h27.1.06 ゴミステーション雑感
・ゴミステーションは言いえて妙のネーミング。
ゴミステーションって、私が小学生や中学生の頃は「ごみ置場」「ごみ捨場」「ごみ集積場」等と、確か言っていた。
「ゴミの駅」とは、「ゴミ収集車が来るまでの短時間、ゴミを置ける場所」という、ゴミ置場の有様(ありよう)を表現している。
ゴミは回収の直前に出して、置きっぱなしにしない、長く滞留させないようにしようというゴミ収集に関わる人たちの思いが伝わってくる。
そんなネーミングだと思う。
駅には、電車が来る直前に人が集まってくる。
1日前から待つ人はいない。
電車が通り過ぎれば、ホームは無人だ。
ゴミも同様(であってもらいたい)。
ゴミも収集日の朝に集まってくる。
1日前には出てこない。
ゴミ収集車が通り過ぎた後には、ゴミはない。
ゴミステーションを、そのネーミング通りに使ってもらえれば苦労はないのだが・・・。
・ゴミステーションは必要不可欠、だけど迷惑施設?。
生活環境を衛生的できれいに保つには、ゴミ排出は欠かせない。
ゴミ袋の中身が、時として、臭い、汚い、目障り、不衛生なものになるのは当然だ。
ゴミステーションは生活をしていく上で必要不可欠のものである。
しかしゴミの特質故に、有難くない側面も有する。
・困った問題その1: 周辺の汚損
ゴミは、誰だって自分のテリトリーから出したい。
自分の目にはいらないところへ持ち出してしまいたいものだ。
ゴミが視界から消えた人は、きれいさっぱり、ご機嫌である。
だけど、ゴミステーション近辺の人はそうはいかない。
外へ出る度にゴミ袋の山が視界に飛び込んでくる。
袋だけならまだ良い。
夏は悪臭、黄土色の汚水等のおまけが付くことも度々。
とても「気分良く」とはならないのである。
ゴミを回収する作業員や焼却場の作業員も気の毒だ。
パッカー車はゴミをを圧縮して輸送量の拡大を図っている。
この圧縮過程で汚水の入ったビニール袋が破裂すると、汚水が飛散する。
これが道や車を汚し、時として避け損ねた作業者をも巻き込むのだ。
魚や肉の残骸は、カラスや野良猫のご馳走である。
彼らはその鋭い嗅覚で、好物の入ったゴミ袋を見つけ出す。
袋を破り、食べものに到達するまで邪魔をしている紙やビニール屑、ボロ布等をつまみ出して、そこらじゅうにまき散らす。
風でも吹こうものなら、全ては回収不能だ。
・困った問題その2: ゴミの放置
燃えるゴミ」は、月水金と週に3日、「その他プラ」「不燃金物」「不燃ガラス」は、それぞれ火、水、金と週1である。
金物とガラスの曜日を間違えると数日から1週間、ゴミステーションに留まることになる。
「その他プラ」の場合、紙くずや回収対象外のプラスチックが入っていれば、回収拒否理由が記された赤紙を貼られて置き去りにされる。
ゴミの出し方を間違えた人がいて、結果ゴミが滞留する状況は、ゴミステーションとは言い難い。
ゴミ置場になってしまうのである。
・困った問題その3: 交通支障
ゴミステーションは、公道に設置されることが多い。
ゴミが置かれ、留まる時間が長くなるほど、交通支障も出てくる。
間違えてゴミを出した人が、赤紙が張られたら速やかに持ち帰ってくれれば問題はないのだが、残念ながらほったらかしが実態だ。
・問題を軽減しないとステーション確保は難しくなるばかり。
風鈴の音、子供の声が苦情の種になる現代である。
他人の出したゴミが気にならない人はいない。
近くにあれば便利であるが、迷惑施設の側面を有するゴミステーションを自宅近くに招致する人はいない。
だから新設時、周辺住民の同意を得るのは難しい。
このため、移設希望に応えることは絶望的になってきている。
ゴミステーション問題の解決は、利用者全員の協力で
東京都のある街では、高いコストをかけて戸別収集を行っているそうだ。
財政基盤の脆弱なわが街では望むべくもない。
従って、ゴミステーションという共用スペースはなんとしても維持していかなければならない。
ゴミはプライバシーの塊である。
出したゴミが粗末に扱われたり、暴かれたりして気分のいい人はいないと思う。
ゴミを出す人、ゴミステーション周辺の人や収集に関わる人、みんなが眉根を寄せなくてもすむようにしたいものだ。
そのためには、利用者全員に、次の諸点を守って頂きたいと思う。
・ゴミステーション周辺の人が強いられる我慢に思いを巡らせる。(共感)
・分別徹底によるゴミの減量化 (リサイクルステーション活用)。
・出したゴミが滞りなく回収されているか確認(排出ゴミの見守り)。
・周囲を汚さないゴミの出し方徹底
①水気は切って、
②鳥獣に突かれないようゴミはネットで覆う
・ゴミステーションの清掃清潔維持。
ところで、
ステーション利用者は引越し、老化等で固定化しないもの。
常に変化しているる訳だから、一時の啓発活動では、すぐに元の木阿弥になってしまう。
地道に、継続して啓発活動を続けるしかないと思う今日この頃である。
今年も「ミミタコ」の回覧版を回すことになると思うが、ご理解を頂きたい。
