余裕があったら土日に心電図の勉強しようかなと思ってはおりましたが、「余裕があったら」という言葉を想起していた時点で敗北宣言だったことに気が付いている実質月曜日の深夜でございます。千葉から帰り損ねて気が付いたら新宿にいたという1日の始まりでしたが、この土日も瞬殺で過ぎ去ってしまい悲しい限りです。泥のように寝たい。医大生・たきいです。
カリスマブロガーのはあちゅうさんが仰っていた言葉の中に印象に残っているものがひとつ。
「偏差値30の人にもわかる言葉で書く」
これは、はあちゅうさんが広告代理店でバリバリ働いていたときに先輩からアドバイスされた言葉なのだとか。広告代理店に勤めている人なんてどなたも高学歴で頭が切れる人ばかりに違いないだろうし、自分たちは偏差値70は下らないという自負くらいありそうだ。そういう人がこんなこと考えているのかと思うとちょっと怖いけれど(笑)、なかなか示唆に富む言葉のように思える。
わたくしの高校の先輩の井上ひさし氏にもっと格調高く語っていただければ、
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
ということになろう。わかりやすくプレゼンテーションする技術はこれからの時代、必須であるように思える。氾濫する情報を切り取り、調べつつまとめて人に伝える力がものを言う時代が来ているのだ。
土日にわざわざ千葉にいたのはどうしてかというと、わたくしの書いた文章を後輩のみんなに推敲してもらうという作業をするためで、とにかく「分かりやすい」ことを最優先にみんなで頭を絞った。「偏差値30」の話を出してみたら、優秀な後輩諸君がこれでもかと、よりわかりやすい表現を考え始めてくれたのである。「偏差値30」がちょっとしたぼくらの流行語になった。そんな一場面。
「たきいさん、この漢字なんて読むんですか?」
「“悖る”は“もとる”で反するって意味だよ。」
一同、読めねーよ、と。こんな言葉を用いてしまったのは自分の国語力をひけらかしたいという奥底の思いが滲み出た結果だったかと反省した。これでは万人に伝わる表現とはいえない。
「確かにねぇ、30の人にはわからんよねきっと」
すると、笑い出してしまう後輩たち。確かに言われてみれば、今の言葉は「おまえは偏差値30だ」とも取れなくもない。すかさず「ごめんごめんそういう意味じゃない」と訂正。無論、「優秀な君たちですら分からないのだから、偏差値30の人が分からないのは当然だ」という旨である。抑揚形の前提条件を省略してしゃべってしまったに過ぎない。
考えれば考えるほど、日本語の難しさと深さとに気付かされる。総じて、医学部の学生は伝えることが苦手なはず。大学入試とタイトな医学教育とでインプットの術には長けている人が多いだろうが、文系の学生が得意であろう単純明解なプレゼンはみんな不得手。だからこそ我々は自発的にこうしたトレーニングを積まねばならない。これからも修業は続く。
(憧れの女医さんがご結婚なさると聞いて結婚したい欲が高まってるなうな人(笑))