裏庭のスイカが大きくなってきていた。最も大きなスイカは約20センチほどに成長していたので試しに割ってみることにした。ヘタの部分が十分黄色くなっていなかったので経験から若干早い気はしていたが小玉スイカほどの大きさなのでダメ元で収穫を決意した。
包丁を入れると即座にスイカにひび割れが発生して、まるでスイカ割りのスイカ同様に醜く割れてしまった。大失敗である。良く見ると種も黒く変化しておらず完熟状態ではないことが明らかである。ただ果肉の赤みは十分な甘さを約束してくれているようだった。試食をする前に、東京に住む義妹家族に写メールを送って報告。
さて、そのお味は? 見かけに反してスイカは十分な甘みを既に蓄えており食するに十分ではあった。甘すぎることなく、まるで上品な和菓子のような風味さえ感じさせるものであった。家庭菜園のまねごとで過去にもトマトやイチゴを栽培したことはあるが、スイカは初めての挑戦で、しかもスーパーで買ったスイカの種を乾燥させ自己流で発芽させた苗である。実に驚くべき結果であると思う。まだ5個ほど残っているので残りは成長を楽しもうと考えている。自分の手で育てた初物を家族で食べるのは楽しいことである。もちろん家族の一員である文鳥のチョボが試食を共にしたのは言うまでもない。
さて、一緒に収穫祭(たった一個のスイカではあったが)を祝った妻が最近やっとペーパードラバーを卒業して、我が家のデミオを運転し始めた。免許の取得は夫よりも数年前で20代での自動車免許取得であるから、ライセンス保有歴は30年以上にもなるが、その間一度もハンドルを握ったことがないというツワモノであった。夫が骨折をして車椅子生活となったことを機会に一念発起してドライバー席に座ることになった。
庭先での初歩的な車の操作から始まり、すでに外出ができるまでに上達している。勤務先へのあいさつと、となり町の病院への通院も助手席でナビを務めるだけで済んだのは本当にありがたい。助手席に座った再教習の教官代わりとなった夫がやたら口うるさいと感じるのか、説明の仕方がわるい、教え方が下手だとか運転中に口論となってしまう。普段なにげなく行っている運転ではあるが、いざ運転技術を教えるということになると素人には難しいことである。最初は初心者用若葉マークをつけることに抵抗があったようであるが、最近はやっと若葉マークをつけることに納得したようである。
それにしても、一般ドライバーのマナーの悪さには驚かされる。とくに、初心者ドライバーの助手席に座って眺めていると今まで以上にドライバーの質が悪いことに気づかされる。彼らは自動車教習所で学んだことを全て忘れ去ってしまっているかのようである。方向指示機も出さずに平気で車線変更をするクルマは珍しくもなく、右折や左折でも事前にウィンカーを出すことさえしない。ハンドルを切ると同時に方向指示機をだしたのでは全く意味がない。右折だろうが、左折だろうが車体が方向を換えれば誰でもクルマが曲がろうとしていることはわかる。方向指示機の目的は、その行動をとる前に前後のクルマに対して自分のクルマがどういう行動をとろうとしているのか事前に知らせることにある。こんな初歩的なことは教習所で習ったはずである。
コミュニケーションのできないバカ者が日本に増殖していることは知っていたが、クルマの運転においても他のクルマとコミュニケーションが取れないようである。単に友達や会社の同僚と意思疎通が図れないのであれば人間関係がうまくゆかない程度で治まるが、クルマ同士ではそうはいかない。周囲のクルマに自車の行動を伝えられないのは致命的である。それがそのまま交通事故の原因となるからである。コミュニケーションが苦手などと言ってはいられない。命の問題なのだから。交通ルールの無視とマナーの悪さは、重大な交通事故に発展する危険性を常にはらんでいる。秋の交通安全運動で取り締まる、警察関係者に言いたいのは単にシートベルトや速度違反を取り締まるのではなく、方向指示機を適確に操作できない、あるいは故意にしないドラバーの取り締まりも行って欲しいと強く要望したい。彼らは一体なにを取り締まっているのかと憤りを強く感じてしまう。
