TAZUKO多鶴子

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消渇神社の霊神『一豊姫』の大作制作中!

2007-06-01 | TAZUKO多鶴子からの伝言
笠岡・井原市高屋町の
消渇神社霊神『一豊姫』の
パステル画大作を現在制作中です。
今回の制作で
ご依頼主の多田洋子様から
数々の歴史的資料を頂き
勉強させて頂きました。
一豊姫の父は
優れた人格者で多くの信頼を集め
戦国時代にも係らず裏切り者は誰一人出なかったと
言い伝えられているそうです。
その父の血を引き継いでいる一豊姫は
きっと寛大な美しい強い心の持ち主だったと思われます。
おそらく
その心が顔形に表れ
美しい姫だったのではないでしょうか。
そのような事を想像して
今日もその資料集めの為に図書館へ行って来ました。
先日
一豊姫の試作品をパステル画で描きましたが
何故だか虹色の光の輪が幾つも観えて来ました。
でも…
その状態ではまだまだ不十分なので
現在、精神集中と
更に勉強中です。

ではその関連で
今日は髪についてお伝えします。
日本人の髪は直毛と剛毛が特徴で
その髪質もあって
西洋とは異質な髪型文化が発達したと思われます。
特に日本女性は
長い黒髪が命とも云われ
髪を切る事で
様々な思いや覚悟や魂や心を表したのは
皆様もよくご存知だと思います。
では
一豊姫前後の時代の髪型は?
平安・鎌倉・室町・桃山
髪型には色々とあるようですが
太古以来少しも変わらないのが
最も簡素な垂髪です。
その垂髪も時代によって少しずつ長さが
短くなっていくようです。
また平安からの『鬢批(びんそぎ)』は日本独特で
顔の両側の髪を分け取り短く切る髪型です。
『鬢批』は成人のあかしであると同時に
顔の装飾の為と
人に逢う時
顔を隠す為に扇の代わりとしたのが
目的の一つでもあったといわれています。

衣装についても
色々とお伝えした所ですが
次回またいつか…。

時代背景と髪型と衣装の変化にも
色々と勉強になる事が一杯です。

一豊姫の魂が入る作品を!
それに加え
一豊姫の時代になるべく忠実で
そして同時に
時代を越えても
不自然に見えないように
精神誠意パステルで表現しなければなりません!
何故ならそれは
一豊姫に決して失礼があってはならないからです!
勿論
多くの人々の幸せを願って依頼された
多田洋子様にも失礼があってはいけません!
今回のパステル画は
最善で最高のものにならなければ
許されないのです!!
頑張ります!!