10月15日は、菅田天神社の例大祭の日である。
この例大祭の日に上東区のお神輿が出御する。
例大祭の日は曜日に関わらない。
祭りの日は憶えやすいのであるが、今年のように15日がウイークデイであると、神輿の担ぎ手確保に難儀する。
上東区は住宅地、神輿の担ぎ手世代は殆どが勤め人、
「地域行事参加のための休暇」は取りにくい。
それに、若人の都会流出により高齢化がすすみ、担ぎ手世代の絶対的人数は減少の一途だからだ。
本日15日は月曜、ウイークデイだから他区からの応援者を得て、担ぎ手をぎりぎり確保できたようだ。
「ぎりぎり」とういうことは交代要員が不在を意味する。
頻繁に休憩タイムをとるとは言え、3~4kmを担ぎ続けるというのはハードだ。
この神輿を取り仕切るのは上東区の青年組織である東和会の会長である。
担ぎ手等の要員確保から始まって、出御式招待客への招待状発送、神主等出御式手配、神輿渡御ルートの警察への道路使用許可申請、休憩場所手配等々、神輿出御のための事前の仕事は多岐にわたる。
東和会会長さん、諸準備ご苦労さまでした。
出御式(入魂式ともいう)が終り、育心寮を出発したのが9時ごろである。
午前中は区内を一周する予定だ。
私も、区内で用意した「神輿のお休み処」数か所の内の1箇所を担っているので、その準備のため自宅へ取って返すことになる。
私もこのお休み処を初めて、今年が6年目。
母親の喪に服していた平成22年は遠慮させて頂いたので、今回が5回目のお休み処となる。
今回は出御式に出席したので、気忙しい接待であった。
接待でうれしいのは、用意したものを「消費」して頂くことだ。
体力を消耗していく中で、体は何を要求するか、
この陽気ではどんな飲み物、食べ物が好まれるか、なんてことを考えながら用意したものが、
想定通りであれば、博打に勝ったような気分になれるからだ。
今回は「おでん」が大当たり、用意したもの全部を平らげていただいた。
神輿が去ったら、素早く後片付けし、午前中に予定の市役所へ。
陳情書の提出ついでに、およっちょい祭りのテント配置図を頂く。
午後からは、神輿に同行だ。
午後は塩山の繁華街を渡御予定、警察の道路使用許可条件である交通整理係を行うことになっている。
午後の渡御のメインは菅田天神社へのお参り。
市役所に神輿を置いて、全員で神社へ行くと参道は出店や参詣客で賑わっていた。
私自身は、菅田神社を訪れるのは子どもの七五三以来であるから20年ぶりだ。
参拝を済ませ、もう1箇所で休憩したところで、育心寮へ帰還だ。
3時過ぎに着いたが、子ども神輿も既に帰っており、子どもの歓声で育心寮は年に1度の大賑わい、活気に溢れていた。
神輿に同行しての感想であるが、
「神輿は、人が担いでこそ価値がある」だ。
各地、神輿の担ぎ手不足から、トラックに載せたり、神輿渡御そのものを辞めてしまったところも多いと聞く。
そのような時勢の中、上東神輿が地域の伝統行事として継続していることは、区の誇りだ。
神輿渡御には大勢の方々の物心両面での協力、支えが必須である。
その意味で、上東神輿は区の団結の象徴だと思う。
ウィークデイにもかかわらず、神輿の担ぎ手としてご参加を頂いた皆さん、ありがとうございました。
神輿という地域の伝統行事を続けていけますのも、神輿第一、仕事第二の心意気ある皆様のおかげだと思います。
心から御礼申し上げます。
また、東和会の皆様には、8月の納涼祭、そして上東神輿と、いつもながら上東区を活気づけていただきありがとうございます。
今日も、「ワッショイ」の掛け声とともに、区の隅々まで、元気を届けていただきました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
この例大祭の日に上東区のお神輿が出御する。
例大祭の日は曜日に関わらない。
祭りの日は憶えやすいのであるが、今年のように15日がウイークデイであると、神輿の担ぎ手確保に難儀する。
上東区は住宅地、神輿の担ぎ手世代は殆どが勤め人、
「地域行事参加のための休暇」は取りにくい。
それに、若人の都会流出により高齢化がすすみ、担ぎ手世代の絶対的人数は減少の一途だからだ。
本日15日は月曜、ウイークデイだから他区からの応援者を得て、担ぎ手をぎりぎり確保できたようだ。
「ぎりぎり」とういうことは交代要員が不在を意味する。
頻繁に休憩タイムをとるとは言え、3~4kmを担ぎ続けるというのはハードだ。
この神輿を取り仕切るのは上東区の青年組織である東和会の会長である。
担ぎ手等の要員確保から始まって、出御式招待客への招待状発送、神主等出御式手配、神輿渡御ルートの警察への道路使用許可申請、休憩場所手配等々、神輿出御のための事前の仕事は多岐にわたる。
東和会会長さん、諸準備ご苦労さまでした。
出御式(入魂式ともいう)が終り、育心寮を出発したのが9時ごろである。
午前中は区内を一周する予定だ。
私も、区内で用意した「神輿のお休み処」数か所の内の1箇所を担っているので、その準備のため自宅へ取って返すことになる。
私もこのお休み処を初めて、今年が6年目。
母親の喪に服していた平成22年は遠慮させて頂いたので、今回が5回目のお休み処となる。
今回は出御式に出席したので、気忙しい接待であった。
接待でうれしいのは、用意したものを「消費」して頂くことだ。
体力を消耗していく中で、体は何を要求するか、
この陽気ではどんな飲み物、食べ物が好まれるか、なんてことを考えながら用意したものが、
想定通りであれば、博打に勝ったような気分になれるからだ。
今回は「おでん」が大当たり、用意したもの全部を平らげていただいた。
神輿が去ったら、素早く後片付けし、午前中に予定の市役所へ。
陳情書の提出ついでに、およっちょい祭りのテント配置図を頂く。
午後からは、神輿に同行だ。
午後は塩山の繁華街を渡御予定、警察の道路使用許可条件である交通整理係を行うことになっている。
午後の渡御のメインは菅田天神社へのお参り。
市役所に神輿を置いて、全員で神社へ行くと参道は出店や参詣客で賑わっていた。
私自身は、菅田神社を訪れるのは子どもの七五三以来であるから20年ぶりだ。
参拝を済ませ、もう1箇所で休憩したところで、育心寮へ帰還だ。
3時過ぎに着いたが、子ども神輿も既に帰っており、子どもの歓声で育心寮は年に1度の大賑わい、活気に溢れていた。
神輿に同行しての感想であるが、
「神輿は、人が担いでこそ価値がある」だ。
各地、神輿の担ぎ手不足から、トラックに載せたり、神輿渡御そのものを辞めてしまったところも多いと聞く。
そのような時勢の中、上東神輿が地域の伝統行事として継続していることは、区の誇りだ。
神輿渡御には大勢の方々の物心両面での協力、支えが必須である。
その意味で、上東神輿は区の団結の象徴だと思う。
ウィークデイにもかかわらず、神輿の担ぎ手としてご参加を頂いた皆さん、ありがとうございました。
神輿という地域の伝統行事を続けていけますのも、神輿第一、仕事第二の心意気ある皆様のおかげだと思います。
心から御礼申し上げます。
また、東和会の皆様には、8月の納涼祭、そして上東神輿と、いつもながら上東区を活気づけていただきありがとうございます。
今日も、「ワッショイ」の掛け声とともに、区の隅々まで、元気を届けていただきました。
来年もどうぞよろしくお願いします。