70年前戦乱の廃墟のどん底の中で新しい日本国を作ろうと
新憲法発布した記念すべき日である。
そんな日だが私には休日ではなくガラ紡機(臥雲式和紡機)の手入れである
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綿を詰めた筒が回転すると綿が撚られて糸になって上がってくる。
私はじっと糸の表情を凝視しているが疲れる、
綿の出来具合が糸の出来具合を決める、
だから綿毛の一本一本の動きを凝視しているのだ。
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そして紡ぎ上がった糸を巻き上げているが、
世間で言うガラ紡とは違う糸が出来上がっている。
江戸時代の末、臥雲辰致が作った糸も私以上の糸を
作っていたに違いない筈である。
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今日も臥雲式紡績機の調整に余念はないが
臥雲辰致が母を思い発明に至ったこの機械で
手紡ぎ以上の糸を作る理想に基づいていた筈なのに、
後の人々が粗悪な綿で粗悪な糸を作ってガラ坊と名付けてしまった。
人間、慣れてしまうと良いも悪いも特別気にならぬものである。
平和憲法も国民は余り気にせずに生活しているのも、
気にならぬほど普通に馴染んでいるからなのかも知れない。