高校生活という仮想現実空間でペルソナを演じる高校生たち。その場しのぎで適役を演じる主人公が、他人と交わることをさけ孤立している同級生をプライドバカと呼び、現実から逃避している弱者とさげすむ不遜な態度は不愉快きわまりなく、プロデューサー気取でハブにされかけた転校生を人気者に仕立て上げるおちゃらけ小説で終わっていたならば、本作品が文芸賞に輝くこともなかったろうし、めちゃくちゃ酷評をかましてやるところだった。
しかし、不良にからまれた友人を見捨てたことが原因で、今度は自分自身がハブンチョになり主人公が内省するくだりから、この作品は小説らしい読み物へと変化していく。但し、執筆当時弱冠21歳の若者では経験不足から主人公の心の再生まではカバーできなかったとみえ、本書はなんとも後味の悪い結末で幕を閉じる。黒澤清の映画のようにあいまいな楽観的未来をあえて語らなかったという点でリアルといえばリアルだが、読後に何かモノ足りなさを感じたのも事実である。
最近の青春小説を読むと家族がほとんど登場しない作品が多いことに気づく。唯一地をさらけだせる場所の家庭においてさえ、もはや演技なしには普通生活さえままならない息苦しさが本作品の冒頭からも伝わってくる。そんな学校と家庭の往復しかない窒息寸前の高校生たちにとって、自己のアイデンティを守るためにはペルソナを演じる以外にないというのが本音だろう。そして、そのアイデンティティがふいに表出した時、この桐原修二のようにハブンチョになる確率が非常に高いことも子供たちは本能で察知しているのだ。
同級生(=世間)との面倒な付き合いを避け孤立無援でわが道を行く気骨系同級生を、“逃亡者”と呼んで主人公がさげすんだ本当の理由が、本書を読み終えて少しだけわかったような気がした。
野ブタ。をプロデュース
著者 白岩玄(河出書房)
〔オススメ度 〕
しかし、不良にからまれた友人を見捨てたことが原因で、今度は自分自身がハブンチョになり主人公が内省するくだりから、この作品は小説らしい読み物へと変化していく。但し、執筆当時弱冠21歳の若者では経験不足から主人公の心の再生まではカバーできなかったとみえ、本書はなんとも後味の悪い結末で幕を閉じる。黒澤清の映画のようにあいまいな楽観的未来をあえて語らなかったという点でリアルといえばリアルだが、読後に何かモノ足りなさを感じたのも事実である。
最近の青春小説を読むと家族がほとんど登場しない作品が多いことに気づく。唯一地をさらけだせる場所の家庭においてさえ、もはや演技なしには普通生活さえままならない息苦しさが本作品の冒頭からも伝わってくる。そんな学校と家庭の往復しかない窒息寸前の高校生たちにとって、自己のアイデンティを守るためにはペルソナを演じる以外にないというのが本音だろう。そして、そのアイデンティティがふいに表出した時、この桐原修二のようにハブンチョになる確率が非常に高いことも子供たちは本能で察知しているのだ。
同級生(=世間)との面倒な付き合いを避け孤立無援でわが道を行く気骨系同級生を、“逃亡者”と呼んで主人公がさげすんだ本当の理由が、本書を読み終えて少しだけわかったような気がした。
野ブタ。をプロデュース
著者 白岩玄(河出書房)
〔オススメ度 〕