日曜日に義母の49日の法要と納骨を無事に済ませ、その日の夕刻に妻は実家を後にして我が家のシングルファーザー生活は終わった。ところが再会を喜ぶどころか帰宅翌日から夫婦喧嘩の大騒動となってしまった。事の発端は、ガスレンジ周辺が油まみれになって汚かったことである。留守中に天婦羅やフライやらで油料理が多かったこともあり確かにキッチンは油汚れがひどかったのは事実である。毎晩の自炊生活で料理をつくるのが精いっぱいで後片付けとは言っても食器洗いまでで、とてもガスレンジ周辺の油汚れを掃除するところまでは余裕がなかった。そこを指摘され、汚すくらいなら料理をしなくて良いとまで言われてしまい堪忍袋の緒が切れてしまった。なにもそこまで言わなくても良いのではないかとすぐさま反論開始、我が家には外食するお金も弁当を買うお金もないので節約生活では自炊して少しでも出費を抑える必要があるのに料理をつくることを否定されたのでは全く頭にくる等々まくしたてた。毎日疲れた体で夕食の買い物と料理をしてきたのに、御苦労さまでもなくキッチンを汚したことをなじられたので頭に血が上ってしまい大喧嘩となってしまった。その後、後始末は自分でと思いガスレンジ周辺に飛び散った油汚れは、油汚れ用のスプレーを使って奮闘の末なんとか元通りにした。掃除の苦手な妻であるが、できないなら素直に頼めば良いのに、いきなり汚した責任を問われては、冷静に対処できないではないか。逆切れになった自分にも反省するところはあるのだが、妻の批判的な性格は義母譲りで変わることはないだろう。そう言えば義母も自分の判断は絶対的だと妙な自信を持っていたような気がする。世の中には絶対音感というものが存在するそうだが、彼女の心の中には絶対正義というようなものが存在していたようで、その指針から外れるものは全て間違っていると考えていたようだ。そんなものは世の中に存在しない、だから世の中には争いが絶えないのであり、それぞれの正義を振りかざし戦争が世界各地で絶えないのである。夫婦げんかも戦争も根っこは同じなのだろうという気がする。相手の立場を思いやる心がなくなると人は自分よがりになり攻撃的になってしまう。逆切れしてしまった自分も全くその通りであり、自分の立場だけを攻撃的に主張することになってします。人は、感情に流されて愚かな行動を制御できなくなる。反省はするが、その反省を生かせない。妻は早朝5時過ぎに起きて弁当をつくる生活に戻った。今週から、家族3人分の弁当をつくることにしたようだ。場所は違っても、家族3人同じ弁当を食べることになる。有り難いことである。妻に感謝である。