世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第3章北米編 僕が意外に感じたアメリカの「少ないもの」】

2013-10-12 12:20:27 | 日記

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2013年10月11日。

《以前のブログで「僕が意外に感じたアメリカの汚いもの」としてお札を取り上げましたが、今回も「意外に感じたもの」シリーズでいきます!今回は完全にもう僕のダラダラしゃべりですが、お時間ございましたら読んで下さい~!》

南米から中米へと北上してきて、いよいよアメリカに入国した僕。色々なものが「やっぱり中南米とは違うなぁ」と感じているけど、「あれ?意外に少ないぞ?」と感じたものがある。

何かというと、それは教会なのだ。

中南米の国々は、どこに行っても必ずといってよいほど教会がある。どんな小さな村に行っても教会はあるし、だいたいそれが街の中心になっている。バスで何時間も移動するようなときでも、道の端っこに小さな十字架がよく立っているのだ。

もちろん中南米は元々キリスト教の国ではないので、それだけスペイン人による布教が根付いたということなのだろう(それが平和的かどうかの話は別として)。少数民族の村などでは、それが土着の宗教と結びついて、キリスト教と融合した新たな形の宗教が生まれたという話を耳にした。


ちなみにですね、僕宗教って大好きなんですよ。お寺とか神社はもちろん、教会やモスクのあの荘厳とした空気が大好き。中に入るだけで気が引き締まるような、あの独特の空気が好きなんですよね。

教会では食料的な援助も受けていました(笑)。ニュージーランドでは、教会で配布していた無料のクッキーにかなり助けられたし、スキーのトレーニングのため長期滞在していたクイーンズタウンという街の教会では、週に1回無料のパスタ食べ放題のイベントみたいなものがあって、貧乏滞在をしていた僕はマジでがっついて食べていました(笑)。いや~懐かしい!

イスラム教圏の国ではモスクで1人勝手に瞑想したり、インドではヒンズー教の寺院でヤギの生贄を捧げる儀式を最前列で見ながら子どもと遊んだり、けっこう宗教的な場にはお世話になっております、はい。


さて、話をアメリカに戻して・・・。

僕のイメージでは、アメリカってもっとキリスト教の雰囲気が強いのかと思っていた。確かにキリスト教といっても幅広いし様々な歴史があるので一括りにはできないけど、街には中心に教会がど~んとあって、いかにも!っていう雰囲気が漂っていることを想像していた。

最初に訪れたサンディエゴを歩いた時に「あれ?」って感じ、次にサンフランシスコに行ったときも「あれ?」って思った。そのあと日本人の仲間たちとキャンピングカーであっちこっち小さな町にも訪れたりしているけど、あまり「キリスト教!」的な雰囲気は感じない。それが僕としてはとても意外に感じた。


僕ね、やっぱり日本人だなって思ったんです。もちろんキリスト教を否定するわけじゃないですから、誤解しないで下さい。

中米のある国で、ひょんなことから現地の方と仲良くなったんです。ある夜その方に誘われてキリスト教のイベント(のようなもの?ミサではなくて。)に参加させていただいたのですが、僕にはしっくりこなかったんです。

それは別にキリスト教を批判しているわけではなくて、ただやっぱり「ジーサスを復唱して」と言われても、やっぱりしっくりこなかった。

帰り際に「あなたの心の中には、たった一人のジーザスがいます。」と言われても、正直「いや、俺の中にジーザスはいないよ。」と思ってしまう。やっぱり僕には違うなって思ったんです。

もちろん日本人の中にもキリスト教徒の方はたくさんいますし、それを否定するわけじゃないです。でも僕はキリスト教というものとは遠い中で育ってきた。だからたとえば、「毎週日曜日に教会に行って神にお祈りをしなさい」と言われることと「目の前の万物の全てには精霊が宿っているから、山も川も木も水も、全てを大切にしなさい」と言われたら、やっぱり後者の方がしっくりくる。決して神道を深く信仰する家庭に育ったわけではないが、僕の魂はそう感じる。



宗教って深い。心の拠り所であり、しかし争いの原因にもなる。特にかつてのヨーロッパや中東世界では、残虐性を極める争いが何度も起きてきた。でも宗教そのものは決して悪ではないはずだ。人々の生き方を示すものでもあり、心の平安を及ぼすものであり、どこの世界であっても宗教は存在している。

人間というものは「人間の理解を超えたものへの神聖性」を見出したいのであろう。そういう生き物なのだろう。しかしそれが時として、他地域への支配に使われ、現在においても争いの原因となっている。それは本当に心を痛める。

僕はこれから中東やアフリカなど、宗教色の強いところを訪れる予定だ。今まで以上に、宗教にもっと注目して世界を見ていきたい。

2013年10月11日。星空輝くタオスバレーのRV Parkにて。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (もり)
2013-10-13 14:08:31
>人間というものは「人間の理解を超えたものへの神聖性」を見出したいのであろう。
この一文ものすごく共感します(^^)
ここ数日、この一文に関するものをまさに感じていたところです。
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もりtyんへ (ふじもん)
2013-10-15 13:08:58
いつもコメントありがとう!
そうなんだ。何かあったの?俺はいつもそんなことを感じているよ。人間なんて小さな存在だなって。
そんな良い意味での謙虚な意識が、これからの世界には必要だなって思ってるんだけどね・・・。
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Unknown (もり)
2013-10-19 10:10:35
何かあったというか、思考方式が変わったというか、僕の中のベースがパラダイムシフトー!!っす笑
上手く言語化出来ないんですけど、「うおぉぉぉー。そうだったのかあああ」って感じです。
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もりちゃんへ (ふじもん)
2013-10-20 00:12:50
へぇ、何だか分からないけど、大きなことがあったんだね!それはきっと森ちゃんにとって、何か大きな意味があるんだろうね!日本に帰ったら色々話聞かせてね!もりちゃんの変化、楽しみにしてるよ!
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