今日は 父の誕生日でした。
そういえば、月曜日に 家系図のようなものが出てきました。
すんげ 芸大の作曲科卒 作家 防衛大学学長 警視総監・・ 確かに いましたなあ。
父とは中学の頃別れ、私が26歳頃に亡くなりました。
ずっと母と仲が悪く、子供だった私にはちっとも訳がわからず、ああまた喧嘩 喧嘩 喧嘩。
父を憎んだこともあり 父を軽蔑することもあり。ずっと 時間が過ぎて
今は 父をかわいそうに思うと同時に労わりの気持ちでいっぱいです。
母親の家出 自殺 その後、転々と親戚の家をたらいまわしにされたと 母から聞きました。
でも とてもロマンチックで 音楽が好きで 詩が好きで 人のために一生懸命に尽くす。
父の残した記録を見て まるで私そっくりとおもったのでした。
この歳になって ようやく父と私の関係が一本の線で結ばれたような気がします。
最後は温泉でぶっ倒れて 一緒に行っていた女性から 電話がかかってきましたけれど。
お父ちゃん お誕生日 おめでとう。
お母ちゃんと出会ってくれて ありがとう。
私は あなたの遺伝子をそのまま受け継いでいる可能性が大です。
ということは 62歳で脳溢血か。
さびしい人生だったね。でも 私が生きている限り ずっと お誕生日おめでとうは言うからね。
お小遣いは もう少し欲しかった。
だからケーキは ちっちゃいのね。
お父ちゃん 大好きだよ。
スクーターに乗って 美唄から滝川まで行って 滝川についたら足がスクーターの椅子の形のまま固まって おまけにしびれて歩けなくっておかしかった。
区のお祭りでは、いつも景気よくスイカやキャラメルを子供たちに配っていた。お母ちゃんは「お金がないくせに!」って怒っていたけれど、私は少し鼻が高かった。
冬の給料日 酔っ払って 給料袋を落としてしまって お母ちゃんとすんごい喧嘩になったね。
天井からカレーが降ってきて 何か き~いよ~し~ こ~のよ~る~とか歌いました。
物置で密造酒の 葡萄酒を作っていたこと 知ってるぜ。美味しかったぜ。
私が大病になった時、北海道からわざわざ夕張メロンを箱ごと抱えてきて 看護婦さんたちにも配ってたなあ。
しばらくしたある日 突然 自分の写真と位牌を持ってきて 朝からずっとビールを飲んで ふーっと帰って行ったと思ったら そのよく月 倒れたね。
お葬式の前日 通夜の夜 部屋の中を歩いていたでしょ。私の背中を引っ張っていたでしょ。
お父ちゃん 大好きだよ。お誕生日 おめでとう。