今日も昨日に続き、
倉敷中央画廊で展示した
残り全ての言葉をご紹介します。
<青山二郎の言葉>
『精神があるならば、
形に表れない筈はない』
『私の場合、それは
眼を頭から切り離すことだと思う。
評論家に借りた眼鏡を捨てて…
自分の裸の眼を使うこと。
考えずにみることに徹すること。』
『茶碗には六相というものがあり、
品格・詫び・寂びの三趣、
量感・力感・浄感の三感、
この三趣三感が一つになって
茶碗の姿を造っている。
その姿とは
「単なる形態ではなく、
物の本質が
外面に表れた象としての形」
のことである。
「何かが何かを補って
えも云われぬながめとなり
姿となる」』
『宗教や芸術があると思ふのが、
間違ひである。
殊に様々な宗教や
数々の神学があると
思ふ教養。
音楽や芸術や文学が、
芸術にも色々あることを
教へる病気。』
倉敷中央画廊で展示した
残り全ての言葉をご紹介します。
<青山二郎の言葉>
『精神があるならば、
形に表れない筈はない』
『私の場合、それは
眼を頭から切り離すことだと思う。
評論家に借りた眼鏡を捨てて…
自分の裸の眼を使うこと。
考えずにみることに徹すること。』
『茶碗には六相というものがあり、
品格・詫び・寂びの三趣、
量感・力感・浄感の三感、
この三趣三感が一つになって
茶碗の姿を造っている。
その姿とは
「単なる形態ではなく、
物の本質が
外面に表れた象としての形」
のことである。
「何かが何かを補って
えも云われぬながめとなり
姿となる」』
『宗教や芸術があると思ふのが、
間違ひである。
殊に様々な宗教や
数々の神学があると
思ふ教養。
音楽や芸術や文学が、
芸術にも色々あることを
教へる病気。』