機を載せるとは織機に経糸を載せることである、
古来から織機と言う道具を機(ハタ)と呼び、機械と言えば織機だったのである。
明治時代になってマシンが輸入されてミシンとなった。
事ほど作用に生産物と言えば繊維製品が多かったのである
余計な話になったが
今日は竹島クラフトセンターと繊維業者三敬(株)とのコラボレーション企画
手織教室の工程から繊維の基本を学び織物を見直す授業である。
初めての綜絖通し作業なので糸本数は少なめにして筬密度も少ない
だが、神経を使う作業である
Tugeさんの整経は縞整経だ。
それは経糸色と緯糸色の交差した変化を知る事を学ぶ
奇数糸と偶数糸を分けて綾をとった綾を頼りに綜絖へ通す作業だが
順序が狂うと織物が織れない事態となってしまう意味を学んでいる
「疲れますね」
初めての作業は予想がつかないだけに不安がともない神経を使う
糸一本一本を確認しながら通していく
この作業を終えれば次は楽しい機織りが始まる、
その前の準備を整えるには大変な労力がかかる
ここを通過すれば次はフアッションと装飾の世界が開けるのだ。
私が高校生の時にアメリカ人デザイナーのドロシー リーベス女史の
講義の中で女史はこんな話をした。
「アメリカの上流社会の女性で手織が出来ることは最高の贅沢である、
居間にセンスの良い織りかけの布が掛かった手織織機があり、
手織が出来る”心の余裕”と”センス”と
手織が出来る”時間の余裕”があることが最高の贅沢である」
と女史の話を思い出した。
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