昭和23年7月撮影
下 「たま」電気自動車 フロアの下にバッテリーを積んでいる。 昭和23年7月比谷附近