ニャンコだいすき!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
シャムネコ大好きの「わがはいはネコである記」

忘れられない獣医さん

2017年10月07日 | 日記

 

じつは過去、私は国立大学の獣医学科に受かったのです。

私大の教育学部も同時に受かったので、獣医になろうか、先生になろうか迷ったのですが、

当時、ペットブームなどは影も形も無く、獣医さんの仕事は、

家畜の診療と種付け、動物園など限られた仕事しか無かったのです。

迷った末、先生の道を目指しました。しかし、私の卒業時は先生の募集が少ない就職難で、

しかたなく出版社に就職しました。

社会を知ってから、先生になるのも良いかも?なんて気軽に考えていました。

しかし、出版社の仕事が面白くなって、止められなくなり、定年まで本を作っていました。

人生って、いろいろ面白いですね。

本作りの時、動物園の獣医さんを執筆者として迎え、お付き合いする機会がずいぶんありました。

増井光子先生もその一人です。当時女性は動物園には獣医として雇ってくれなかったのです。

でも麻布獣医学科卒業の増井先生は持ち前の情熱で、無給で良いから獣医として働かせて欲しいと懇願して、

動物園に入り、苦労の末、正式な動物園の獣医になったのです。

見た目は華奢で、素敵な女性でしたが、気持ちは男勝りで、声も男の声でした。

とても勉強家で、動物のことはもの凄く詳しかったです。

女性で動物園の獣医になるのも大変だったのに、動物園の園長にまでなり、

上野動物園(日本で園長の最高位)の園長にまで上り詰めました。

上野動物園を定年になった後、横浜のズーラシアの園長になりました。

乗馬が大好きで、イギリスでの乗馬の大会に参加して、その時落馬してお亡くなりになりました。

とにかく凄い女性でした。獣医さんもいろいろいますが、あれほどの人は見たことありません。

威張ることなく、謙虚でやさしく、とにかく大きな人物でした。

葬儀とは別に、お別れの会が行われ、ものすごい数の人が参加しました。

その人数を見てもすばらしい人柄が分かります。

いろいろ仕事の苦労が多かったせいか、生涯独身でした。

いまは、獣医さんもペットブームのおかげで、大受けのようです。時代もどんどん変わりますね。