・ゴミステーションは言いえて妙のネーミング。
ゴミステーションって、私が小学生や中学生の頃は「ごみ置場」「ごみ捨場」「ごみ集積場」等と、確か言っていた。
「ゴミの駅」とは、「ゴミ収集車が来るまでの短時間、ゴミを置ける場所」という、ゴミ置場の有様(ありよう)を表現している。
ゴミは回収の直前に出して、置きっぱなしにしない、長く滞留させないようにしようというゴミ収集に関わる人たちの思いが伝わってくる。
そんなネーミングだと思う。
駅には、電車が来る直前に人が集まってくる。
1日前から待つ人はいない。
電車が通り過ぎれば、ホームは無人だ。
ゴミも同様(であってもらいたい)。
ゴミも収集日の朝に集まってくる。
1日前には出てこない。
ゴミ収集車が通り過ぎた後には、ゴミはない。
ゴミステーションを、そのネーミング通りに使ってもらえれば苦労はないのだが・・・。
・ゴミステーションは必要不可欠、だけど迷惑施設?。
生活環境を衛生的できれいに保つには、ゴミ排出は欠かせない。
ゴミ袋の中身が、時として、臭い、汚い、目障り、不衛生なものになるのは当然だ。
ゴミステーションは生活をしていく上で必要不可欠のものである。
しかしゴミの特質故に、有難くない側面も有する。
・困った問題その1: 周辺の汚損
ゴミは、誰だって自分のテリトリーから出したい。
自分の目にはいらないところへ持ち出してしまいたいものだ。
ゴミが視界から消えた人は、きれいさっぱり、ご機嫌である。
だけど、ゴミステーション近辺の人はそうはいかない。
外へ出る度にゴミ袋の山が視界に飛び込んでくる。
袋だけならまだ良い。
夏は悪臭、黄土色の汚水等のおまけが付くことも度々。
とても「気分良く」とはならないのである。
ゴミを回収する作業員や焼却場の作業員も気の毒だ。
パッカー車はゴミをを圧縮して輸送量の拡大を図っている。
この圧縮過程で汚水の入ったビニール袋が破裂すると、汚水が飛散する。
これが道や車を汚し、時として避け損ねた作業者をも巻き込むのだ。
魚や肉の残骸は、カラスや野良猫のご馳走である。
彼らはその鋭い嗅覚で、好物の入ったゴミ袋を見つけ出す。
袋を破り、食べものに到達するまで邪魔をしている紙やビニール屑、ボロ布等をつまみ出して、そこらじゅうにまき散らす。
風でも吹こうものなら、全ては回収不能だ。
・困った問題その2: ゴミの放置
燃えるゴミ」は、月水金と週に3日、「その他プラ」「不燃金物」「不燃ガラス」は、それぞれ火、水、金と週1である。
金物とガラスの曜日を間違えると数日から1週間、ゴミステーションに留まることになる。
「その他プラ」の場合、紙くずや回収対象外のプラスチックが入っていれば、回収拒否理由が記された赤紙を貼られて置き去りにされる。
ゴミの出し方を間違えた人がいて、結果ゴミが滞留する状況は、ゴミステーションとは言い難い。
ゴミ置場になってしまうのである。
・困った問題その3: 交通支障
ゴミステーションは、公道に設置されることが多い。
ゴミが置かれ、留まる時間が長くなるほど、交通支障も出てくる。
間違えてゴミを出した人が、赤紙が張られたら速やかに持ち帰ってくれれば問題はないのだが、残念ながらほったらかしが実態だ。
・問題を軽減しないとステーション確保は難しくなるばかり。
風鈴の音、子供の声が苦情の種になる現代である。
他人の出したゴミが気にならない人はいない。
近くにあれば便利であるが、迷惑施設の側面を有するゴミステーションを自宅近くに招致する人はいない。
だから新設時、周辺住民の同意を得るのは難しい。
このため、移設希望に応えることは絶望的になってきている。
ゴミステーション問題の解決は、利用者全員の協力で
東京都のある街では、高いコストをかけて戸別収集を行っているそうだ。
財政基盤の脆弱なわが街では望むべくもない。
従って、ゴミステーションという共用スペースはなんとしても維持していかなければならない。
ゴミはプライバシーの塊である。
出したゴミが粗末に扱われたり、暴かれたりして気分のいい人はいないと思う。
ゴミを出す人、ゴミステーション周辺の人や収集に関わる人、みんなが眉根を寄せなくてもすむようにしたいものだ。
そのためには、利用者全員に、次の諸点を守って頂きたいと思う。
・ゴミステーション周辺の人が強いられる我慢に思いを巡らせる。(共感)
・分別徹底によるゴミの減量化 (リサイクルステーション活用)。
・出したゴミが滞りなく回収されているか確認(排出ゴミの見守り)。
・周囲を汚さないゴミの出し方徹底
①水気は切って、
②鳥獣に突かれないようゴミはネットで覆う
・ゴミステーションの清掃清潔維持。
ところで、
ステーション利用者は引越し、老化等で固定化しないもの。
常に変化しているる訳だから、一時の啓発活動では、すぐに元の木阿弥になってしまう。
地道に、継続して啓発活動を続けるしかないと思う今日この頃である。
今年も「ミミタコ」の回覧版を回すことになると思うが、ご理解を頂きたい。