やっと座ってスマホで解説を調べたり、ブログを書けるようになりました😵

昨日の昼過ぎから具合が悪くなり、一時は39.3℃まで上がってヒーヒー言っていました。辛かったぁ〜😱

今日病院に行って検査をして、コロナでもなく、インフルエンザでもなかったので、ほっと一安心でした。
喉が痛すぎて…咽頭炎?ですって💦
薬で楽にっているのかもしれないので、今しばらくしっかり休みます。
…と同時に、今回お世話になった皆様(物資を届けてくださった方、とある会での"スピーチ"の代読してくださった方、相談にのってくださった方…皆々様に本当に心から感謝です。)
*****♪*****
11月25日。
スティールパンで童謡唱歌(329)
『青い眼の人形』
作詞:野口雨情
作曲:本居長世
『花嫁人形』『人形』に続き、"人形"繋がり3曲目です。
野口雨情サンと本居長世サンのコンビは『赤い靴』も作られています。
異国情緒をかもし出す童謡という意味では同じ雰囲気かもしれないですね。
一方で、日米の友情を築く意味で作られた楽曲でもあるそうです。
1921年(大正10年)12月、『金の船』に発表されたとのこと。
雑誌掲載時のタイトルは『靑い目の人形』だそうです。
野口雨情サンには同名の童謡集(1924年発表)があるそうです。
1923年、関東大震災が起こった時には、海外からも多くの募金が寄せられたそうですが、アメリカでも義援金を募る際にこの『青い眼の人形』が歌われた…ということでした。
第二次世界大戦中では、童謡『赤い靴』と同じように、敵国の歌とみなされて歌う事が禁じられたそうです。
◎『青い眼の人形』はキューピー人形から発想を得て作られた歌だそうで、昭和初期にアメリカから日本に贈られた友情人形が「青い目の人形」と呼ばれたのはこの歌に因むそうです。
【歌詞引用】
青い眼をした お人形(にんぎょ)は
アメリカ生まれの セルロイド
日本の港へ ついたとき
一杯(いっぱい)涙を うかべてた
「わたしは言葉が わからない
迷子(まいご)になったら なんとしょう」
やさしい日本の 嬢(じょう)ちゃんよ
仲よく遊んで やっとくれ
仲よく遊んで やっとくれ
◎調べていくと、渋沢栄一サンが関わる歴史的なお話があるようですね。
日米親善の架け橋となった「友情の人形」の話がありました。
『青い眼の人形』自体、私は今回初めて知りましたが、歌だけだと思ったら、アメリカ合衆国と日本のやりとりや、渋沢栄一サンが仲介役として、アメリカから日本へ12,739体の人形が送られたという記述もありました。
第二次世界大戦でかなりの数の人形が処分されてしまったそうですが、300体くらいの人形が今でも残っているそうです。
◎まとめきれなかったので、Wikipediaの URL貼っておきます。
※365日毎日の童謡唱歌、ここへ来て高熱にうなされておりました。
病院にも行きましたが、コロナでもインフルエンザでもなく、咽頭炎?のようでした。
あと1ヶ月。やり切ります!!!