クラブ員である増田さんの追悼飛行会に行けなかったので
本日、近くの田んぼの中で一人飛行会をしてきました。
今年、僕の母が亡くなり
同年の夏には所属するラジコンクラブの先輩、増田さんが永眠しました。
どちらも、昭和初期の生まれで激しい戦争の混乱期を生き抜いてきた方々です。
先輩の増田さんは、大きな電動機から自作のアイディア飛行機まで幅広くラジコンを楽しんでおられました。
時代的には、物のない頃から模型飛行機が好きな方だった様な気がします。 実際にはその辺の話は僕は聞いていませんが、想像は出来ます。
僕自身は、仕事が忙しくてなかなかクラブの専用飛行場には行けていませんでしたが、たまに会うと変わり種の飛行機を見せてくれました。
ある時、自分の親と歳が近い事から戦時中の事を聞いた事が有って、その時の話には自分の父との(亡くなっています)体験談が繋がっていて非常に興味深かった事を思い出します。
僕の父は、徴兵は1年若く免れて小牧の軍事工場で零戦の翼のボルトを作っていたと増田さんに話すと、そうか俺はな名古屋の工場で同じく零戦のエンジン部品を作っていたって、 話してくれました。 おそらくそれは、学童勤労動員の事だったんだと思います。 そんな話を何の苦労もなかったように話してくれました。
日本の戦争に関しての話は、長くなってしまうのでやめておきますが まだまだ誤解が多いのが残念ですね。 取り敢えず 日本の古事記を学べば 僕らが教わった様な日本の悪いイメージの戦争は出来ないし出来る訳がないですよね。
なんせ、武士道精神だったんだから。
最近の、ラジコンは増田さんの様な自作派は少なくなりましたが、最先端の開発を行っている人々は、新しい物の創作過程で、必ず自作事になるんですよね。
そう考えると、模型の基本はやはり自作かなと思います。 使用する材料は変わりましたが、僕も自作派とまで行かなくても近い物としてラジコンを楽しみたいと思います。
そんな事を、僕に思わせる様にしてくれた増田さんに感謝です。
生前中は大変お世話に成り、誠にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
追記、増田さん、今日田んぼに飛ばしに行きましたが、面白い物を発見しました。多分鳥避けの目的と思われるカイトが据え付けて有りました。 ですがその効果があまり効いてないようですww (たむろする鳥たちww)井戸端会議なのかな?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます