この立派な門柱。白ペンキで全体が塗られていますが、レンガ造なのです。そして、一対として残っています。
これは、機関科の下士官兵を養成する術科学校である横須賀海軍工機学校の門柱です。
機関科将校を養成するために創立された海軍機関学校を前身にもつその歴史は複雑な変遷を経ていて、最終的には終戦前の短期間ですが、大楠海軍機関学校の分校として歴史を終えています。
機関学校は、関東大震災で大きな被害を受けたため、舞鶴に移転し、昭和3年に術科学校として工機学校が開校したのです。
この門柱、いつ建造されたかは不明ですが、脇門柱です。主門柱は撤去されています。震災前の機関学校や旧工機学校の写真に写っているのと同じです。
明治大正期に造られた機関学校の門柱が残っていたのか、または、昭和3年に新造されたものか、どちらかでしょうが、わかりません。
横須賀市内には、このほかに、陸軍の横須賀重砲兵連隊営門が現存しています。こちらもレンガ造で、明治40年10月26日に竣工、横須賀の市民文化資産になっています。