ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

妄想と現実。

2019-01-21 21:51:25 | 日記



私は自分のことをつよい言葉で表すならば自律神経失調症気味やと思っている。

のは、最近のこと。


まぁなんというか、自分が自分で手に負えないというか、自滅してしまう感じを感じるからだ。

そこまで言葉ではっきり思う必要もないとは思うけど、情緒不安定やわ〜みたいなことをよく感じる。


んーとは言え、自覚もないところがまた手に負えないのですが。

私の場合、寒いとか熱いとか、眠いとか、疲れてる、てのと、気持ちの加減がとっても密接な気がする。

イライラしたあと、気づいたら、あ、さぶい、、みたいな、そういうつながりはひしひしと感じてもいる。


機嫌が悪くなるとぶーすか度合いが半端じゃないことを知っている。

みんなある程度そういうもんとしてあるとしても、自分がかわいいし可哀想なんやろね、自分をとことん慰めたいというのかな、結局自分が何もしなくていい方法をとっているらしい、楽したいらしい、隣の人に言わせるとこうなる。


にしても、すごいことだ。

自分で自分はコントロールできないが、妄想と現実の境がわからなくなってたりする。


それくらい、この頭ってのは厄介だ。

妄想が実に巧妙というのか、事実っぽい。

それにまたどっぷりはまってたりもする。

その妄想は自分にとってそんないい感じなものじゃなくてもそれになんでどっぷりはまれるんだろうって思ったりもする。


嫌ならやめればいいのにね、それができないのは、なんでだか。

妄想することで恐怖?不安?を軽減しようとする働きなのか、たとえば妄想が現実になったときのために、そのときの自分を少しでも和らげようとしての作業を、言えば、仮の想像上の未来の自分のためにしていることなのかー?

いや、そこまですることないってのにと思うけど、妄想までして余計に今苦しい気がするのに、変だよなぁと思うけど、最中ってのは、なかなか気づきもしない。



すごいもんだぜ、と思う。

けど、その妄想して苦しむという私というのも否応なく間違いなく現実なわけだし、困ったぽんきちなのら。

いやー、心はこわい。

何をどうしたいのか自分でもさっぱりわからん。

いや、わかりたくないのかもしれん。



最近隣の人がしきりに運動に誘ってくるもんで、庭で縄跳びしたり、キャッチボールを下の運動場でしたりする。

今日なんかは、キャッチボールしたあと、かけっこもしたし、あと帰りの上りの階段もかけたもんだから、すでに太ももが筋肉痛。


息があがって、日々ぐーたらしてるだけに勝手なもんやなぁと思った。

勝手に走ってみて息切らしたり、勝手にごろごろ寝転んでぐーたらしてみたりしても、体が何を求めてるかわからないまま、こっちの勝手で動かして楽しませてもらってる、と思ったさ。

体はいつでも息上がることもできてすごいなぁ。

実際にとんと走ってなくても走れるのだから。

走ってみようとやってみたら走れるもんだ。


今日は運動場2周の中距離レースもしたし、久しぶりに走ったーて感じなんだ。



あとは、隣の人がしきりに朝日を浴びようってのがすごくてそれに誘われる。

なんか知らんが突如朝日に目覚めだした夫。

朝日はすごい!朝日は気持ちいいぞ〜って言って、ふたりして休みの日の晴れた午前中は日光浴だ。


やっぱりお日様の力は偉大であんな寒がってた体がうれし〜って伸び出すかんね、やっぱよくできとる、そうやってるとつながってるんだなあ、太陽とも、と思う。


そんなこんなで、はや1月も終わりに近づきつつある。

こちら九州は、まるで春な毎日でなんだかおかしいね。