Truth Diary

薪の火を眺めながら

 友の四十九日を迎えた、兄のいない私には、頼りがいのある兄貴的存在だった。

 お互いの、第二の職場で出逢った、6年間のつき合いだったが何でも話せた、何でも真剣に聞いてくれた。

 どんな人が相手でも、分け隔てなく、いつも変わらず穏やかに笑顔で接していられるのかと、仲間うちで不思議がるほどの、実に温厚で包容力のあるすばらしい人だった。

 彼が肺がんで入院したとの知らせで、見舞いに行った時、自分のこれからの病の進行に対しての、治療法と、生存確率、残された期間を冷静に淡々と、医学的見地から説明するのを、聞いていられなくて、「そんな話はいいから」と遮った。自分がこの立場なら、こうは冷静でいられないだろうと、その芯の強さに感服した。

 彼は仕事柄、お医者さん廻りをしていた関係で、医学の知識は相当なものだった。そんな彼だから、ガンの告知を受けた時は、他の誰よりもダメージを受けたのではないかと思う。

 そして、彼の予測どおり、年の瀬に黄泉の世界に行ってしまった。

 なぜか火が恋しくなり、薪を燃やす、静かにちょろちょろと燃える炎を見ながら、昔の歌を聞きたくなり春日八郎や、田端亜義男の曲をかけ、同年代の友と、在りし日に還り、囲炉裏の火を思いうかべ故人を偲ぶ。

 

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