神奈川県鎌倉市の東慶寺と並ぶ「縁切り寺」だった満徳寺の資料館(史跡公園)向かいに徳川家発祥地ゆかりの永徳寺があり、その境内に青面金剛像3基と庚申塔群があります。
かつては、旧尾島町エリア(世良田辺りのことかもしれない?)が「津軽藩飛び地(飛び領)」という歴史もあったりしますし…。
(現在の青森県一部)
細い葉の紅葉の下に青面金剛像が置かれている…このパターンって、2015年5月に訪問した栃木県小山市間々田の龍昌寺の3基中1基の青面のケースと似てるような…。
境内の庚申塔群の中に二十三夜塔(↓写真上、手前の列の左から2番目)が紛れ込んでいます。
庚申塔群の中で一番大きな庚申塔には庚申【こうしん・かのえさる】年である「萬(万)延元年」の銘がありました。
そして、もう2基の青面金剛像。(写真左)
日没近くにガラケー付属カメラで撮影のため、どの青面も元号が見づらいけど、再訪問の時期は未定…汗
ん?庚申塔の「塔」の字に違和感が…普通にスルーされるレベルだから、まぁいいや。
地図はこの辺→ http://yahoo.jp/t1Ezcd
かつては、旧尾島町エリア(世良田辺りのことかもしれない?)が「津軽藩飛び地(飛び領)」という歴史もあったりしますし…。
(現在の青森県一部)
細い葉の紅葉の下に青面金剛像が置かれている…このパターンって、2015年5月に訪問した栃木県小山市間々田の龍昌寺の3基中1基の青面のケースと似てるような…。
境内の庚申塔群の中に二十三夜塔(↓写真上、手前の列の左から2番目)が紛れ込んでいます。
庚申塔群の中で一番大きな庚申塔には庚申【こうしん・かのえさる】年である「萬(万)延元年」の銘がありました。
そして、もう2基の青面金剛像。(写真左)
日没近くにガラケー付属カメラで撮影のため、どの青面も元号が見づらいけど、再訪問の時期は未定…汗
ん?庚申塔の「塔」の字に違和感が…普通にスルーされるレベルだから、まぁいいや。
地図はこの辺→ http://yahoo.jp/t1Ezcd