この大事そうに保管されている、茶色の管。土管です。
実はこれ、横須賀造船所へ水道を引くために明治9年に埋設された横須賀最古の5インチ水道管(送水管)なのです。
走水から横須賀造船所までの約7㎞もの間、この土管が敷設されたのです。
工事は横須賀造船所の建築長であったフランス人のジュエットの指揮監督で行われたため、当初、フランスから鉄管を輸入しようとしたのですが、高額なため常滑で焼いた土管が使用されたようです。
この大事そうに保管されている、茶色の管。土管です。
実はこれ、横須賀造船所へ水道を引くために明治9年に埋設された横須賀最古の5インチ水道管(送水管)なのです。
走水から横須賀造船所までの約7㎞もの間、この土管が敷設されたのです。
工事は横須賀造船所の建築長であったフランス人のジュエットの指揮監督で行われたため、当初、フランスから鉄管を輸入しようとしたのですが、高額なため常滑で焼いた土管が使用されたようです。
横須賀海軍病院は、明治13年に開庁した軍港所在の初の海軍病院である。
当初は、横須賀の高台に建設されたが関東大震災で焼失し、現在地に移転した。
海軍病院中最高の設備をもっており、震災後の建物は海軍病院初の鉄筋コンクリート造であり、昭和の海軍庁舎の特徴であるシンプルモダンな建物である。
病院の性質上、産婦人科や小児科はなかった。
戦後、米海軍に接収されたが、庁舎、兵舎、治療品倉庫などのほか門柱や壁なども現存している。
写真は現存庁舎で若干改装されているがほぼ当時のままである。
現名称は、「米海軍横須賀病院」である。