インド映画だとばっかり思っていたら、なんとイラン映画だった本作。どおりでタッチがイランの巨匠アッバス・キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』とそっくりなわけだ。お兄ちゃんのアリが一足しかない妹サーラの赤いりぼんのついたビニール靴を、修理屋から持ち帰る途中で無くしてしまったからさあ大変。「明日学校に履いていく靴がないじゃない💢」とサーラはすっかりおかんむり。貧乏父さんや腰が悪いお母さんにお願いするわけにもいかず、アリの履いていた汚い運動靴をサーラと2人で使い回すことに。
アリの学校が一体何時始まりなのか分からないのだが、運動靴を取り替えにサーラがダッシュで待ち合わせ場所に着けば、アリが登校時間にギリギリ間に合うタイミングらしいのである。よって、アリとサーラは石畳の道を常に走ってばっかり。途中、側溝に運動靴を落としてしまうなんてハプニングも起こり~ので、非常にシンプルなストーリーながら見る者を飽きさせない工夫が盛り沢山な作品なのだ。この兄妹なぜか学校の成績はグンバツによろしくて、テストで100点をとったアリは先生にもらったボールペンをお詫びのしるしにサーラにプレゼント。
一足しかない靴を無くしたお兄ちゃんに今までプンプン丸だったサーラも思わずニッコリ。妹の履いていた靴を身につけた年下の少女宅が、これまた5ヶ月分の家賃を滞納している自分の家よりも貧乏だと知った2人は、なんと少女にそのまま靴の使用を許可するのである。この映画、デ・シーカの『自転車泥棒』によく似たシーンが出てくるのだが、現代社会では滅多にお目にかかることのなくなった“許し”が結構重要なキーワードになっている気がする。妹サーラとの運動靴交換に手間取る度に、学校に遅刻してくるアリ少年を、おっかない教頭先生はついついその真摯な😢に免じて“許し”てしまうのだから。
1979年のイスラム革命以来、イランはずっとアメリカから経済制裁を受け続けており、この映画が公開された1997年もその真っ只中だったわけである。この映画を見てお分かりのとおり、多少の増税や物価高騰で我々日本人が文句をたれるのも憚られるほど、イラン国民の貧困生活がこれでもかと真っ直ぐに描かれている。一説によればアメリカの経済制裁のせいで、50万人以上のイランの子供たちが命を落としているらしい。そんな世界の経済情勢を知っているとなおさら、この映画で描かれる“許し”の意味が心にささることだろう。
「(マラソン大会で)絶対3等になる。景品の運動靴を靴屋で女の子用の靴に替えてやるからな」毎日のように鍛えた健脚で、アリ少年は3位どころか見事マラソン大会で優勝してしまうのである。ガックシ肩を落とすアリ少年。大丈夫妹のために頑張ったって聞けば、あんなに素直でいい子のサーラならきっと君を“許し”てくれるよ。あれ、庭師の仕事で稼いだ父さんが荷台になにか積んでいるぞ。その証拠にほーら、みずぶくれの足に群がった金魚がまるで君が欲しがっていた“赤い靴”みたいじゃないか。金が無いからこその幸福をしみじみと味わえる傑作である。
運動靴と赤い金魚
監督 マジット・マジディ(1997年)
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