城ケ島砲台は、関東大震災後の要塞整理事業で新設された砲台。 ワシントン軍縮条約により不要となった戦艦安芸の副砲砲塔を改造して設置した砲塔砲台である。
城ヶ島の東半分が砲台用地で、1基2門砲塔が2基設置されていた。
付属施設は地下化された。、写真は砲側弾薬庫であるが、同形の弾薬庫が3庫ならんで構築され、砲塔までは細い地下通路で結ばれていた。
内壁は白で塗られているが、わずかな光でも見えるようにとの工夫である。
城ケ島砲台は、関東大震災後の要塞整理事業で新設された砲台。 ワシントン軍縮条約により不要となった戦艦安芸の副砲砲塔を改造して設置した砲塔砲台である。
城ヶ島の東半分が砲台用地で、1基2門砲塔が2基設置されていた。
付属施設は地下化された。、写真は砲側弾薬庫であるが、同形の弾薬庫が3庫ならんで構築され、砲塔までは細い地下通路で結ばれていた。
内壁は白で塗られているが、わずかな光でも見えるようにとの工夫である。
観音崎の砲台群のなかで異彩を放つ腰越堡塁です。
観音崎の砲台の背後を護る陸戦砲台で、明治28年起工し、明治29年竣工しました。
9センチカノン砲が2門置かれましたが、大正2年に廃止となっています。
今も堡塁の形状が色濃く残る明治期の貴重な遺構です。
写真は、レンガ構造物は弾薬庫でないでしょうか。