ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

はじまりのうた

2024年12月26日 | なつかシネマ篇


最近の出演作を見ると、マストロヤンニレベルの“胡散臭さ”まで漂いはじめてきたハリウッドきっての演技派俳優マーク・ラファロが、男ができた奥さんに家を追ん出された元敏腕音楽プロデューサーを演じている。ミュージックビデオ出身のアイルランド人監督ジョン・カーニーも絶賛のその演技、自分が立ち上げたレーベル会社からもクビを言い渡され、一人娘にも相手にされずアルコールに溺れ、自殺しようとまで思い詰めていたどん底男役が見事にはまっている。

しかしこのカーニー、相手役のシンガーソングライターを演じたキーラ・ナイトレーに関しては非常に厳しいコメントを残している。「自分をさらけ出していない」というのだ。アイルランド人のジョン・カーニーとイギリス出身のキーラに東洋人にはわからない何かしら見えない壁があったのかもしれないが、劇中に披露されるキーラの“生歌”がキーになっているシナリオだけに、本物の歌手のようなスピリットに欠ける歌唱についムキになってしまったのかもしれない。後にジョン・カーニーは自分の失言に対して詫びを入れているそうだ。

その辺はカワユサに免じてゆるしたってつかぁさい、『フォリ・ア・ドゥ』のガガさまのようにプロの歌手を使ったってそれはそれで今度は演技に問題が生じてくるのだから、とキーラ推しの私は思うのである。グイネス・パルトロウのような一部例外はあるものの、基本本作レベルの歌唱力があれば合格点をあげてもいいのではないだろうか。プロの歌手に女優のような演技をさせるのか、それとも女優に生歌を唄わせるのか。現役プロバレエダンサーに女優のような演技をさせた『ダンサー・インPARIS』でも同問題が露呈していたが、映画監督としては悩みどころであろう。

冒頭、知り合いのライブにキーラが飛び入りで自前の歌を披露するシーンから映画が始まる。それをたまたまカウンターで聴いていた音楽Pが「見つけた!」とばかり満面の笑みを浮かべるのである。後につながるクロスカットで、実は2人が“最悪の日”に出会ったことが観客に伝えられる。キーラが書いた曲でメジャーデビューした男に裏切られた日&音楽Pが共同オーナーとして立ち上げたレーベル会社からクビを言い渡された、ちょうどその日の夜だったのである。実に上手い演出だ。

ジョン・カーニーによる長篇処女作『ONCEダブリンの街角で』でも思ったのだが、映像に劇伴を合わせるというよりも、むしろ音楽に合わせて映像を撮ったり、編集したりしている気がするのだ。しかもその劇伴、すべてがオリジナルというカーニーのこだわりがスクリーンから如実に伝わってくるのである。クビを切られたレーベル会社や別れた彼氏を、最後にギャフンといわせるだけの単純なストーリーなのだが、それを上回る監督の音楽愛が全編を通じてあふれでている作品なのである。

「クソのような街の景色が音楽を聴きながら眺めると真珠のように輝いて見える。歳をとるにつれその真珠が見つけにくくなるんだけどね」通報覚悟で街中ゲリラライブ決行、それを録音しCDアルバムとして売り出そうとした音楽Pことジョン・カーニーの真意は、まさにその“真珠”を観客に見せることにあったのではないか。ゆえに、腹に一物を抱えたような英国美人女優のおさえた歌唱は、その真珠の輝きを一瞬鈍らせるように思えたのかもしれない。いずれにしても大衆に迎合したアレンジなのか否かは、私のような音楽素人には判断つきかねるんですけどね。

はじまりのうた
監督 ジョン・カーニー(2013年)
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