じつは過去、私は国立大学の獣医学科に受かったのです。
私大の教育学部も同時に受かったので、獣医になろうか、先生になろうか迷ったのですが、
当時、ペットブームなどは影も形も無く、獣医さんの仕事は、
家畜の診療と種付け、動物園など限られた仕事しか無かったのです。
迷った末、先生の道を目指しました。しかし、私の卒業時は先生の募集が少ない就職難で、
しかたなく出版社に就職しました。
社会を知ってから、先生になるのも良いかも?なんて気軽に考えていました。
しかし、出版社の仕事が面白くなって、止められなくなり、定年まで本を作っていました。
人生って、いろいろ面白いですね。
本作りの時、動物園の獣医さんを執筆者として迎え、お付き合いする機会がずいぶんありました。
増井光子先生もその一人です。当時女性は動物園には獣医として雇ってくれなかったのです。
でも麻布獣医学科卒業の増井先生は持ち前の情熱で、無給で良いから獣医として働かせて欲しいと懇願して、
動物園に入り、苦労の末、正式な動物園の獣医になったのです。
見た目は華奢で、素敵な女性でしたが、気持ちは男勝りで、声も男の声でした。
とても勉強家で、動物のことはもの凄く詳しかったです。
女性で動物園の獣医になるのも大変だったのに、動物園の園長にまでなり、
上野動物園(日本で園長の最高位)の園長にまで上り詰めました。
上野動物園を定年になった後、横浜のズーラシアの園長になりました。
乗馬が大好きで、イギリスでの乗馬の大会に参加して、その時落馬してお亡くなりになりました。
とにかく凄い女性でした。獣医さんもいろいろいますが、あれほどの人は見たことありません。
威張ることなく、謙虚でやさしく、とにかく大きな人物でした。
葬儀とは別に、お別れの会が行われ、ものすごい数の人が参加しました。
その人数を見てもすばらしい人柄が分かります。
いろいろ仕事の苦労が多かったせいか、生涯独身でした。
いまは、獣医さんもペットブームのおかげで、大受けのようです。時代もどんどん変わりますね。