包丁を入れると即座にスイカにひび割れが発生して、まるでスイカ割りのスイカ同様に醜く割れてしまった。大失敗である。良く見ると種も黒く変化しておらず完熟状態ではないことが明らかである。ただ果肉の赤みは十分な甘さを約束してくれているようだった。試食をする前に、東京に住む義妹家族に写メールを送って報告。
さて、そのお味は? 見かけに反してスイカは十分な甘みを既に蓄えており食するに十分ではあった。甘すぎることなく、まるで上品な和菓子のような風味さえ感じさせるものであった。家庭菜園のまねごとで過去にもトマトやイチゴを栽培したことはあるが、スイカは初めての挑戦で、しかもスーパーで買ったスイカの種を乾燥させ自己流で発芽させた苗である。実に驚くべき結果であると思う。まだ5個ほど残っているので残りは成長を楽しもうと考えている。自分の手で育てた初物を家族で食べるのは楽しいことである。もちろん家族の一員である文鳥のチョボが試食を共にしたのは言うまでもない。
さて、一緒に収穫祭(たった一個のスイカではあったが)を祝った妻が最近やっとペーパードラバーを卒業して、我が家のデミオを運転し始めた。免許の取得は夫よりも数年前で20代での自動車免許取得であるから、ライセンス保有歴は30年以上にもなるが、その間一度もハンドルを握ったことがないというツワモノであった。夫が骨折をして車椅子生活となったことを機会に一念発起してドライバー席に座ることになった。
庭先での初歩的な車の操作から始まり、すでに外出ができるまでに上達している。勤務先へのあいさつと、となり町の病院への通院も助手席でナビを務めるだけで済んだのは本当にありがたい。助手席に座った再教習の教官代わりとなった夫がやたら口うるさいと感じるのか、説明の仕方がわるい、教え方が下手だとか運転中に口論となってしまう。普段なにげなく行っている運転ではあるが、いざ運転技術を教えるということになると素人には難しいことである。最初は初心者用若葉マークをつけることに抵抗があったようであるが、最近はやっと若葉マークをつけることに納得したようである。
それにしても、一般ドライバーのマナーの悪さには驚かされる。とくに、初心者ドライバーの助手席に座って眺めていると今まで以上にドライバーの質が悪いことに気づかされる。彼らは自動車教習所で学んだことを全て忘れ去ってしまっているかのようである。方向指示機も出さずに平気で車線変更をするクルマは珍しくもなく、右折や左折でも事前にウィンカーを出すことさえしない。ハンドルを切ると同時に方向指示機をだしたのでは全く意味がない。右折だろうが、左折だろうが車体が方向を換えれば誰でもクルマが曲がろうとしていることはわかる。方向指示機の目的は、その行動をとる前に前後のクルマに対して自分のクルマがどういう行動をとろうとしているのか事前に知らせることにある。こんな初歩的なことは教習所で習ったはずである。
コミュニケーションのできないバカ者が日本に増殖していることは知っていたが、クルマの運転においても他のクルマとコミュニケーションが取れないようである。単に友達や会社の同僚と意思疎通が図れないのであれば人間関係がうまくゆかない程度で治まるが、クルマ同士ではそうはいかない。周囲のクルマに自車の行動を伝えられないのは致命的である。それがそのまま交通事故の原因となるからである。コミュニケーションが苦手などと言ってはいられない。命の問題なのだから。交通ルールの無視とマナーの悪さは、重大な交通事故に発展する危険性を常にはらんでいる。秋の交通安全運動で取り締まる、警察関係者に言いたいのは単にシートベルトや速度違反を取り締まるのではなく、方向指示機を適確に操作できない、あるいは故意にしないドラバーの取り締まりも行って欲しいと強く要望したい。彼らは一体なにを取り締まっているのかと憤りを強く感じてしまう。