2019.08.31(日) 第19回歴史的風致散策 日本ワイン発祥の地「祝村」を巡る
に参加した。
ぶどうの国文化館をスタートゴールに、
8時00分スタート
①「是従葡萄の里 祝村」碑(「これより葡萄の里 祝村」と読む)
笛吹市との境に建っていた。
②勝沼醸造さん の和風建物
③くらんぼんワインさん の和風建物
ワイン貯蔵庫等を見せていただいた。
④トロウ園さん
「ぶどうの沿革」と題するワンペーパーを頂戴した。
雨宮勘解由伝説や、後述する本草学者の甲斐徳本に関する説明あり。
徳本とは、張り薬の「ドクホン」で著名な学者。
➄氷川神社
⑥大一葡萄園さん
⑦宮光園(昼食休憩 見学兼)
著名につき写真はなし。
⑧龍憲セラー跡
⑨勝沼図書館
⑩ぶどうの国文化館
⑪その他
ぶどう冷蔵庫の跡
値崩れ防止のために出荷調整を行ったが、そのためにこのようなぶどうの貯蔵庫(冷蔵庫)がつくられた。
甲斐徳本先生の顕彰碑
雨宮勘解由の顕彰碑
「文治2年(1186年)、石尊社の祭日のおり、雨宮勘解由が同宮に参拝の折、城の平にて自生の蔓性植物をみつけ、これを
村内に移植培養したところ朱金色の果実が成り、その味が大変甘かったので大いにその増殖を図った」との故事による。
14時30分終了
※全行程 約6kmとあったが、小生の万歩計は1万4千歩、約10kmと表示していた。
道だけの距離は6kmだが、実際は葡萄園の中の様々な記念碑を見てまわり、
ワインセラーの地下にあるワイン保管庫を見学させてもらったり、
氷川神社においては長い階段のある境内を歩き回った訳だから、
そのくらいは歩いたかもと、納得できる数値である。
今回は初めて歩いたところが大部分だったから、長時間の行程だが飽きることはなかった。
昭和天皇が東宮(皇太子)時代に、祝村の葡萄園を訪れたことは宮光園での映画鑑賞で知ってはいたが
訪れた場所に個人が私財を投じて記念碑を建立していたとは、当時対応した人たちの感激ぶりが伝わってくる。
水はけが良すぎて水田耕作には適さないマイナス面を、水はけが良いことで良質なものが収穫できる
ぶどう栽培へと舵を切り、さらに葡萄栽培に付加価値をつけるためにワイン醸造に挑戦をし続けた人たちの
勇気と英知に、尊敬と感謝の念を禁じ得ない。たいしたものだと思う。
に参加した。
ぶどうの国文化館をスタートゴールに、
8時00分スタート
①「是従葡萄の里 祝村」碑(「これより葡萄の里 祝村」と読む)
笛吹市との境に建っていた。
②勝沼醸造さん の和風建物
③くらんぼんワインさん の和風建物
ワイン貯蔵庫等を見せていただいた。
④トロウ園さん
「ぶどうの沿革」と題するワンペーパーを頂戴した。
雨宮勘解由伝説や、後述する本草学者の甲斐徳本に関する説明あり。
徳本とは、張り薬の「ドクホン」で著名な学者。
➄氷川神社
⑥大一葡萄園さん
⑦宮光園(昼食休憩 見学兼)
著名につき写真はなし。
⑧龍憲セラー跡
⑨勝沼図書館
⑩ぶどうの国文化館
⑪その他
ぶどう冷蔵庫の跡
値崩れ防止のために出荷調整を行ったが、そのためにこのようなぶどうの貯蔵庫(冷蔵庫)がつくられた。
甲斐徳本先生の顕彰碑
雨宮勘解由の顕彰碑
「文治2年(1186年)、石尊社の祭日のおり、雨宮勘解由が同宮に参拝の折、城の平にて自生の蔓性植物をみつけ、これを
村内に移植培養したところ朱金色の果実が成り、その味が大変甘かったので大いにその増殖を図った」との故事による。
14時30分終了
※全行程 約6kmとあったが、小生の万歩計は1万4千歩、約10kmと表示していた。
道だけの距離は6kmだが、実際は葡萄園の中の様々な記念碑を見てまわり、
ワインセラーの地下にあるワイン保管庫を見学させてもらったり、
氷川神社においては長い階段のある境内を歩き回った訳だから、
そのくらいは歩いたかもと、納得できる数値である。
今回は初めて歩いたところが大部分だったから、長時間の行程だが飽きることはなかった。
昭和天皇が東宮(皇太子)時代に、祝村の葡萄園を訪れたことは宮光園での映画鑑賞で知ってはいたが
訪れた場所に個人が私財を投じて記念碑を建立していたとは、当時対応した人たちの感激ぶりが伝わってくる。
水はけが良すぎて水田耕作には適さないマイナス面を、水はけが良いことで良質なものが収穫できる
ぶどう栽培へと舵を切り、さらに葡萄栽培に付加価値をつけるためにワイン醸造に挑戦をし続けた人たちの
勇気と英知に、尊敬と感謝の念を禁じ得ない。たいしたものだと思う。