一方的に別れ話を切り出された男が、故郷を捨て方々をさすらった挙句、疲れ果てて故郷に舞い戻る。アントニオーニ作品の中では、ストーリー的にも明解で、「太陽はひとりぼっち」のように身構えて鑑賞するような映画ではない。アントニオーニの故郷でもあるポー河流域を舞台にしており、自伝的作品とも言われている。
イルマに捨てられて、娘を連れてさすらいの旅に出るアルド。アルドが立ち寄る場所は、川辺の土手や舗装されていない街道、沼地などのどこか故郷に雰囲気が似ている土地ばかり。立ち寄る先々で女と出会い、束の間のやすらぎを得るものの、やはり故郷に残してきた最愛の女イルマを想い出してしまう。
哀愁を漂わせるアルドに想いを寄せる女たちのヒールやコートには、何故かその土地の泥がこびりついている。けっして故郷を離れることができない土着の女たちだ。さすらいの旅に疲れはてたアルドが舞い戻った故郷でも、空港建設から自分たちの土地を守るためゴリアーノの村人は戦っていた。
誰もいなくなった製糖工場の塔からポー河流域を見渡した時、無意識のうちに故郷を求めてさまよっていた自分に気づき、強烈な郷愁にとらわれ呆然となる。『自分の名前を下から呼ぶ声が聞こえる。イルマが弁当を持ってきてくれたのか』懐かしき想い出のデジャブに襲われるアルドが、近いと思っていたイルマとの距離のあまりにもの隔たりにめまいを起こす。周囲の静寂を切り裂く女の絶叫も、故郷の土に横たわりやすらかな眠りについた男を再び目覚めさせることはなかった。
さすらい
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ(1957年)
[オススメ度 〕