昨日、教会で聖書の勉強会があった。
聖書の言葉について、意見や感想を言うのだが。。。
私は苦手だ。
「あなたはどう思いますか?」と指名されると、頭に血がのぼって熱が出そうになる。
だって、何だかいつも私の中の聖書は「答えが出ないもの」と思っているので、感想を言っても、来年にはまた違う感想を持つだろうし、聖書について考えることに意義がある会だと思いすぎているから。
それにしても、聖書って本当にいつの時代でも読まれる本なんだなあ。
みんなの感想を聞いていると、ユダヤ教に近い人、仏教に近い人とかいろいろいて興味深かった。
私は、みんな、心の中にある思考の柱のような物は同じなのだろうと思う。
その心の置き場所が、キリスト教だったりユダヤ教だったり仏教だったり、無神論者だったりするのだろう。
どこかでみんなつながっているのだろうと思う。
数学者のS先生がおっしゃった「神は無限大であって、また無限小でもあると思います」という言葉が印象的だった。
とても詩的な言葉に聴こえた。
ちょっと身震いがした。
というわけで、聖書の勉強会は、私が学習することはいつもずれていて苦しくて知恵熱が出そうだ。
聖書の言葉について、意見や感想を言うのだが。。。
私は苦手だ。
「あなたはどう思いますか?」と指名されると、頭に血がのぼって熱が出そうになる。
だって、何だかいつも私の中の聖書は「答えが出ないもの」と思っているので、感想を言っても、来年にはまた違う感想を持つだろうし、聖書について考えることに意義がある会だと思いすぎているから。
それにしても、聖書って本当にいつの時代でも読まれる本なんだなあ。
みんなの感想を聞いていると、ユダヤ教に近い人、仏教に近い人とかいろいろいて興味深かった。
私は、みんな、心の中にある思考の柱のような物は同じなのだろうと思う。
その心の置き場所が、キリスト教だったりユダヤ教だったり仏教だったり、無神論者だったりするのだろう。
どこかでみんなつながっているのだろうと思う。
数学者のS先生がおっしゃった「神は無限大であって、また無限小でもあると思います」という言葉が印象的だった。
とても詩的な言葉に聴こえた。
ちょっと身震いがした。
というわけで、聖書の勉強会は、私が学習することはいつもずれていて苦しくて知恵熱が出そうだ。